第11話 竜の宴
直径200mは、あろうかと思われる巨大な錬成陣。これを敢えて陽の当らぬ谷底に生成したヴァイロ・カノン・アルベェリア。
然しながら陣を形成出来る地面が存在しない故、ヴァイロ等が魔法で谷を削り、場所を確保する処から始まった。
その陣の中に例の材料、ワイバーンの羽根・牙・心臓5体分。金貨50枚、溶岩に宝石の原石などが積まれている。恐らく材料に関してはエディウスのものとほぼ一致する。
されど向こうは白く美しき人々に恵みを施す神殿。此方は荒れ果てた暗がりの大地。錬成陣を描いた場所の差だけでも聖と闇、天地程の開きを思わせる。
「おおっ! こ、これが……」
「我々も歴史の立会人に成れるのか?」
アドノス島、唯一の王都フォルデノより見物に来た出資者達。寧ろそんな荒野に忽然と出現した感のある景色だけで身勝手にも気分昂るお祭り気分。
「何とも愚かな人達でございますわ。こんなものを再構築した処でドラゴンに似た何かが出来るだけというのに」
「まあそう言ってくれるなミリア。ただの魔法ですら珍しいと感じる連中だ」
ミリアは悍ましいものを見る様な視線で、出資者達を罵倒する。ヴァイロが後ろから肩を優しく叩いて窘めた。
「然しヴァイ、本当にお前の言う力を加えれば竜が成せるのか?」
「そんなもの多分としか言えんな。出来なかったら『残念でした』と、笑いながら逃げるだけさ」
アギドも正直半信半疑であり、冷たき視線はミリアのそれと大差ない。
ヴァイロは肩を竦めてやれやれといった態度で苦笑混じりで応じた。
「兎も角皆、手筈通りにやるだけだ。まあ宜しく頼む……特にリンネ」
「あ、う、うん……」
「よし、じゃあ始めるとしよう。神が出るか蛇みたいのが出るか、楽しみだ」
ヴァイロ、リンネ、アギド、ミリア、アズールが、錬成陣周囲の持ち場にそれぞれ付く。
楽しみだなどと白い歯を見せているのはヴァイロだけ。他の4人は緊張した面持ちを崩せやしない。
ヴァイロは錬成陣の北側、時計でいう12時と言える場所に降り立つ。9時の方向にアギド、3時の方にはミリア。ヴァイロと真逆の6時にアズールが踏ん反り返る。
そしてリンネは独り宙を浮きながら、錬成陣の中央を眺める位置で静止した。
「神の中で最も黒いヴァイロの名に於いて、今此処に我に忠実かつ神に匹敵する力を持つ黒きドラゴンを現界させるッ!」
ヴァイロの大袈裟を混ぜた宣言に観客達のどよめきが上がる。同時にヴァイロ以外の4人の意識が過敏に反応する。
「では先ず黒き者ッ! 参られよッ!」
9時の方向を陣取るアギドを指名。
「我、暗黒神にその力を問う。ルーナ・ノーヴァ! 陰なる究極の闇よ、クラビウスへ堕ち、賢者の海で永遠にその罪を悔いるがよい! ──『絶望之淵』ォ!!」
緊張の面持ちのまま、アギドの詠唱が完遂する。その広げた両手から、漆黒なる炎の塊が出現する。
絶望之淵とは、本来この術の標的にされた者の存在を歴史から葬る。
周囲の者達からも存在を忘れられるという途方もなく恐ろしい奇術。アギドがこの半年を掛けようやく会得した。
これを先ず錬成陣の中央にゆっくりと送り込む。ヴァイロの弟子で最も優秀な彼でさえ、冷や汗掻きながらの作業。この黒き炎が竜の色を成すらしい。
「次! ドラゴンの強靭なる皮膚をこれへ!」
3時の方角、ミリアの出番。
「ドラゴ・スケーラ、暗黒神の名に於いて来たれ新月の影。陽の光すら通さぬ衣を我に与えよ『新月の守り手』!」
新月の守り手──。これ迄ミリアが使っていた防御系魔法フェルメザを遥かに凌ぐ最強の守備魔法。
物理も魔法も正に陽光すら通さぬ日食の如き術だ。これを彼女は魔法陣の中心に置かれた黒き炎へ付与するのだ。
本来なら術者本人に掛けるものを人ならざるものへ。このコントロールは実に難しい。
「さあ、竜の息を、6時の者よ!」
「ヘルズ・フィアー、暗黒神の炎よ、神すら恐れる地獄の大焦熱を『紅の爆炎』!」
アズールが爆炎系最強の呪文を詠唱する。両手に爆炎の元になる巨大な火の玉を抱え、それらを一つに集約してから、これをやはり中央の黒き炎へ飛ばす。
然も吹き飛ばす為ではなく、中央の炎へ注ぎ込もうというのだ。破壊ではなくこれも付与。
三人共、ヴァイロの指示で既に幾度も練習を重ねたとはいえ、やはり本番の緊張度合は勝手が違い過ぎる。
──凄い……三人共良くぞ此処迄……さてと、次は俺の制御だ!
「黒き炎よ、対価を喰らい竜の形を成す事を我が赦す!」
ヴァイロが錬成陣の前で膝付き左手で陣に直接触れる。不浄の左手を敢えて用いる。
これから錬成するものは、決して聖を司る訳ではない。
「おおっ!」
「み、見ろっ! 黒い炎が巨大な何かに変わってゆくぞっ!」
長い首、巨大な翼、強靭な4本の脚。夢物語にしか居ないドラゴンの形を鮮明に成してゆく。されど未だ炎の塊である事には違いない。
──良いぞ……アズが描いた絵を見て、俺が頭の中で思い描いたドラゴンそのものに成りつつある。
これがヴァイロにしか出来ない力の行使。彼はやがてこの力が『扉を開く者』と呼ばれる様になる未来の歴史を知らない。
自ら創造するものを自由に具現化出来る能力。今はこの力を掘り下げても仕方ない。
「リンネッ! 仕上げを頼む!」
4人共、自らの力の調整に、必死の形相で全集中。後は陣の中央に浮く彼女に全てを託す。
リンネはハープを奏でつつ歌を紡ぎ始める。
普段のハスキーな彼女の声からは想像もつかない美しき調べ。闇に与する者を呼び出す儀式に場違いなる華やか過ぎる歌。
「暗き~谷間に響け咆哮~。幾千~の人々の伝承~。我の声を聞き我がものへと変えよ~……」
リンネの歌声が谷間に響き渡る。その調べと光景に見る者達は五感総てを囚われる。
「さあ、黒き竜よ! 今こそ此方へ! 竜の宴を始めよう! そして我が竜音の声を授けよう!」
リンネの凛々しい呼び掛け。
それに準じたのか、これまで誰も聞いたことない雄叫びが世界に轟く。初めて聞くのに、これは正しく竜の声だと確信出来る不可思議。
「叫べ竜! 飛べよ竜! リンネと共に歌おうぞ! 『竜の宴』ォォォ!!」
黒き炎にリンネの声が確実に届いた。聴いた全ての者は根拠がないのに確信へ至る。
揺らぐ炎が脚の辺りから徐々に固定化してゆく。爪、足の指、脚、腹……その全てが闇色。
人間達が初めて目にするそれは、巨大な翼を広げてリンネの辺りまで飛ぶと旋回飛行を始めた。
「貴様か? 自らの影を我が身と成したのは?」
それが黒き竜が最初に告げた言葉であった。その声色、この地上に居る総てをひれ伏せる程の凄烈さを感じさせた。