カピバラカウンセラー
今回、人とカピバラの関わりについて書いてみました。
読んでいただければ幸いです。
午後8時、○○駅に電車が到着した。乗客が次々と下車をし、改札周辺は少々にぎやかになった。
改札を出る列の中に政志はおり、ふうと息をついた。
その後、駅を出て自宅のあるアパートに帰るべく、人通りの少ない道を通っていた。彼は少しうつむきながら歩いていた。再び、ふう、と息をつく。
どこかで休みたい、と思ったところ、街中の小さな公園が目に入った。公園には人けはなく、明かりもまばらだった。ただベンチがあったので、そこに腰掛けようと思った。ベンチは公園沿いの道とは背中合わせにある。
三たび息をつきながら公園のベンチに腰掛ける政志。とその時、自分の座っている右側から土のような香りがした。
香りのする方向を見ると、なんとカピバラと目が合った。カピバラが四足で立ちながら政志のほうを向いてベンチに座っているのである。政志は(なんでこんなところにカピバラがいるんだ)と首を傾げたが、どこか安心感を抱いていた。
「お主、どこか悩んでいるように見えるが」とカピバラは鼻をひくひくさせる。
「しゃ、しゃべれるんですか」
政志は疑問と興味が混ざったようなトーンで目の前のカピバラに尋ねる。
「そうだ。ただ、わしが人間に対してしゃべれるのはわしが人間に助言する機会がある時。すなわち何かしらの悩み事を抱えている人間に会った時」
「というと?」
「今がまさにその時だ」細目のように見えたカピバラの目がかっと開く。「話してみい」
政志はカピバラのほうに体を向いて座り直し、「今やっている仕事についての話なのですが」と切り出した。
政志は物販を扱う○○株式会社に勤めている。政志は営業部所属であり、対面・オンライン上で営業で奔走していた。
しかし、営業実績といえば政志は下のほうであり、他の同僚の活躍が目立った。政志は頑張ったが、自分のスキルが追いついていないのではないかと思った。だが、スキルの伸ばし方を同僚に聞くのは気が引けた。自分は諦めているとは思いたくなかったのである。ただ、それ以外何もすることができず、今日に至った。
ふう、と息をつく習慣が多くなったのもこのことがきっかけである。他の同僚が皆優秀に見え、政志はがっかりしていた。
「というわけです」これまでの経緯を言い終えた政志は、ふうと息をついた。
カピバラは政志の話をうなずきながら聞き、話が終わると「なるほどな」とカピバラは体を横に向けてから、再び政志のほうを向いた。
「えっと、お主名前は」とカピバラが尋ねる。「政志です」と政志は答える。
「では、政志よ、わしの姿どう思う?」とカピバラが尋ねた。
政志はカピバラをまじまじと見ていた。カピバラの鼻をひくひくさせている姿はかわいい、癒される。
「癒されます」と政志は答えた。
「そうか、それは良かった。わしもそうだが皆向き合って歩みを進めている。意識している者もおればそうでない者もいるかもしれん」
カピバラはひとつ息を吐き、こう続けた。
「だから、お主も自分のこれまでの歩みを信じろ。話を聞くに人間の社会もかなり複雑といったところだが、お主なら大丈夫だ。実を言うと、わしの社会もなかなか複雑で…」
と言い掛けたカピバラは何かを感じたようで「はっ」としたような表情をした。
何かしらの気配を感じたようで、顔を右に向けた。政志もカピバラの向いたほうに顔を向けると、そちら側から足音が聞こえてくる。
キャップ帽をかぶり、上下作業服を着た男性がケージを持って公園にやって来て、「探したよ。早く帰ろう」とカピバラに近づいて声を掛けた。
「えっと、飼育員の方ですか」と政志はカピバラをなでる作業服の男性に尋ねる。
「そうです。私は○○動物園で飼育員をしております中橋と申します」
飼育員の中橋は政志にお辞儀をした。
