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7:たまにはパーッと

 ふと、私の頭にある疑問がよぎった。

 未来を知ってしまった人が、その未来を変えることはできるんだろうか。

 22歳の伊瀬は教えてくれた。私が出した手紙に一度として返事を書かなかったこと、私は私で手紙にこだわり電話もメールもしなかったこと、そして未来の伊瀬には彼女がいること。

 もし、私が手紙じゃなくて電話をかけたら。あるいはすぐ返事ができそうなメールを送ってみたら。そして今のうちに告白したら、どうなるんだろう。


 そう考えかけてから、すぐに現実に気づいて打ちのめされた。

 告白したからといってうまくいくとは限らない。むしろそれで未来を変えられるなんて思い上がりじゃないだろうか。早い者勝ちってわけじゃないんだから、伊瀬が私を好きになってくれる可能性を考えないといけない。そしてそれが極めて低い可能性であることは、聞かされた未来の話で十分わかっている。

 それに、未来の伊瀬は幸せなんだろう。再会した時から表情は明るかったし元気だった。未来でつらい目にあってきたようには見えないから、この未来を変えたら悲しむのは他でもない伊瀬だ。

 だから、下手なことはしちゃいけない。

 決まっている未来に辿り着くように、私は決まっていることだけをしなくちゃいけない。


 でも――今の伊瀬が無事でいるかどうかだけは知りたい。確かめたい。

 そのために一度だけ、電話をかけることくらいはいいだろうか。だめかな……。


 携帯電話を抱き締めた私は、お伺いを立てるようにゆっくりと視線を上げた。

 するとほぼ同じタイミングで伊瀬もこちらを向き、目が合った。

 ばちりと音がするくらいの正面衝突に、思わず息が詰まる。

 22歳の伊瀬は、ミルクティー色の髪からして軽そうだなって印象をを持っていた。だけど時折見せる鋭く真剣な眼差しは落ち着いていて、はるかに大人っぽく見えた。

 バスケ部の主将としてボールを追い駆け、ゴールを見据えていた頃とは違う眼だ。

 その真っ直ぐな眼で見つめられると息もできなくなって、私はぎくしゃくと顔を伏せた。

「キク」

 私を呼ぶ声は高校時代とちっとも変わらないのに、名前を呼ばれたら心臓が軽く跳ね上がった。

 顔を上げられない、頬が熱い。


 ふう、と小さな溜息が聞こえたのは直後のことだ。

 おもむろに、伊瀬は呟いた。

「……腹減らね?」

 顔を上げた私は、瞬きを繰り返す。

 さっきと同じように真剣な面差しの伊瀬は、まるで深刻な命題を背負っている人のよう――事実背負っているんだけど、この場合はなんと言うか。

「お腹、空いたの?」

 私が尋ねると、鷹揚に頷いてみせた。

「お前は? もう昼過ぎてんぜ」

「え……そうだっけ」

 時刻を確かめると、本当に正午を過ぎていた。そういえばお昼がまだだったけど、そんなこと頭から消え去っていた。

「俺、朝飯も食べてねえし。なんかめっちゃ腹減ってきた」

「食欲あるのすごいね、私はそんな気になれないよ……」

「何言ってんだ、こういう事態だからこそ飯食って体力つけとくんだろ。これから何が起きるかわからねえし」

 拳を振り上げた伊瀬の理屈を聞きながら、今度は私が溜息をつく。

 その神経の図太さが羨ましかった。昔から。

「じゃあ、何か食べに行く?」

 とても乗り気ではなかったけど、私はそう切り出した。

「知り合いのいないお店とかがいいよね?」

 昔のクラスメイトとか、伊瀬のこと知ってる子に会っちゃったらややこしくなる。こんなに様変わりしてるんだからごまかせるかもしれないけど、『じゃあその連れは誰なの』って聞かれた時にどう答えていいかもわからない。だからあんまり人に会わない場所がいいと思う。

 こういう時にさっと何か作って出せるスキルがあればいいんだけど、私はあんまり料理が得意じゃなかった。

「別に大丈夫だろ」

 伊瀬は私の心配を軽くいなした。

「あのファミレスまだやってんの? 公園近くの」

 そして挙げたのは高校時代に良く通ったファミリーレストランだ。ドリンクバーで数時間粘ったり、一皿のポテトを大勢で分け合ったりしたっけ。

 オムライスのおいしいお店で、ご飯を食べる時はそればかり頼んだ私はよく伊瀬にからかわれていた。そんなにオムライス好きとかお子様かよって言われて――そんなことまで思い出しながら、私はちょっと笑う。

