第19話 暗がりの中に見つけた黄昏の旅路(ᛏᚹᛁᛚᛁᚷᚺᛏ)
喫茶ノインを訪ねたヴァイロ・カノン・アルベェリア。
店主であるシアン・ノイン・ロッソの怪盗ぶりを話題に挙げ、彼女の不快を煽った件。
暗黒神の正装──とはいえ、普段通りの姿なのだが、テンガロンハットを脱いで深々と謝る。
目前で上背のある魅力に溢れた男が、不意に頭を下げる。
その態度を目の当たりにした気の良いシアンは、バツが悪いと感じ酷く慌てた。
刮目し目一杯広げた両手と紫の頭を強く振り後退り。
ボーイッシュな顔立ちに赤みが差す恥ずかしさが尾を引く、さも可愛らしい女性に転じた。
「ま、待ってくれ。お前程の男が、そう易々と頭を下げるものじゃない。お、御願いだから頭を上げてくれ!」
見えない圧力を感じるシアンがカウンターの奥深くに沈む。
店主として数々の男共、何なら同性者さえ虜にした彼女が狼狽以外の選択肢を見つけられずに息を切らす。
「俺の頭なんか雲の様に軽いもの、幾らでも好きなだけ下げてやる」
「わ、わっ判った! は、……話を進めよう。兎に角、一度席に戻ってくれ!」
声が上擦り心底困り果てたシアン。
カウンターの中に座り込み、何かを探す様子をみせる。余程の常連にしか出さない、大変貴重な珈琲豆を僅かに出して淹れ直した。
「これは奢りだ、飲んでく……ださ…い。い、いきなり美術品の話をされ、つい思わず……」
新たに淹れ直した珈琲と、手作りのクッキーを差し出し詫びるシアン。実に気の利いた女性の行為。勇ましい声音が静やかに変わりゆく。
「此方こそ色々驚かせて済まない。ノヴァンを創造する際、金を出してくれた貴族の中で、かなり意地悪い奴が居た。そいつから大事にしてる絵を盗まれたと聞いた」
「……」
シアンが『座ってくれ』と懇願したにも関わらず銀髪を下げたまま姿勢、話の流れとはいえ怪盗シアンの話を続けるヴァイロ。
困り果てた色男の言葉、耳傾けるシアンの胸中に灯り始めた何か。真面目過ぎる男の声が彼女の自然な唇を黙らせる。
自分が何故シアンの秘め事を知っているか察しの良い彼女なら、これで腑に落ちると思った前置き。
「要は犯人探しを俺は依頼された。報酬なら弾むと言われてな。友達を売る様で悪いと思いながらアギドに調査をさせたんだ」
シアンは少し昔の記憶を辿り往く。
随分と落ち着き払った、如何にも賢そうな少年。一度だけ紹介された記憶が脳裏に霞んだ。
「成程……髪の青い少年だな。確かに彼ならお前以上、隠密に長けているな」
最早その少年に出し抜かれたのは、致し方ないと納得せざるを得ないシアンである。
処でこの場に居ないアギドだが、ヴァイロの来訪理由をまるで知らない態度を装っている次第。いよいよ少年と侮れない狡猾さ。
「然しだ……何故そもそも私を疑った?」
「これは流石に失笑だな。お前達の盗みの手際が鮮やか過ぎる。それにお前個人、普段から妖しい殺気を隠せてないぞ」
頭を上げカウンターの椅子に戻りながらヴァイロの失笑。『君等の怪盗ぶりが目に余るほど完璧過ぎる』褒めてるのか貶してるのか不明瞭。
「一応友人として忠告しておこう。隠せない殺気も元を正せば決して気を抜かない為の癖なんだろうが……」
これにはシアン、立つ瀬がない。つい今しがた、秘めたナイフを暴かれたばかりだ。
なれどそんな後悔よりも、仮にも神と崇められる男が、少年の様な笑顔を私だけに手向けたと思えた身勝手で心を彩るシアンの情感。
「これは手痛い。だが私の裏側を暴いたのはお前だけだ。他の客には気立ての良い、ただの女店主で通っていると思いたいな」
木目を活かした美麗なカウンターの上で両手を組み、顎を載せ微笑むシアンの類稀な飾りの要らぬ可憐さ。
全てをヴァイロから見透かされたシアンの不思議な上機嫌。
他の客人には決してみせない緩んだ自分に気づいていないのだ。
ヴァイロは遠慮なく貴重な珈琲を頂くと、漸く本題に入るべく溜息を吐いた。
──この男がこんなに困った顔をするのか……知らなかったな。
普段は割と出たとこ勝負、些細を気に留めない男。4年程の付き合いがある彼女だが、少々意外な一面に思えた。
シアン・ノイン・ロッソ──。
この色男には気の毒だが珍しい側面がみられた。ほんの僅かの優越感、女らしい和みに浸るのだ。
ヴァイロが中々語らぬが故、訪れた沈黙──。
