第12話 無慈悲なるᚲᛅᛁᚲᛟᚢの序曲
一番弟子アギドが唱えた存在自体を闇に屠る『絶望之淵』
防御系魔法を極めたミリアが唱えた新月の如き陽の光さえ遮る『新月の守り手』
爆炎と共に歩むアズールが唱えた最強の焔『紅の爆炎』
これら暗黒神魔術最強に位置する術式を錬成陣の中で様々な代価と混ぜ合わせたヴァイロ・カノン・アルベェリアの稀有なる具現化能力。
彼自身の影を投影した黒い竜を錬成するヴァイロの神憑りなる創造力だ。
されどこれだけでは黒い竜を形どったハリボテが出来るだけ。
此処へ竜の音色を名前に冠したリンネの心跳ねる自由な宴が、彼女の意識を黒い竜に注ぎ込んだ。
斯くして黒い竜がこの世界軸に初めて現界せしめた。
それにしても紅色の細目と、何もかも喰い散らす獰猛な口の奥から偶に覗かせる舌以外、全てに於いて色彩を置き去りした姿形。
カノンの岩肌を彷彿させるゴツゴツした鱗の黒。
直径200mの胎内そのままの全長と同一ではない。
飛んでいるので距離感を掴み辛いのだが、その半分、それも驚異転じた錯覚が盛った測りか。
されども蝙蝠の様な両翼を広げた分を算段に加えるなら、充分な現実に化けるかも知れなかった。
錬成の対価と為した飛竜──別の種族を匂わせた。
但し大きさだけなら、白銀の少女が連れて来た白い竜と瓜二つか。
白と黒──。
この両者だけ、別格なる雰囲気漂わせた。
『陽光乏しきカノンと、それを仕切る暗黒の神を素のまま形に成した姿』
ヴァイロからの提案に乗った貴族共の適当な言伝が当て嵌まりゆく異端が宙を旋回し続ける。
黒い竜の赤目がギロリッとヴァイロを空から睨む。黒の表層中、唯一異なる鋭き眼光。
様々な意味で釘付けなる人類達を、一瞬で消し炭にしそうな危険を孕む。
アレは本当に味方なのか? 心が淀んだ……。
『我を呼んだのは貴様か』
何気ない問いが大気を震わせ、そんな事象が見える気がした人間達。
「嗚呼、そうだ! だがお前の身体に色を付けたのは、そこの青い髪のアギド!」
「アギド……」
「そして鋼よりも強靭な鱗を成したのは、オレンジの瞳が綺麗なミリアだ!」
「ミリア……」
生誕したての竜に逐一、力の源を与えた人物として紹介するヴァイロ。さしもの彼とて竜に圧倒されながら主人としての虚勢を張るのだ。
聞く都度、己に力を授けた者の名前を呟き、対象者に視線をゆるりと届ける黒い竜。首振る度に空気が嘶く。
竜に首毎睨まれたアギドとミリア。目を合わせれば最後、石にされるメデューサを相手にしているかの如き戦慄、視線を重ね絡めきれない。
「さらに岩をも溶かす高熱の炎の息をお前に与えたのは、赤い髪の少年アズールだ」
「し、少年は余計だ」
「アズール……」
アギドとミリア、二人と大して変わらない年齢なのに態々少年と格下げされた紹介に憮然とするアズール。
かなり震え怯む気分滲ませつつ、彼だけ竜の赤い視線を睨み返した。
「そして貴様のその声と自由な意志を与えたのが、緑色の髪……」
「リンネであろう? 理由は知らぬがこの女だけは知っている、歌も聞こえていた。貴様の女だな」
黒い竜が赤目を僅かに細める煽り。
リンネへ送る凝視だけ、他と異なる穏やかさを何故だか帯びる。加えてリンネの身体の下に己の頭を垂れた。
「の、乗れって言うの?」
貴様の女と思わぬ煽りを受けたリンネ。『ヴァイと私の子供を作る』そんな恥ずかしい密かな願いが恐怖の対象である竜に染みたのか。
顔を紅潮させつつ、恐る恐る脚を伸ばしてゆっくりと首へしがみつきながら座る。
