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01 相談に乗ってくれない?

 本当は、あなたを待っていたかった

 待てなかった私を、思いを告げることさえできなかった私を

 あなたは許してくださったでしょうか


 ――陽介さん



 *

 *




「あのさぁ、巧。相談に乗ってくれない? ちょっともう、どうしたらいいかわかんなくて」

 そう持ちかけてきた山崎へ安易に了承したことを、巧は後悔していた。


 窓の外では雷雨が暴走中だ。窓ガラスを叩きつける水のつぶてが、視界を不明瞭なものにする。合図したようにぎしぎしと床板が悲鳴を上げ、古びたライトが明滅した。

 突然の暗がりに、巧は眉根を寄せて立ち止まる。まだ午後の四時前なのに周囲が薄暗いのは、曇天のせいだ。夕立である。廊下から見える木々は、暴雨を喜ばせるように大きく揺れている。少し前まであれほどうるさかったセミやら虫の鳴き声は、聞こえない。この雨の中、鳴き続ける根性はないようだ。


 消えた明かりはすぐさま光を取り戻した。

「おい、どこ行くんや。話ならここらでええやろ?」

 ひょいひょい長い廊下を進む山崎が、ため息混じりに肩をすくめた。

「この先の旧校舎なんだ」


 水浸しの渡り廊下に、巧はうんざりした。屋根の意味がない。立っているだけで顔まで水しぶきが飛んでくる。先に行く、と山崎が走った。意を決して巧も後に続く。梢を揺らす木々に埋もれるように建った、古びた校舎を目指して。


 山崎は補習仲間だ。

 いつも女子からお菓子をもらっているイメージが強い。休み時間になると、飴やクッキー、チョコレート、スナック菓子をしょっちゅう頬張っていた。巧はそのたびげんなりしたものだ。甘いものは苦手なので、そのにおいが漂うだけで胸焼けがする。視界に入れまいとしても、奴の席は斜め前である。姦しい女子に囲まれ、よく山崎は笑っていた。


 しかし補習で顔を合わせているうちに、単に大食いなのだと気づいた。飯だけでは足りないため、菓子にまで手を出していたのだ。

 補習中はエネルギーを充填してくれる当てがなく、いつも机に突っ伏していた。ぐるぐる鳴る腹の音とシャーペンを動かすことさえ辛そうで、つい巧が「食うか」と持ってきたおにぎりを分け与えてしまったほどだ。


 え、くれんの? うわぁ、サンキュー! と目を輝かせた山崎に面食らったものだ。ただのおにぎりを、やたら美味そうに頬張るのだから。

 女子の集っていた理由はこれか。これほど美味しい美味しいと食べてくれる相手が、人懐こい山崎ならば尚更か。


 しかし、それがまずかった。翌日から顔を合わせるたび「何かちょうだい」と寄ってくる。朝飯食っとらんのか、と巧が呆れると、全然足りねーの、と奴はけろりと応えた。お前んとこのおにぎり美味いんだもん、と腹に収めていく。


 餌付けしてしまった、と気づいたときには遅かった。

 相談に乗って欲しい――そんなことを改めて言われ、柄にもなく気持ちが傾いたことも、まずかった。相談を持ちかけられたのは久々だったのだ。

 巧は転校生だ。高校からこちらへ来たので、厳密には転校ではないが、関西弁は目だって仕方がなかった。明らかに浮いている。そのせいか、クラスメイトとろくに会話もせずにいた。


 偏屈持ちの巧は、それもいいか、と気にしなかった。孤独が苦ではないのだ。他人に振り回されず、好きに時間を費やせる。友人ならば地元にいる。無理に親しい人間を作る必要なんてない。

 三年間、静かでええやん。気ぃ楽やん?

