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一年前のあの日

 たった一年前なのに、遥か昔のことのように思える。



 我が家の使用人たちは、皆、朝が早い。

 日の出と共に働き始める者たちもいる。



「どうしよう。こんなみすぼらしい姿で、私だと信じてもらえるかしら」


 窪んだ目。くすんだ肌。それにこの貧相なドレス。もしかして汗をかいて臭ってないかしら。


 それでも、屋敷に近付かずにはいられない。




「おや? もしやお嬢様? どうされたというのです? こんなお時間に外に出られて」


 しゃがんで覗きこもうとしていた背中越しに、懐かしい声が聞こえた。執事のケルビンだ。


 ……ケルビン。

 あの日も、一言も文句を言うことなく、私の指示に従ってくれた。

 去り際に笑顔まで見せてくれて。

 そのことを思い出すと、頬を一筋の涙が伝った。


 だめよ。泣いていると余計に不審がられるわ。


 咄嗟にぬかるみを手に取って、顔やドレスに塗りたくった。

 そして振り返って茶目っ気たっぷりに笑う。


「お願い。お父様やお母様には内緒にしてね」

「まあ、そのようなお姿で、どうされたのです。一刻も早くお体をお清めください」


 この家の二階には、あの頃の“私”がまだ眠っている。そう思うと、なんだかおかしな気分。

 それよりも、早く着替えなきゃ。


 ケルビンが屋敷のドアを開けてくれた。


「コリーンにお召し替えのお手伝いを――」

「待って!」


 必要以上にきつい言い方になってしまったわ。

 コリーンに部屋に入られると、“私”が寝ているところを見られてしまう。


「コリーンにも内緒にしてほしいの。絶対にお母様に言い付けるんだもの。それよりも、タオルと――」


 多分、仕立て上がったばかりのドレスが、一階の衣装部屋に納められているはず。


「衣装部屋から新しいドレスを持ってきてほしいの」

「ふう。今日だけですよ。それでは、こちらにお持ちしておきますので、早く湯浴みを。口の固い者に準備させます」

「ありがとう」




 久しぶりの湯船は、体だけでなく心の奥底に染み付いた汚れまで、浮かび上がらせて流してくれた。


「……あ。こうしてはいられないわ。“私”は七時には起きて身支度をするはず。今、何時かしら」


 湯船から出て、濡れた髪の毛をタオルに挟んでいると、コリーンの声が聞こえた。

 また涙が出てくる。


「お嬢様。やっと雨が上がって外を歩きたいのはわかりますが、せめて朝食を召し上がってからになさいませ」


 ケルビンもコリーンを出し抜くことはできなかったのね。


「分かったわ。それよりもお母様には絶対に言わないでね。“私”自身にもよ」

「はい? お行儀よくしてくださるならお約束します」

「ありがとう!」


 コリーンの遠ざかる足音を聞きながら素早く着替える。


 肌触りのよい清潔なドレス。

 私、こんな素敵なドレスを毎日着ていたのね。




 調子に乗って、厨房で焼きたてのパンをつまみ食いさせてもらった。


「まあ、このようなところで、はしたない。今日はどうなさったのです? いつからそんな食いしん坊に?」


 料理人たちは、叱るような口調なのに、朗らかに笑っている。

 あの日、あんなに冷たく追い出してごめんなさい。

 あなたたちの料理が懐かしくたまらなかったのよ。


「今日はちょっと早く起きたのよ」


 不意に込み上げてきた涙を隠して笑ってみせ、慌てて厨房を出る。





「そういえば、さっき、『やっと雨が上がって』って言っていたっけ」


 ということは、今日があの日なのだ。私の運命を変えた日。




 一年間泣き暮らしていたけれど、酔っ払ったワイセラが自慢げに喋っていたことは覚えている。


 名だたる貴族の屋敷の使用人たちをたらしこんでは、秘密の情報を得ていたと。そしてそれを元に強請ると、面白いように金が集まったのだと。

 味を占めた彼は、情報だけでなく宝石類も盗ませては売り捌いていたのだ。

 ヘレナも金持ちの商人に、次々と言い寄っては貢がせていた。


 あの兄妹は、どちらも色仕掛けで手に入れたお金で暮らしていたのだ。


 そして、いよいよまとまった金を――家そのものを手に入れるために、目星をつけたのが私という訳だ。



 ……悔しい。

 私は、浅はかで騙しやすい世間知らずな女だったのね。

 でも、今日があの日なら、まだ間に合う。

 あのろくでなしと出会わなければいいのよ。



 これは、神様がくれた――ううん。アトモントンがくれた、やり直しのチャンスなんだわ。

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