「お騒がわせして申し訳ありません。このカピバラは私どもの動物園で飼育されておりまして、高齢のオスのカピバラなんです。名前は長老にちなんで『ティーチャー』です。今日は動物園がお休みで、彼にとってはOFFと言ってもいいのですが、ふらっと動物園を抜け出してしまいまして…」
(カピバラのOFF日…いや、そもそも動物園を抜け出せるのか)
政志の頭にはたくさん「?」が浮かんだが、そもそもカピバラとしゃべっていた。
「わしは今日は休みでな、いつもは仲間達といるのだが、今日は何となく出向きたい気分でな。少し歩いてしまった」
ティーチャーは照れくさそうだった。
「そうだったんですか」政志は納得した。少し間を置いて、「ところで中橋さんは、えっと、ティーチャーの言葉が分かるんですか?」と尋ねた。
「どうでしょうね。分かるかもしれないですし、分からないかもしれません」
中橋は目線を少し上げた。
ティーチャーは中橋のほうを少し向いてから、政志のほうを見てうなずくようなしぐさをした。
「さあ、もう帰らないとみんな心配してるよ」と中橋がティーチャーに声を掛ける。
「では、帰るとしよう」
ティーチャーはベンチから下りた。そして、政志のほうを向いて「世話になったな」と言った。
「いえ、こちらこそお世話になりました」と政志は返答した。
中橋が政志にお辞儀をした後、ティーチャーは中橋と一緒に動物園に帰っていった。
それから数ヶ月経ち、ティーチャーのアドバイスで仕事に対して自分は一歩一歩進んでいるんだと政志は思うようになった。分からないことがあったときは遠慮せずに同僚や上司を頼った。彼は余裕が出てきて、ふう、と息をつく回数も以前より減ってきていた。
仕事の昼休み、政志はひじをつき左手を顎に当てながら、数ヶ月前自分が公園でティーチャーと話していたのを思い返していた。
「自分のこれまでの歩みを信じろ」というティーチャーの言葉を心に留めていた。ティーチャーのことを思い返すと、うまくは説明はできないが何か優しい気持ちになれるのである。
政志はティーチャーにお礼をしたいと思い、休日ティーチャーのいる動物園へと向かった。
子どもの頃にその動物園に行ったことはあるが、久しぶりの動物園は晴天で多くの人でにぎわっていた。
政志は動物園の中を巡り、多くの動物を観覧した。順路をたどると「カピバラ」の看板が目に入った。
(ティーチャーはどうしているだろうか)
カピバラのエリアはおりが1~2メートルくらいあり、池を備えて草原のようになっている。
政志が来た頃はちょうどえさの時間でえさやり体験ができるのだそう。カピバラ達はこちら側をのぞいている。
「えっと、えさやり体験をしたいのですが。こんにちは、お久しぶりです名乗るのが遅くなりました。高柳といいます」
政志はお辞儀をして、カピバラのおりの前にいる飼育員の中橋に声を掛けた。
「こちらこそお久しぶりです高柳さん」と中橋もお辞儀で返して「ティーチャーに会ってみますか」と政志に聞いた。
「お願いします」政志は落ち着いた口調で返した。
政志はえさである笹を中橋からもらい、中橋の案内でティーチャーがおりごしによく来る場所に向かった。
そこに行くとしばらくしてティーチャーがトコトコとやってきた。ティーチャーは笹が欲しそうな様子だった。
「では、あげてみてください」という中橋の指示のもと、政志はティーチャーの前に笹を持ってきた。
ティーチャーが顔を近づけて笹をくわえると、むしゃむしゃ食べた。
ティーチャーは笹を食べながら政志の顔を少し見つめており、よくわからないが、政志はティーチャーが「よく頑張ったな」と褒めているような気がした。
それから政志は定期的に動物園に通い、ティーチャーと触れ合うのだった。
「自分の歩みを信じろ」
ティーチャーの言葉を胸に秘め、政志は日々の生活を送った。
いかがだったでしょうか。
最後までご覧いただき誠にありがとうございました。