 グループ学習で余り、体育でペアを作るときも余るが、気にならない。余る面子は大体コミュ障が多く、積極性に欠ける。巧は楽ができる。


 そのはずが、豪雨の中、人気のない旧校舎で、何故かぷち肝試し状態になっていた。

 カッと落ちた稲光が雷鳴を轟かせた。いったい、俺は何の相談を受けに来た? 無意識に二の腕をさすり、悪寒を感じていることに気づいた。


「山崎、肝試しかこれは」

「悪い。あの女子トイレが待ち合わせ場所なんだよ。というか、俺の悩みの元凶。……なぁこの雨、そろそろ止むと思う?」


 きょろ、と山崎が不安交じりに空を仰いだ。その傍らで女子トイレ、と巧がうなる。眉間にしわを寄せていると、山崎があわてて、


「あっ、別に何かしようってわけじゃねーから。痴漢とかじゃ断じて!」

「……待ち合わせって?」

 疲れたように笑う山崎は、意味深な色を浮かべた。


「来たらわかる」


 この旧校舎は夏休みの間に取り壊しが決定した、築五十年を過ぎた古い建物だ。耐震基準を満たさないため、危険指定を受けたのだ。ひびの入ったコンクリートの壁は、鉛筆か何かであちこちに小さく落書きがしてあった。細かな瑕だらけの板張りの廊下は、歩くたびきしんで嫌な音を立てる。窓ガラスは傷と汚れで曇っていた。

 つい最近まで旧校舎は部室棟として使われていたが、現在は封鎖されている。あらかた設備が撤去されたここを訪れる目的は、肝試しか、密会か、不良が溜まるためか。


 この旧校舎には噂があった。いわく――幽霊が出る。


 姿はないのに、女の人の声がした。どこからともなく泣き声がした。不意に、誰かに触られた感触があった。心霊写真が撮れた。校舎に入って、突然熱が出た。眩暈がした。といった『被害者』が続出していた。取り壊し工事でも何かが起こるのではないか……期待を込めてクラスメイトが噂していたものだ。


 幽霊なんか、ほんまにおるんやろか。

 山崎の相談内容は不明だが、この幽霊関係だったらどうしてくれよう。幽霊なんてものはありえない。あんなものは、偶然と錯覚のなせる業だ。そう思いつつ、その可能性を拭いきれないのは、巧も非日常を望んでいるからか。


 ふと、先を行く山崎の足が止まった。旧校舎の突き当たりにある女子トイレ前だ。右手にトイレの扉と二階への階段。前方には外へ出るための扉がある。ここか、と巧は四方へ目を向けた。山崎の待ち人がいるはずだ。しかし、人の気配はない。女子トイレから出てくるのか、これからここへやってくるのか。


 山崎は何もない空間に手を向けた。にこ、と笑顔を繕って、

「あのさ巧、この人がね、トイレの花子さんなんだ」

 ざああああ、という雨音がやけに大きく聞こえた。




 巧は視力の落ちてきている目を細め、山崎が示したトイレの扉を見つめた。一応、勉強するときにかけるメガネも取り出した。だが、そこにあるのは古びた木の扉だけである。


「……どこにおんねん」

 眉間にしわを寄せて扉をにらむ巧の傍らで、山崎はため息をこぼした。

「ほらぁ、やっぱダメだって、花子さん。もしかして男ならOKかなー、なんて思ったけど、巧わかんないってー」


「ですよねぇ。この人、ぜーんぜん私の姿、視えてないみたいですもんねぇ」


 突然二人の会話に割り込んできたのは、若い女の声だった。アニメのヒロインみたいな高く甘い声だ。すぐ傍で誰かが発したようなクリアなそれに、巧が訝って周囲をみやる。メガネをかけた視界でも、人影は何もない。この場にいるのは、雨で制服をぬらした山崎と巧だけだ。

 山崎ががっくり肩を落とした。


「何で俺だけ視えるかなー。他の幽霊が視えるってわけでもねーのにぃ。花子さん絶対何かやったでしょ。呪い? これ呪いなの? やっぱ俺、呪われてるの?」

「失礼ですねぇ。私は何もやってませんよぉ。あえて言うなら波長があってしまったってことではないですかぁ? ところで陽ちゃん、私は花子じゃありませんよぉ」

「波長が合うって何それ? もう、ほんっとうに俺困ってるんだから。花子さん助けたい気持ちはあるけど、こうも腹が減っちゃやってられない」


 巧は用心深くメガネを押し上げた。山崎の台詞に混じって聞こえる、この声は何だ。のほほんとした、ババくさい口調の声は。

 空耳ではないようだ。しかし、姿は見えない。辺りを警戒していた巧は、突然小さく飛び上がった。腕や胸の辺りをしきりにさする。今、何かが触れた気がした。ひやりとした感触に鳥肌が立つ。