此処で突如聞き手のシアンから先に動いた。
元々貸し切りだったといえ、店の看板を『CLOSED』に返す。加えて店の入り口を煌々と照らす灯りと、店内の灯り火も少しだけ残し消したのだ。
薄暗くなるかに思えた店中に夕刻の日差しが眩しく入る。
「ンッ……」
シアンがエプロンを解き、営業向けの白いYシャツを突然脱ぎ出し、ヴァイロの瞠目を引き出す。
黒Tシャツ、大きく胸が開けた所に煌めく形見のペンダント。
自分が飲む為の珈琲を淹れ、たったひとつの小さなテーブルに座る。
黄昏刻が、店を忘れたシアンの白い頬を紅色に照らし出した。
唖然──いよいよ何も言えなくなったヴァイロ。
夕陽に照らされ煌めく翠眼を流し目で贈るシアンの転身。
「余程、言い辛いらしいな……。あ、店か? 今日はどのみち貸し切りだ。余程大事な話なのだろ? 邪魔されたくないから灯りを消したんだ」
紫色の髪を掻き上げ、身内にしか見せぬ薄着を晒す大胆なシアン。
此処から先は店主と客人でなく、ただの友人同士で在りたい気持ちを湛えた。後は4年来の友人が口開くのを直向きに待ち続けるのだ。
「──悪夢を見た、俺の大事な弟子達が皆殺される最低な夢だ」
「ゆ、夢?」
ヴァイロが一呼吸置いた後、例の夢語りを始めた。
自分の大切な子供達が、白い竜と女神に消されて逝く奈落の絵柄。
悪夢とはまた意外だと思ったシアンだが、ヴァイロの苦み滲んだ顔つきに、余程の地獄を見たに違いないと即座に察した。
ダンッ!
「然も夢に現れた白の女神と白い竜が襲って来たんだッ! それはもう夢で見た色、声、そのままの姿でッ!」
溜め込んだ脅威を一挙に吐き出したヴァイロがカウンターに拳を叩き付ける。やるせない気持ちが炸裂した。そのままの形でシアンの友人が固まった。
珈琲の香りを嗅いだ後、言葉を選びながらシアンがゆっくり紅を開いてゆく。
夕陽は既に落ちていた。二人の想いを映し出したかの様な暗がり。されど人の心を開き繋ぐには優しさ揺らぐ位が丁度良いのだ。
ゆっくり立ち上がりヴァイロの隣に座り直したシアンが良き友人の肩を優しみ込め抱き寄せた。
「お前の可愛い子供達だ、悪夢を現実にしたくない。──それは痛いな、判る……と云うのはおこがましいが」
シアンの体温と、穏やかかつ頼もしさも感じ取れる声音がヴァイロの凍りついた心を徐々に溶かしてゆくのだ。シアンの掴んだ肩が小刻みに震え始めた。
「恐らく女神に殉ずる手練れが数多く居る。喜んで命すら捧げる輩だ。だから全く以て不本意だが、俺達も戦力を増やす必要がある……」
ヴァイロ、己の発言が意図する処に激昂したい思い。歯を食い縛り怒りと哀しみが混ざり合う躰の震えが止められないのだ。
やはりシアンはそんなヴァイロに優しく接した。泣きべそかいた子供をあやす様に背中を幾度も柔い掌で叩く。
「それが傭兵シアンの元を訪れた理由。……だがヴァイロ、お前とて知っているだろ。私がこの店を継ぐ為だけに一線を退いた訳ではないのを」
ヴァイロ、俯くのを止めシアンの翠眼を見つめる愚直。25歳とは思えぬ無垢な赤い瞳。
刺された様に痛いと感ずるシアンの想い、内心嫌いじゃない目。それでも自身が置かれた立場を伝えねばならぬ残酷。
「愛する夫こそ失ったが今の私は母親なのだ。まだ2歳──置き去りに戦場を駆ける訳にはいかないんだ……」
シアンの応え、ヴァイロも当然知り抜いていた。
然し『それでも!』なる想い掲げて懇願しに訪れた。彼女はただの傭兵に非ず、戦場自体を預けられる程の将たる器を持ち得た存在。
彼女の幸せを自分が奪う、避けたかった選択肢。さりとて彼女以外に頼める相手が居ないのだ。
ファサァ……。
「し、シアン?」
「カノンと此処フォルデノ王国は隣国、お前達を助けなければ此処も危ない。……そういう事だねヴァイ」
決して抱くに在らず──。
後ろから弱気な黒い神様をフワリッと包み込んだシアン、耳元で囁く昔の愛称。
──ヴァイ。フフッ……つくづく黒が似合わない男だお前は。私には光しかみえないよ。
「喫茶『ノイン』は暫く休業だな。だが私はあくまで傭兵。戦場は仕事場、仕事で命を散らすは愚者。だから私は決して堕ちない」
声音が変じた訳ではない。だが喫茶店の店主とは、全く異なる覚悟の響き。『傭兵はあくまで仕事。仕事で死ぬのは愚の骨頂』これぞ戦士シアンの矜持であった。




