第23話 レイシャー漆黒の双剣ー(ᛏᚹᛁᚾ ᛒᛚᚨᛞᛖᛋ ᛟᚠ ᛃᛖᛏ ᛒᛚᚨᚲ)
戦之女神の軍勢に呆気なく陥落したラファン自治区の首都ディオル。実際には自ら落ちた。
此処に探りを入れるべく侵入したシアン・ノイン・ロッソ一行の危うさに気づき、争いを挑む白い全身鎧の騎士レイシャ。相反する黒い刃をシアンへ振るう。
初手は場数を踏んだシアンの貫禄勝ちといった処か。されど刃の上で美麗な女戦士二人が演舞を競う、全く以て予断を赦さぬ展開となっていたのだ。
同じ頃、ヴァイロとリンネの住処であるカノンのツリーハウス。明らかに苛立った顔でヴァイロ・カノン・アルベェリアが親指を噛んでいた。
「──ヴァイ、こっちおいで」
見兼ねたリンネが、ベッドの上にしゃがみ膝を叩いて誘い掛ける。
無言でリンネの元へ向かうヴァイロ。その顔は冴えないまま、言われた通り膝上に頭を載せた。
「最近さ、新しい音を覚えたんだ。自分で聞く分には良いと思うんだけど、やっぱりアンタで試さなきゃ」
毎度同じく愛しい人の耳に、両手をそっとあてがうリンネのきめ細やかな気遣い。
「こ、これは……液体が左右を流れてる音?」
鼓膜震わす水の音に驚き揺らぐヴァイロ。さっきまでの憂鬱な気分を忘れ掛ける。通常耳の中に水を注いで良い訳がない。
「どぅ? 何でもアイスグローブっていうらしいよ。尤もそれ自体を私も見た訳じゃないんだけどね」
「嗚呼……良い。これは実に癒されるな」
ヴァイロの緊張が少しは解れたのを膝に掛かる増した重みで知るリンネ。屈託のない笑顔で此方も解けた。
「──に、してもお前は不思議な奴だ。竜の声、そしてこのアイス何とか? 今更だけど何故見知らぬ音を表現出来る?」
目を閉じ左右を流れる音へ耳傾けつつ穏やかな面持ちで質問を投げるヴァイロ。
「うーん……それは何とも。始めは知ってる音だけ出せるんだと思ってた。あ……でも頭で判ってなくても私の身体が知ってるのかも」
リンネは右手だけヴァイロの耳から離すと自らの胸元にあてる仕草。
「ん? ちょっと何言ってるのか判らないが……」
「遺伝子ってあるじゃない? 詳しくは知らないけど。ひょっとしたら私の血に、昔の自分の記憶が流れてるのかも」
心根からリンネが微笑む。彼女に取っては音が出せる理由なんかどうでも良いのだ。
ヴァイロが自分にしか出来ない術で子供の様に膝元で癒されているこの瞬間がたまらなく愛おしい。
だから理屈は要らない、彼女に取って至福のひとときに浸りきる。
「し、白い竜の騒動以来ずっとだけど……今日は特に機嫌が悪そ。どうしたのかと思って」
リンネは勇気を振り絞り本題を切り出す。心配げな緑目と赤らんだ顔が入り混じる移ろぎを以て、ヴァイロを覗き込んだ。
──此奴……。
膝上でリンネの音に現を抜かす愉悦を止め、愛しき女を見上げるヴァイロの心持ち。
不安を呼び込んだ大人の責任を放り投げる。この女が愛おしくて堪らない。
男の身勝手な愛情表現へひた走るべく、不意に頭を起こすとリンネの胸内へ自身を埋めた。
「ちょ、ちょっとな、何なのっ!?」
「少しくらい良いだろ。お前が俺を呼び込んだ」
ヴァイから甘えられ、顔を真っ赤に染めるリンネの愉悦。胸元で感じる彼の吐息に心が跳ねてどうにもならない。
然もさらなる上へ重なるのを求められ、抗うのを止めた。少女でなく女性としての幸せに堕ち往くリンネ。
「何? もっと甘えたくなった? 仕方がないなあ……」
発言とは裏腹な幸せを感じリンネの乙女心がさらに解れ、等しく解れたヴァイロの心の糸と絡み合い、釣り糸の様にいよいよ解ける気がしなくなった。
白い竜と自分達の黒い竜──。
シグノとノヴァン絡みの騒動があって以来、ヴァイから求められなかったし、気を遣って自分からも求める気分を抑えていた。
優しく幾度も彼の頭を愛おしく撫でる。
後は彼の出方を待とう──。
頭では冷静を保とうするが左胸の鼓動は、例え音使いのリンネでも制御出来る訳がないのだ。
やがて赤い目を寄せてきたヴァイロ。
リンネが眠り姫の様に穏やかに瞳を閉じてその刻を待つ。
「ンッ、ンンッ……」
ヴァイロから大人の口解きを受け、かなり驚くリンネ。
