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07 もっと暗い原因連想しちゃったんだよね

 据わった目でずいっと顔を寄せられると強く出られない。だが、かな子さんは頑なに表へ出ようとしなかった。表面に出ることを厭っているようだ。


 っち、と山崎は舌打ちした。普段の愛想良さからは想像できないブラックっぷりだ。もしかしてこっちが本性なのか、と疑ってしまう。所在ない巧をちくちくと視線で刺し、それでも結論を覆せないと判断すると、嫌々山崎が口を開いた。


「かな子さんって何がしたくて自殺したのかなって思ったんだよ」


 巧は眉間にしわを寄せた。そんなん決まっとるやろ。


「意に沿わん結婚が嫌やったんや」

「それが一つ」


 ひとつ? と巧が眉根を寄せると、山崎はあごを引いた。


「うん。それだけにしては、いろいろ繋がる気しない? 俺、未練が何かはよくわかんないけど、自殺を選んだ動機? ってのは、心当たりが他にも浮かぶ」


 昔は当人の感情など無視して、親の都合で相手が決まることも多かった。かな子さんも承知していたのではないか。自殺に至った要因が一つとは限らない、と山崎が推論する。


「好きな人と結ばれへんかった。将来に悲観した、とか?」

「そうそう。孤独に耐えられなかったとか」


 巧は地面へと目線を転じた。かな子さんは一人ぼっちであることに耐えられなかったのか。身体も心もぼろぼろになっていた事実を思い出す。まさにどん底という言葉が相応しかった。あの状況でも支えてくれる誰か一人でもいたら、結末は違っていたのだろうか。


「そうやな……」


 巧は一人でいることが苦痛ではない。他人を煩わしく思い、自分から距離を置いてきた。その原因は巧が少数派であるためだ。方言は奇妙なほど周囲から浮いて聞こえる。わずかな調子(トーン)の違いが亀裂を生むのだ。


 今のところ誰とも衝突していないが、何がきっかけで周囲から避けられるかわからない。敬遠だけで済むなら楽なほうだ。暴力にまで発展し、肉体と精神どちらも苦痛を味合わされる可能性も他人より高い。その場合、一人きりでいるのは辛すぎる。


 まぁ、高校まできて、いじめはないやろうけど。

 それを意識できる身としては、かな子さんへの同情も増すものだ。


 挙句身内誰もおらんくなったら、どうなっとるんやろう。それでも生きてようって思えるんやろか。立ち向かえるんやろか。あんな惨い仕打ちに耐えられるんか。

 目をつむると、簡単に地を這うかな子さんが映る。状況が違っても同じ目にあったとき、死を選ばないと言い切れるか。


「巧って考えてること顔に出んのな。かな子さんが選んだの、わかってきたなぁ」


 は? と巧が困惑すると、山崎は薄く笑んでいた。


「俺はさ、もっと暗い原因連想しちゃったわけよ。自殺って他人への当てこすりとか、抗議、自己満足って部分も多いじゃん」


 ざぁぁ、と木々が揺れた。川の流れる音がやけに大きく聞こえる。そんな一瞬、空気が冷えた。巧は、自分の思い至った可能性に、息を詰める。喉が上下した。手のひらにかいた汗をシャツにこすりつけながら、山崎を見据える。


「まさか、津路崎への復讐……? いや、でも」


 あのかな子さんに限って? 否定を望んで見つめた山崎は、至極真面目に言った。


「それもあるんじゃねぇ?」


 巧の顔が険しくなる。


「俺はさぁ、津路崎っていうより、その若様に対する復讐でもあった気がするんだ。――そうじゃないの、かな子さん」


 巧は自分の顔が微笑んでいる事実を、知りたくなかった。

 口が、勝手に動く。


「正解ですよ」




「何――言うてんねや、かな子さん! 山崎もなんつーこと言うんや! 意味わかってて言うとんのか!?」


 巧が血相を変えた。だが、その次には冷静な顔に戻っている。かな子さんが、出てきているのだ。


「陽ちゃんの言ったとおりですよ。私は死ぬことで意思を通し、復讐を果たしたんです。津路崎へ泥を塗ることも成功しました。奥方様はさぞ慌てられたでしょうね。まさか私が、懇意にしていただいているお貴族様の目に留まるなどと。婚姻をこんな形で破る羽目になるなどと。

