第8話 白闇の迷宮(ᚹᚺᛁᛏᛖ ᛞᚨᚱᚲᚾᛖᛊ LABYRINTH)
戦之女神とその御使いである白い竜シグノ──。
件の悪夢を未だ引き摺るヴァイロ・カノン・アルベェリア。
夢幻でなき現実を連れ現れた両者をぎりぎりのせめぎ合いで如何にか退けた。
「見ろ、もう朝だぜ」
アドノス島に於いて他の場所より陽の訪れ遅きカノンの夜空が白み始める。
未だエディウスとの戦闘の気分冷めやらぬアズールが、赤い髪揺らし当然の日常を思わず漏らす。
白鳥の様なシグノが散らした羽根が朝日に照らされ煌めき放つ。
その周囲にはエディウスが人である証の血が交わる。否応なしに聖なる存在を押し付けられた憂鬱に堕ちた若者達。
皆、よくぞこの朝日を拝めたものだと感慨に耽るのだ。
腕がある、脚が地面を支える。
ヴァイロ、リンネ、アギド、ミリア、アズール──。
未だ老人には程遠い若輩者、己の生命が此処に存在する喜びを噛み締めた。
アギドは独り、悔しさ滲む気分を押し殺す。
結局の処、ヴァイロが振るう紅色の蜃気楼がなければ全滅必死であった。
また同時に違う疑問を抱き、答え合わせの出来ぬ彼らしからぬ無駄な思考を巡らせるのだ。
──なんだ……あの境界線の刃とは? 最後まで力の根源が掴めなかった。
エディウスは言わずと知れた戦の女神。
彼女に祈りを捧げ奇跡の御業を振るう──それは神聖術の類だ。そうした意味では自分達が操る暗黒神の魔導とて同義。神の力を拝借するのだ。
彼等が手本にしている森の女神──。
無詠唱で術が行使出来たとの伝承が在る。
されどそれは黙読してるか或いは脳裏に叩き込み、心で詠唱しているに過ぎぬ。彼女の魔導書が残されているのが何よりの証拠だ。
だが白銀の女神が剣の太刀筋から放ったあの力、魔力も祈りさえも捉えられなかった。仮にあの竜之牙に封じられた力だとしても腑に落ちないのだ。
結果、子供達の命を護り抜いた灰色のヴァイロは、ミリアが拾ったエディウスの落とし物に独り魅入る。
──これはあのシグノとか云う竜の錬成式。……だがこの見えざる力とは一体何だ?
ヴァイロとてこれしきの錬成ならば己の技量だけで充分成し得る自信があるのだ。
然し昨日の夕方、リンネに漏らした愚痴。漆黒の竜を呼び出す決め手に欠けていた。それは魂──意思の情報である。
竜の器だけなら難題に非ず。
仮にエディウスがこの錬成術でシグノを創造したのだとすれば、あの竜に意志は皆無。エディウスは実の処、騎乗者ではなく操舵者──操りの竜と云う結論に至るのだ。
なれどエディウスを護る動きが生物の様子匂わす。召喚者である彼女を是が非でも守護する契約を強いた可能性も否定は出来ない。
「──ヴァイ、顔色が優れませんわ。昨晩寝ていないのでは」
怪訝な表情で腕組み頭捻らすヴァイロに恐る恐る声を掛けるミリア。
昨晩リンネと何があったのか殆ど察した女の勘。白銀の少女が竜に騎乗し突如現れた時も様子がおかしかった。
尤もそちらについてなら、疚しき理由ではない。
然しミリアはおろか、頭が余分に働くアギドでさえ、何かあったと一応気にした。だが彼の場合、そこらに首を出すのは遠慮していた。
バッ!