「まだやってる。ちょっと前に友達と行ったから、それは確か」

「友達って、専門学校の?」

「そうだけど」

 私が答えると、伊瀬はほんのわずかな間だけ顔をしかめた。

 すぐに笑顔に戻ったから、気にするようなことでもなさそうだけど。

「なら、安心だな。行こ行こ」

「うん……」

「何だよキク、行きたくなさそうだな」

「だって、知り合いに会ったらどうするの? 昔の友達とか」

「大丈夫だって」

 私の懸念に、伊瀬はひらひら手を振った。

「誰かに会ったら、親戚のいとこが来てるんだとか何とかでごまかせばいいだろ?」

「いとこ? 全っ然似てないけどごまかせるかな」

「じゃあ合コンで見つけた彼氏とかでもいいじゃん」

 さらりと言われたけど、そんなこと言えるはずがない。

 動揺を顔に出さないようにするのに必死だった。

「な、なら、伊瀬の奢りでね。それなら行ってもいいけど」

 目を逸らしながら言うと、伊瀬はどことなく偉そうに肩をすくめた。

「しょうがねえな。お子様連れならごちそうしないと恥ずかしいもんな」

「お子様って誰が!」

「だってキクは19だろ。俺は22だもんな」

「……そうでした」

 ぐうの音も出ない私に、伊瀬は勝ち誇ったように笑いながら自分の財布を取り出した。中身を確かめ始めている。


 なんか年上ぶられてるのが微妙に悔しい。実際年上ではあるんだけど、伊瀬は伊瀬だし――。

 まあそこまで言うんだったら一番高いメニューを頼んでやろう。パーッと値の張るランチでも奢ってくれるでしょ、大人なんだから。オムライスはトッピング全部載せにして、サラダとドリンクにデザートのアイスも頼んでやろう。


 内心張り切る私に、

「……あ、キク、ちょっと待った」

 財布を覗き込んだ伊瀬が、不意に硬い声を出す。

 見ると、その横顔が凍りついていた。

「まずい。奢れねえわ、俺」

「どうかしたの?」

 お金がないならしょうがない。とは思ったけど、伊瀬が開いてみせたお財布には福沢諭吉の顔がちらりと覗いていた。それだけあるならホテルに泊まれるんじゃないかとも思ったけど。

「お金、あるじゃない。使えないの?」

「いや、なんつうか。使えないって言うと、まさにそのとおりなんだけど」

 言いながら、伊瀬がおずおずと1万円札を取り出した。

 福沢諭吉の精悍な顔が描かれたそれは――あ、あれ?


 その1万円札は、見覚えのあるお札とは違っていた。

 福沢諭吉が描かれているのは同じだけど通し番号の位置が違うし、裏面はたしか雉が描いてあるはずなのに、こちらは鳳凰――平等院の鳳凰像だっけ、これは。

 透かしの大きさも、それ以外にも細かな模様が違っていて、知らないお札だとはっきり言えた。


「伊瀬……これ」

 私が目を向けると、半笑いの伊瀬が答えた。

「おう。これさ、新札」

「新札?」

「ええと、一昨年――2004年だったかな。札のデザインとか変わったんだよ。それでこれが新しいやつ」

「そ、そうなの?」

「今はまだニュースでやってないのか? 来年……だよな、秋くらいから発行されるんだぜ」

 経済とかはいまいちわからなくて、満足にニュースも見ていないから知らなかった。そうなんだ。

 これが、未来のお札。

「へえ……」

 私はぼんやりとそれを観察した。伊瀬が親切に差し出してくれたので、手に取って、ためつすがめつじっくりと、透かしまでちゃんと確かめた。よくわからないけど、本物には違いないんだろう。

 たった3年後の未来は、もしかするとびっくりするほど変わっているのかも知れない。伊瀬が変わってしまったように。

 少し寂しくも思いながら、私はお札を伊瀬に返した。それを大事そうにお財布にしまった伊瀬は、ぽつりと言う。

「でもこれって、やっぱ使えないよな……」


 そうだね。

 ――ということは、今回は私が奢らなきゃいけないとか?

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