 ――巧ちゃん。私はあなたが思うほど、人間ができていません。先ほど津路崎の荒れたお屋敷を見て私は思ったんです。……ざまぁみろって」


 巧は、傷ついた暗い笑みを浮かべる自分の顔を両手で挟んだ。そんな笑みをして欲しくなかった。これがかな子さんの本心ではないと、わかっていたからだ。


違う(ちゃう)やろかな子さん。十年以上過ごしたあそこを、本当にあんたが恨んでたとは思わん。だってあそこで、あんたは出会ったんや好きな人に」

「引き裂いたのもあの家ですよ。私が死のうと決めたのも」


 違う(ちゃう)やろ! 引き裂いたんは家やない。身分なんてくだらんもんや。あの時代のせいや。今やったら……いや、今でも……差はあるんかもしれへんけど……。あそこまで露骨やない。すべてを恨んで妬むには、幸福な時間もあったはずなんやから。


 そう巧は訴えられなかった。ずきん、ずきん、と頭痛がぶり返してきたせいだ。辛さを紛らわすために巧が額を押さえていたが、徐々に視界がぶれ始める。周囲がぐっと暗くなって、過去が重なったのだと気づいた。


 現在と違うのは、木々のようすと、落下防止用のフェンスがないことと――背後に校舎がないことだ。そして街に明かりが少ない。月が煌々と闇夜に浮かんでいるのが、枝葉の隙間からわかった。


 視界の主であるかな子さんが、土を掘り返していた。木立に潜んで穴を掘っていた。指先が黒く汚れても手を止めず、鋤や鍬があれば単純に掘ることのできる地面を、木切れで必死に。

 息切れしながらある程度の穴ができると、改めて周辺に誰もいないことを確認する。遠くに明かりが浮かんでいた。闇が濃い時代にそこだけぽつんと明るい場所がある。津路崎の屋敷だ。かな子さんは、夜中にそっと抜け出して来たのか。


 続いてかなこさんは、脇に置いてあった風呂敷包みから小さな箱を取り出した。おもちゃみたいな箱だった。飴や洋菓子が入っていたのかもしれない。カラフルでかわいらしい箱だ。


『――さん……、――さん……っ』


 箱を抱きしめて誰かの名前を繰り返す。涙声のせいでよく聞き取れない。肩が小刻みに震え、視界がぐにゃりと歪んだ。どんどん涙は溢れて、ぽたぽたと箱や手の甲に落ちていく。ごめんなさい。ごめんなさい。名前を呼びながら謝り続けている。


 先ほどの場所まで戻ってくると、穴の底に箱をそっと置いた。片手で涙を拭いながら、掘り返した土を丁寧に戻していく。ごめんなさい。許してください。ごめんなさい――


『……巧ちゃん?』


 頭の中でかな子さんがこちらを窺う気配がした。数度巧は瞬いた。木々の奥にはフェンスがあり、振り返ると旧校舎がある。


「くそ、またか」


 どうやらまた過去を覗いていたようだ。山崎が気づいてないため、ほんの一瞬だったのか。

 くそ。などと悪態をついても自分ではコントロールできないのだから、仕方ない。


 どうやらかな子さんの感情の揺れで、この再生は始まるらしい。覗き見しているようで後ろめたい。ましてやさっきのアレは、確実に人目を避けたかな子さんの秘密だった。


 ごめんなさいってどういう意味や。

 かな子さんは泣きながら何を埋めていた。箱……そうだ、小さな箱だ。そう思いながらも、巧は今『視てきた』内容を脇へやった。


「かな子さんは、『若様』まで恨んどんのか」


 激しい頭痛に見舞われ、巧は歯を食いしばる。かな子さんが揺れている。動揺しないよう慎重になっているようでも、巧にはわかる。しばしの時間を要してから、かな子さんは表向きには冷静な返事をくれた。