硬いと思われた皮膚が和らいで、リンネの腰の形にまるであつらえたかの如く変形したのだ。思いの外、座り心地が良いと感じたリンネ。黒い竜へ心僅かにその身を預けた。
──嗚呼……何だろこれ。あ、ヴァイと同じ匂いなんだ。
独り居心地良過ぎたリンネ、緑の瞳が少しとろける。まるで同棲者と共に寝るベッドを思わせた。
「確かにこの女のお陰で我は人語と好きに振舞う意志を与えられた。だがそれがどういう意味になるのか判らぬ貴様ではあるまい」
「嗚呼、そう…だな」
黒い竜が再び主人ヴァイロを睨む。
ヴァイロも見上げたまま、瞬きひとつせずに応じた。
「え、えっ?」
「クッ!」
一挙に走り往く緊張と絶望──。
訳が判らず視点が定まらないリンネ。
アギドは即座に状況を理解、舌打ちしながら剣の柄を握り締めた。
「意志を与えた、必ずしもヴァイの云うことを利くとは限らないと云う意味だ」
険しさ深め、眉寄せるアギドからの警告。
「そう……でしょうね」
「なッ!?」
躊躇い含むミリアの返答、表情にも緊張が滲む。されど何処か達観してた様子も混じる。
慌てふためくアズールが赤い瞳を見開き、竜と皆の間を視線が幾度も行き来するのだ。
飼い犬に在らずの竜、寧ろ自分達に取って最大の脅威に為るかも知れない。
然し先程の模擬戦と錬成術で相当な魔力を3人共消費した。
いや──例え万全であったとしても、こんな生き物に敵うのであろうか。皆の冷や汗が止まらない。
「確かにな──だが俺が貴様の身体を形作り、彼女が命を与えたと言っても過言ではない!」
暗黒神──。
リンネが黒い神竜の母であるなら、父と云うべき存在が独り、多いに吼えた。いつの間にやら愛刀『紅色の蜃気楼』を従えていた。
「貴様が我を元の塵屑に戻せると?」
「フフッ……だとしたらどうするかな?」
ニヤリッと冷笑湛えたヴァイロと、さも面白くない顔つきの竜の視線が絡み合う。緊張溢れた沈黙の時間が暫く続いた。
涙潤ませ祈る気分のリンネ、乗馬の感じで思わず黒い竜の首元を、命の温かみで優しく撫でた。
生まれたばかり、余りに早計過ぎる反抗期。然も手に余るも甚だしい。
「判った……取り合えず貴様の口車にのってやろうぞ」
リンネの気持ちが大き過ぎる子供に届いたのか。父ヴァイロを見下したまま神竜としての威厳は保つ。
「お前素直じゃないな、俺じゃなくてその女に逆らう気がないと言えないのか?」
如何にか折れてくれた黒い竜に赤い歪な大剣を差し向け、未だ冷たき視線を流すヴァイロの嘲笑。
ギロリッ。
「……余り調子に乗らん方が身の為だ」
地上に居る総ての人間共を見渡していた竜が黒ずくめの魔導士だけを目線で刺し貫いた。ほんの僅か息を含み赤い炎を吐く牽制の動きを見せる。
ヴァイロの問いが正解だと認めてしまった自身を判らぬ人間臭い仕草を覗かせた。
散々煽っておきながらその実、ヴァイロも内心ホッとしていた。
黒い竜──。
然も意志を持ち得た化物を錬成する一大事業。これに賛同した出資者達にも面目が如何にか立った次第。
それにしても不可解なヴァイロの思惑──。
戦之女神と対峙すべく竜を錬成するのは頷ける。
だが何故反旗を翻すかも知れぬ意志まで与えたのか。
造ればそれで終わりではないヴァイロの思考があるのだ。
取り合えず自分達が錬成した竜と一戦交える底辺の事態は回避出来た。
アギドが剣の柄を手離そうとした次の瞬間、事態は風雲急を告げる。黒と真逆の究極が津波の様に押し寄せるのだ。