「どしたの、巧」

「いや、何もないんやけど」


 巧は左右へ目を向けながら一歩、後退した。嫌な予感がした。そうだ。この校舎へ入った瞬間から、嫌な感じはあったのだ。気持ちが塞ぐような憂鬱さが、どんどん肥大化していく。


「陽ちゃん……もしかして、この人」

 耳元で声がしたそのときだった。巧の背中全体に、氷のようなものが押し付けられた。

「うわあああ!? な、なに? なんや、え、背中、冷た……!」

 悲鳴を上げて背中に手をやる巧へ、山崎がきょとんとする。

「花子さん、離れてみて?」

 背中の冷気がいっきに取り除かれた。

「花子さん、巧に触ってみて?」

「ちょ、冷たいからやめい!」


 大慌てで逃げると、肩や背中の冷たさが、再びすうっと消えた。どくん、どくん、と心臓が高鳴った。恐る恐る振り返ると、山崎がこちらを凝視している。それからぱああ、と光をまいたような笑顔になった。


「まさかわかるの? 花子さんわかるの? あれ、でも見えないんじゃなかったっけ」

 巧が舌打ちした。


「やった、花子さん、これで協力者二人目! 波長が合ったんだよー、巧ぃ」

「やったですね陽ちゃん。こんな素敵な人を見つけてくれるなんて! 声だけでも十分ありがたいですよぉ。おまけに感触があるなんて、グッジョブですよ!」


 聞き捨てならない単語に、「ちょい待て」と巧は声を張り上げた。協力者? 素敵な人? どういうことだ? なぜ幽霊と山崎が喜び合っている?


「なぁ、相談したいことある言うてたけど、お前、何させるつもりや」

「え? えーっとねぇ……俺の、呪いを解いてもらうためにー」


 じりじりとにじり寄った巧へ、しどろもどろ白状し始めた山崎の傍らから、うん、という声がした。手をぱん、と打ち合わせたような弾み具合で、


「陽ちゃん、私、この子に決めちゃいましたよ!」

「え? ちょっと待って花子さん。巧はそういうために呼んだんじゃなくって」


 何が決まったんや。

 ビビリモードが入る中、巧の喉がごくりとなった。そろーりそろーりと廊下を戻る。


「どこ、行くんですかぁ? ええっと、巧ちゃん、ですよね?」


 嫌な予感が的中したか。踵を返すより一瞬早く、冷たいなにかが覆いかぶさってきた。ぞくり、と悪寒が背中を走る。幽霊が抱きついているのだ。


「ダメですよぉ、逃げないでくださーい。私、あなたに決めたんですからぁ」


 耳元でささやかれた台詞にギョッとなって、巧は振り返る。耳を押さえて周囲を見渡したが、山崎以外いない。否、映らない。カッと視界を白く塗り替えたのは、先ほどから続く落雷だ。再び、一瞬だが照明は消えた。


「もう、私には時間がないんですぅ。お願いです、ちょっとの間だけでいいんです」


 ささやかれる声は甘ったるく、怖気がした。悲鳴をあげてがむしゃらに手を振り回したが、何も当たらない。先ほど消えたライトは明滅を繰り返して光を放った。


「待って、待ってまって、花子さんっ。巧は男だよ!? 巧を連れてきたの実験だって言ったじゃん! なんで決めちゃうの」

「陽ちゃん、私はかな子ですよぉ。それと、もうこの人に決めちゃったんですぅ。陽ちゃんの連れてくる女の子は全員ダメだったじゃないですかぁ」

「決めたって何やねん。なに耳元でごちゃごちゃ言ってんねん。おい、山崎、どういうこっちゃこれ――」


 まくし立てた巧の声は途中で途切れた。眩暈がしたのだ。何かが『入ってきた』ことに気づいた。いや、もしかしたら何かが巧と『重なった』のかも。訳がわからず自身を抱きしめた。巨大な冷蔵庫に入れられたような怖気がして、全身に鳥肌が立つ。震えが止まらない。

 うそでしょ、なんで、とうろたえる山崎を、巧は前髪の下からにらんだ。


「どういうこっちゃ、これは!」


 しかし、返事は意外なところから届いた。


「巧さんのぉ、お身体をお借りしちゃったのですよー。調子悪いのは最初だけですからぁ」


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