「そっとしておいて欲しかったのです。私はこの気持ちだけで、良かった」


 ささやかな幸せに、満ち足りていた。


 過去のかな子さんも、同じことを言っていた。目が合った一瞬、言葉を交わす一瞬……そんなものだけで幸せだったと。あの人が幸せであれば、自分も幸せだと。

 かな子さんは見るばかりの恋をしていた。触れることさえ許されない恋を。


「あの方とのことは、それ以上を望みません。結ばれるなどと、おこがましい」

「だけどあの男は望んでたやろ。かな子さんが言えんかったこと、あいつは言うたんやで。なんでかな子さん――ぬあ!?」


 背中に突如重みがかかった。座っていた巧の背中に、山崎が乗りかかっている。


「巧ぃ、一人芝居がすげーことになってるから、熱さましてくれる?」

「俺かて好きでこんなんするか!」

「ほらまた熱くなるー。腹減ったなら、さっきコンビニで買ってきた奴あるだろ。もう全部食ったの? 普段の巧と違い過ぎて笑えるけど、だんだん洒落になんねぇっつーか」


 巧の沸騰した頭が最後の一言で静まっていく。確かに普段はこれほど情緒不安定ではない。大声もそう出さない冷めた人間だ。しかし、今日一日でどれだけ怒鳴ったことか。これほどの激情が身の内に存在していた事実に驚かされる。


「かな子さんの影響受けすぎ」


 山崎の苦笑が、困惑を伝えてくる。そうなんやろか。影響……されとんのか……?

 山崎はレジ袋から取り出したスポーツ飲料を、巧へ渡した。


「巧は怒ってるけど、俺は何となくわかるんだよな」

「……」

「かな子さんさぁ、今でも好きなんだ『若様』が。だから死んだんだ。その男がかな子さんを覚えていてくれるように。大切な人を自分のせいで失ったって後悔してくれるように」


 淡々と山崎は言った。

 丈夫な身体ではないのに無理を押して戦争へ行ってしまった男が、後悔してくれたらいい、男にとってそれだけ深い存在であったらいいと願った。そうすれば、ずっと覚えていてくれるだろう、と。


 男が戦争など行かなければ。かな子さんを好いたりしなければ。

 かな子さんを望めるほど強い意志があれば。

 自分の母親を強く説得してくれさえすれば。

 あんな目にあわずにすんだ。

 自分で自分を殺さずにすんだ。

 そこに芽生えた悪意の欠片が、復讐という闇を招いた。


「しかもさ、これは『若様』が無事に帰ってきたらっていう仮定付きの呪縛だよ。巧はかな子さんの我がままを……願いをまだ責める?」


 いや、と巧が小さく否定した。責めるつもりはなかったのだ。嘆きを殺して冷淡に振る舞う彼女が、悲しかった。自分を偽る彼女が。


 巧の腕が、意に反してするりと動いた。自分の胸をぽんぽんと手のひらで叩く。


「巧ちゃんはいい子ですね。やさしい、いい子です」


 やわらかな肯定だった。これを真実求めていたのは、彼女のほうなのに。


「陽ちゃんも、私の代わりに言ってくれてありがとう」


 山崎がにこ、と笑みをつくった。当然でしょ? とでも言うように。


「それでここに何があるのか、教えてくれるの」


 かな子さんが目を伏せた。憂いに沈んでいくのが巧にはわかった。脳裏に、先ほどのイメージが蘇る。男の名前を呼びながら謝罪を繰り返したかな子さんが。


「私の、想いです……」


 回答を躊躇うかな子さんは、ぽつりとこぼした。しばしの時間を要して。

 あれこそが未練だったのか。


「ここには、私の宝物を埋めました」






 たからもの、と少年二人は同時に呟いた。


「と言っても私にとっての、です。触れてはいけない宝物なんです」


 かな子さんにしか価値のない宝物が、ここに埋めてある。何十年も触れず、半端な距離で守ってきた宝物が。


「どうして埋めちゃったの。大切なものだったんでしょ?」


 くすり、とかな子さんが微笑んだ。


「はい。大切なものなんです。誰にも触って欲しくなくて、この宝物の傍にいたくて、ずっと私はここにいたんです……。中途半端ですよね。死んじゃってるから、宝物に触れることなんてできないのに。そしたら運悪く校舎が建てられてしまって、私の居場所は女子トイレになっちゃったみたいですけどぉ」


 あははと笑い声を立てる。もう、嫌ですよねぇ? と話を振ったかな子さんは、山崎がぱんぱんとジーンズを払って立ち上がるのを見た。


「ここのどの辺りかわかるの? かな子さん」

「……探すつもりですか? 陽ちゃんには、価値のないものですよ」


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