此方はまだ教えて貰ってなかったのを躰が思い出した。恋人達の吐息同士が混ざり溶け合う。
だが暫くヴァイロから深い接吻を求められた後、その絡みは次第に離れ意外にも解かれてしまった。
とろけた顔をヴァイに差し出したリンネ動転。何とヴァイロが涙を流していた、リンネの膝上にも彼の温かみが零れ落ちた。
「お、俺、引き返せない処までお前達を巻き込んでしまった……。こんな事になるのなら魔法なんか教えるんじゃなかった」
「ヴァイ……」
肩を揺らし涙混じりでリンネに本音を訴えるヴァイロ。
リンネはヴァイロの語り『お前達』と云う複数形の件を聞き遂げ、残念な想いに駆られた自身を思わず嫌悪せずにいられなかった。
「約三日後くらいかな……戦之女神軍が制圧したディオルに送った偵察が報告をくれる手筈になっている」
リンネの小さな躰に自分を預けたままの姿勢で真剣な話を持ち出すヴァイロの随分あべこべな状況。
愛し愛され心満たされた人は、年齢の垣根を置き去りにするもの生き物だ。
「嗚呼、そっか。だから今日のアンタ、特に落ち着きがないんだ」
「落ち着きがない? 俺が?」
愛する男が絡めてきた枷が解かれ、一気に肩の荷が下りた感じのリンネ、思わず軽い苦笑いを零した。
10歳年上に成った男が向ける少年の様な視線を、とても可愛いと失礼な感じを手向け、期待した分を仕返しとして寄越した。
「そうっ──見てらんなかった。皆ヴァイが大好きでやってるんだから……。そんなに独りで背負ったら疲れちゃうよ」
本音の処、いっそ落ち着かないその気分を素のままぶつけて欲しい欲求が未だせめぎ合うリンネ。ヴァイの躰を解す手伝いで気を紛らわせた。
◇◇
一方シアンとレイシャ。
両者一歩も引かぬ睨み合いを続ける。
レイシャ的に下手な先手を打つと相手の間合いだけ届いて一方的に叩かれる。
勢いで詰めるにしてもナイフに依る初手の動きがある以上、此方の剣が届く前に殺られる可能性が高い。
ではシアンなら余裕か……決して楽観は出来ない。
あの黒い刃の力を明かしたレイシャの言葉が、ハッタリだとは到底思えやしないのだ。
それでも建物の影と云う暗がりと羽織ったマントの内側から槍の矛先読み辛い突きをレイシャへ繰り出し様子を窺う戦士シアンが狡猾ぶりを示す。
「そう……シアンだ。思い出したよ。傭兵シアン──味方に付ければ必ず勝利へ導き、敵に回せば全てお終い」
レイシャの言い回しに初めて気持ち揺さ振られたシアン、ほんの僅かだが牽制の突きが鈍に落ちた。
──そう言えばさっきも『シアン』と呼ばれた気が。
自分は名乗った処かこの新手の手前、名前を仲間から呼ばせたつもりもないシアン。だが冷酷な笑みで過去の栄光を語られ腑に落ちた。
金を貰い味方を決め必ず勝利を掴み取り自分も生き抜く。
嘗ての夫──ノインに出逢う前の寂れたシアンだ。勝った処で虚しさしか残らなかった哀しみの本質。
「そう──ジャンヌダルクの如き女だと騎士見習い時代に聴いていた。だが暫く戦地で噂を聞かなくなった。争いを求め異国に渡り魔女の様に火炙りを受けたかと思っていたよ」
黒い刃でシアンを指し『魔女』と貶めるレイシャが嫌らしく嗤う。白の騎士、断罪者が嘲のつもりか。
「私はしがない傭兵──それ以上でも以下でもない!」
戦に根差した怨恨の言葉なぞ気に病んでいられぬシアンだが、苛立ちが滲んだ自分。
平和と珈琲を愛し一線を退いた至福の記憶を酷く汚されたと感じたのだ。
未だ研鑽が足りないと心の中で舌打ちしながら、またしても手槍に似た剣を繰り出す。
「ククッ……人殺しで稼いだ女が理想を語るのかい?」
恐らく二刀の何れか僅かでも利き腕でない弱点があるべきレイシャの太刀筋。
シアン──気が付けば半歩づつ押されていた。
「貴様こそ戦の女神──戦乙女の先兵であろうにっ!」
技で押されている訳に在らず──そう思いたかったシアン。
うら若き女剣士の挑発に載せられた自身を恥じる誇りを矛先に凝縮させ貫くべく声に気合を乗せた。
百戦錬磨のシアン・ノイン・ロッソが気圧されている?
陽が陰り始め、影が自ずと伸びているのをシアンは知らなかった。