「な、何にもないったら。ヴァイも慣れない戦闘で疲れた……だ…け」
──ムッ……。
何故か着崩れたドレスはためかせヴァイロの前、両の手を広げ立ちはだかり膨れっ面で睨みつけ、ミリアの邪魔をするリンネ。
こればかりは若過ぎる少女の迂闊──『何かあった』と受け取られて然るべき体現と云わざるを得ない。
ミリアの静かなる怒りを引き出す必然。「そうでございますか」と言い残しミリアはこれ以上の詮索を無駄だと捨てた。
本音は犬の様に喰い下がりたい。然しミリア、あくまで自分の方が大人の品格見せたがる意地、寂しくも貫くのだ。
それからミリアは「寝たりないので帰らせて頂きますわ」と言い残しその場を後にした。ヴァイロが貸した黒マントだけは肌身離さず持ち去った。
「ヴァイ──話がある。お前はあの白い連中のこと知っているのか」
暗黒神の子供達、人の入れ代わりがやたら激しさ帯びる。冷たい声音と視線で師匠を上から蔑むような視線。眼鏡の下から覗かせたのはアギドである。
師匠ヴァイロ──。
普段と変わらぬ仕草を装い、アギドと視線を絡ませない。戦之女神が落とした錬成術の記された紙切れに視線を落とし続けた。
「いや……知らん。ただ、夢で同じ様なのを見ただけだ」
未だ陽光の暖かみ足りぬ地面に寝転がり、アギドの質問に興味なさげな面構えで応じるヴァイロ。
立ち尽くしたままのアギド──俺の師匠は嘘が下手。いや、そもそも嘘が付けないと改めて|諦めた。知らぬ存ぜぬを通すのなら『夢で見た』などと余分は吐かぬもの。
「夢──予知夢という奴か」
「そんな偉そうなもんじゃないさ」
ヴァイロは未だ目を逸らしたままアギドの問いに答え続ける。
悪夢の結果──?
弟子の中で最も頼り甲斐あるアギドだからこそはぐらかすのだが、アギドは訳在り。虚しい筒抜けなのだ。
「ヴァイ、お前は俺の師。俺はただ従うだけ……だがな」
不意にしゃがみ、師匠ヴァイロに耳打ちするアギド。
真面目腐った顔を急に近づけられ、ヴァイロは思わず引いた。
「戦之女神と巨大な竜、あんな化け物相手にお前の大事な者達を護りたいなら、出し惜しみ抜きでアンタの力。俺だけには全部渡して欲しいものだ」
「──ッ!?」
聡明なアギドには自ずと知れた。自分の師が暗黒神としての力を自分達に全て明かしてない事実を。
優しき暗黒神、これ以上自らの術を授け、大切な弟子達を危険に晒したくはない。今まではそれで事足りた。然し執拗な話、相手は神なのだ。
「でなければお前の愛する者を失うぞ」
冷酷な言葉を甘ったれた師の胸に刻むと身を翻し、アギドもその場を後にした。
◇◇
白銀の少女は、ロッギオネ迄の帰宅に於ける道中。自らを神と見做す司祭の回復の奇跡『生命之泉』を用い、暗黒神とその従者達にやられた傷を癒していた。
細胞分裂の超活性化を促すこの御業。上級者ならどんな重傷も瞬時に治癒可能。但し細胞分裂の逝き着く先、語らずとも知れるであろう。
アディスティラより僅か離れた場所に愛竜シグノを降ろしたエディウス。
自身を崇める神殿へ敗北抱えた苦い朝帰り。心貧しい佇まいを見られたくない独りの人間に過ぎない。
ガシャンッ!
「ふぅ……」
神殿の地下、自分の寝所に帰り着いた女神が白銀の鎧を脱ぎ落した音。
ただの少女へ返り咲く。軽く湯浴みを済ませ、そのままの姿で飾り付け鮮やかなベッドに潜り込んだ。
ヌッ。
白い腿を舐める様に突如触られゾッとするエディウス。ベッドの中、何者かが潜んでいた。
「る、ルオラッ、な、何故此処に?」
白かった顔を瞬時、朱色に染め抜き縮こまる少女の文句。声が上擦る。
ベッドの脇に身を寄せ捻じるエディウス。
シーツの中、盛りのついた大きな猫が蠢き彼女に迫るのがみえた。
「あら? あらあらぁ? ちゃんと寝ないで帰りを待っていたのに随分な御挨拶じゃなくてエディ?」
満月──大層盛っていた前夜。
お愉しみが自分の部屋に遊びに来なかった賢士──いや、ただの色艶深い女性。崇め奉る女神をさも楽し気に愛称で呼んだ。




