第16話 ノインの中のシアン
エディウスより二度目の挨拶という名の手痛い洗礼を受け3日が経過した。
結局の処、双方に於いて目立った手傷を負わされたのは、最も自力に勝ると思われてた黒い竜だけ。想像の斜め上を往く結果である。
ヴァイロのツリーハウスに勝手に上がり込んだ弟子達も、それについて言及している。
「──ったくよぉ、魔力を殆ど使ってまで頑張ったってのに、ありゃあ一体どういう事だっ?」
リンネの用意した茶菓子をいの一番、バリボリ食べながらアズールが苦言を吐く。
「そうでございますね。結局リンネとヴァイ。そしてアギドの機転で何とかなりは致しましたが……」
食べた菓子を吐き散らし喋るアズを諦め、顔を背け冷静に語るミリア。
「いや……エディウス達の逃走がなければ、どのみち此方が殺られていた。ヴァイはノヴァンの弱さを、金を出させた貴族達に、随分追及されてたな」
三人のリーダー格らしく話を総括するアギド。
三者三様だが一致してるのは、ノヴァンが考えてたより弱いという結論。
その様子を黙って見ながら、お茶をひたすら勧めるリンネ。
「そういや、そのヴァイは、どこ行ってんだ?」
アズールの質問、お茶を淹つつ同棲者のリンネが応じる。
「あ、いつもの店に行って来るってさ。だいぶ浮かない顔してたね」
「例の喫茶店だな、然しあそこへ往くのなら浮かない顔などしないのでは?」
いつもの店というのは、ヴァイロ行きつけの喫茶店。リンネさえも連れ添わず独りきり。何でも親しい友人が店主らしい。
「そうね……恐らく、その貴族達へ謝罪経由の喫茶店じゃないかな?」
余り興味なさげな様子でリンネがアギドの疑問にさらりと応える。
「成程な……要は叩かれた分を癒されに行くって訳か」
「そのマスターって、凄い美人なんですよね? リンネはそういうの気にならないのですか?」
ミリア、実は自身が面白くない行き先だと思っている。同じく愛する者として意見を聞いてみたい。ちょっと意地悪な質問。
リンネはボーッと天井を見つめ、少し頭を巡らせてからそのまま口を開く。
「あ、余り気にならないかな。だって人間って誰でも独りになりたい時や、場合に寄って求める相手を変えるだろ? 何より私が縛られるのゴメンだし」
「ふーん……そういうものでございますか」
リンネの言葉には、偽りも妥協もない。
一方、それを聞いたミリアは、いよいよ不機嫌が顔に出る。
──何それ? 如何にも嫁の余裕みたいな口ぶり……私だけ空回りしてるみたい。
ミリアの不服顔を見たアズールとアギドが押し黙る。読みたくもない心の中を、見せつけられた気分。
──それにしてもノヴァンの力……アレは恐らく全力ではない。理由こそ判らんが。
実の処、ノヴァンに対するアギド本音の解釈がこれである。
何も語ろうとしないリンネ、ノヴァンと共闘の最中、肌で実感していた。彼女が一番黒き竜の真実へ近しい場所にいた。
◇
此方はフォルデノ王国とカノンの丁度境目辺りに存在する喫茶『ノイン』。
フォルデノ城下町からはだいぶ外れている。樹々が多く、人の往来が少ない寂れた地域。
とうに寿命が尽きた大樹に防腐を施し、幹をくり抜いて作った建物。
世辞にも大きい店とは言えず、カウンターとテーブル1つだけ。5人も客が入れば満席になる。
自然、店内の内装も木をそのままあしらったものが多い。カウンターの中には、珈琲だけでなく、他の茶葉や酒類も僅かだが用意がある。
窓が少ない上、灯りの数も少ないので、自然店内は薄暗い。だからこそ炎のオレンジ色が映える。マスターの拘りを感じる造り込み。
色々と商いをするには好条件とは言い難い場所。然しこの店、先代から続いており30年近く営業している。
初代は今のマスターの亡き夫。
つまり二代目は未亡人。歳はまだ20代後半。華として充分通用する若さ。亡き夫の方が倍ほどの歳上だった。
彼女自身、元々この店の常連であり、親ほど歳の離れたマスターの気遣いと何処よりも美味しいと評判の珈琲を心から愛した。
結婚後、5年程共に店をやりくりしたのだが、夫が急性の病に侵され妻が店を継いだごく有り触れた流れ。
以来この店のマスターは『シアン・ノイン・ロッソ』である。ロッソは旧姓だが、ミドルネームに互いが愛したこの店の名を刻んだ。
珈琲の味は先代譲り。それだけでも珈琲好きが態々訪れる。
その上、美人の未亡人が気さくに話を聞いてくれるので、寧ろ先代の頃より男性客が増えた。
紫色で肩には届かないサラリとした髪。
大樹の中に居るので、まるで森の精霊ではないかと思える翠眼。
左側に泣きぼくろがあり、スラリと伸びた背丈が大人の女性を演出する。
少し低音がかった声は舞台で男優を演じられる程、聴く者を夢心地にさせる。
そんな次第で実は男性のみならず、女性にも定評がある。
けれども本日、この店の客は独りの男だけ。シアンを独占する大層贅沢な客人。
予め連絡し貸切にした常連客。女性受けなら引けを取らぬ色男、銀髪のヴァイロである。
「幾ら虎の子の竜が負け色々叩かれたとはいえ、それで私に泣きつく程、お前は軟弱だったかな?」
注文も聞かず馴染みのブレンドを淹れるシアン。そのブレンドのオリジナリティもさることながら、白い陶器のカップも実に良い造形。
薔薇の花をイメージした造り、裏には名工の名が刻んである良き器。
「当然、ノヴァンの強さは寧ろ想定通り。彼奴はこれから強くなる。今夜はアンタに慰めて貰いに来た訳じゃない」
「ほぅ……じゃあ何かな?」
疑問を投げる割、相手の顔を見ない興味なさげなシアン。
「喫茶店の店主じゃない、もう一つの力を借りたいって相談だよ」
ヴァイロは珈琲の香りを楽しみつつ、シアンの反応がすこぶる楽しみ。ニヤリッと笑いシアンの動向を緩んだ赤い瞳で見やる。
「──もう一つの力……さて? 一体何の話だ?」
顔色一つ変えずシアンは応えるのだが、ヴァイロと視線を決して交換しない。それが後ろめたさなのか、本当に興味がないのかは定かでない。
「この店の恐らく地下で大事に囲っている、貴族達から強奪した芸術品の数々を公言してもか?」
「………何が望みだ」
さも挑発的なヴァイロの一言。
途端、シアンの目が鋭さ帯びる。ギロリッと睨みを利かせ瞬き一つ残らず置き去りにする。
カウンターの裏、相手の死角である左手。何を握っているのやら。
「待て待て、傭兵シアン様に刃物沙汰を挑む程、俺は馬鹿じゃない。だから左手の果物ナイフで俺の首元を狙わんでくれ」
「ハァ……」
緩み切った顔のヴァイロ、両手を挙げ戦闘の意志がないことをアピールする余裕面。
シアンは左手の得物を見抜かれ溜息をつく。観念した様子でカウンターの上、ナイフを静かに置いた。
「貴族共が大層汚い金で手にした美術品。それも亡き旦那様の御父様の作品ばかり。言わば自分の物を取り返しただけの話。言いふらすってのは嘘だ。悪戯が過ぎた、済まない」
ヴァイロは仰々しく席を立ち、非礼を詫びるべく深々と頭を下げた。