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5:トラブルメイカー

 私も泣いてる場合じゃなくて、そろそろ現実と向き合わなくちゃいけない。

 さしあたっては、幾つか考えなきゃいけない事柄がある。


「それで結局、これからどうするの?」

 伊瀬に、さっきから何度も聞いている質問だ。

 けれど今のは少しニュアンスが違う。

「帰る方法探すにしても、すぐに見つけられるとは限らないよね?」

「まあな、今んとこノーヒントだし」

「その間、こっちではどう過ごすつもり?」

 現実として、大人の伊瀬はここにいる。

 帰る方法が見つかるまでは2003年で暮らしていかなくちゃいけない。寝泊まりする場所も必要だろうし、ご飯だって食べないと。

「どうって……」

 伊瀬にとってもそれは難問のようで、眉間に皴を寄せている。

「実家に帰る?」

「ま、まさか」

 私の問いに、彼は焦った様子でかぶりを振った。

「冗談だろ? タイムスリップどうこうなんて、うちの親はまず信じねえよ」

 何度か会ったことがある伊瀬の両親の顔が脳裏に浮かぶ。伊瀬の底抜けの明るさとは対照的に、おじさんとおばさんはとても厳格で真面目そうな人たちだった。私も初めてご挨拶をする時は緊張したっけ。

「もともと実家に泊まるつもりはなかったしな。ちょっと顔出そうとは思ったけど」

 そう言って、伊瀬はどこか憂鬱そうな顔をする。

「普段から出来の悪いの扱いされてんのに、このなりで帰ったら叱られるのも目に見えてるし……」

 どうやら未来の伊瀬は素行に問題があるみたいだ。

 実際、大学に行くために家を出た息子がこんな髪色で帰ってきたら、驚かない親はいないと思う。

「じゃあ、行くあてないんだね」

 リュックサックの重そうな様子を見るに、こっちにはしばらく滞在するつもりだったんだろう。でも実家に帰れないんじゃ他に行く先もないだろうし。

 だったらしょうがない。

「よ、よかったら、うちに泊まる?」

 思いきって、私は言ってみた。

 いくら顔パスが利いていたとは言え、高校時代でさえ伊瀬を泊めてあげたことはない。うちの両親だってそこまでは許さなかっただろうし――伊瀬じゃなくても男子ならだめって言ったと思う。今だってどうなるかはわからない。

 だけどこれは非常事態なんだから、なんとかして頼み込んでみるほかはない。

「え」

 伊瀬は目を瞠って、それから困ったような顔をする。

「お前ん家? それは……」

「う、うん。うちの親なら伊瀬のことも知ってるし、困ってるからって話したらちょっとの間は泊めてもいいって言ってもらえるかも」

 その可能性が限りなく低いことは自分でもわかっている。

 だけど何かしてあげたかった。伊瀬はすごく困っているし、急にこんな訳のわからないことになって、誰かに頼りたいに違いなかったから。私が手を差し伸べられたらって思ったんだけど――。


 伊瀬はしばらくの間、私の顔を見つめながら考え込んでいたようだ。

 でも答えが出た時、ふっと笑ってみせた。

「……いや、やめとく。説明すんのが大変だろ?」

 まあ、そうかもしれない。

 そもそも今の伊瀬をうちの両親に『伊瀬だよ』と紹介して、信じてもらえる自信もなかった。

「俺がこっち帰ってきてんのに、なんで実家帰らないんだって話になんねえ?」

「たしかにね……」

「それに俺、変わり過ぎだしな。キクのご両親だって俺の顔見たら驚くだろうし、友達付き合い考えろって言われるかもしれない。お前も親御さん心配させたくないだろ?」

 本人にそう言わせるくらいには、伊瀬は本当に変わってしまった。高校時代の友達だって会わせたらわからないかもしれない。もちろん面影はあるんだけど、今の話し方だってすっかり大人だ。

「じゃあ、伊瀬じゃなくて専門学校の友達って事にする?」

「無理あるだろ、それ。お前と俺でそんなの演じ切れるか?」

 ――うん、無理かも。

 でも、うちもだめ、伊瀬の実家もだめってことになると。

「明日だったら、一緒にキャンプに行くって手があったのにね」

 私は部屋の一角を占拠している明日の荷物に目を向ける。

 ちょうど明日は専門学校の友達とキャンプに行く予定だった。みんな気のいい子ばかりだから、伊瀬ひとり増えたぐらいなら何も言わないだろうし、うまく紛れ込ませることもできたはずだ。むしろこんなノリのいい奴大歓迎って言ってもらえそうだったのに。

「キャンプ?」

 たちまち伊瀬の目が輝く。

 好きだもんね、そういうの。

「うん、友達と行く予定だったの。みんな高校違う子だからバレる心配はないと思うし、ちょうどよかったんだけどね」

「キクの友達ってことは、全員女子か?」

 ――だったらなんだと言うのか!

 身を乗り出してきた伊瀬のあまりの食いつきのよさに、私は胸を満たしていた同情心が一気に引いて行くのを感じた。

「おあいにくさま。男の子もいるから」

 私はたっぷりの棘を込めて答えてやった。

 もちろん男子もいる。主催した友達の柳が顔の広い子で、あれよあれよという間に大所帯のイベントになっていた。私も何人か新しい友達を紹介されたりしたし――そう思うと柳って、ちょっと伊瀬に似てるな。

「なんだ」

 伊瀬はがっかりした様子で頬杖をつく。

 その顔が、ふと何かを思い出したようにこわばった。

「専門学校の、友達?」

 そうして確かめるように、慎重に尋ねてきた。

「え? うん、そう」

 通い始めて四ヶ月、情報処理系の専門学校は男女比がほとんど同じだ。私は柳と一番に友達になったけど、それ以外の子とは連絡先を交換したくらいでまだ仲良くなれてはいない。

 その中でもひとり、ちょっと苦手に思っている子がいる。柳の幼なじみだ。嫌いってわけじゃないけど、一緒にいると全然話が続かなくて――私も向こうもそれほどおしゃべり上手じゃないせいだとわかっているけど、話しかけてもにこりとすらしない態度が怖くて、あんまり近づかないようにしていた。

「同い年?」

 伊瀬がまた問う。

「そうだけど……」

「それさ、もしかして――」

 何かを言いかけた伊瀬がそこで言葉を止めた。口は開いたまま、続きがなかなか出てこない。

 私が黙って待っていると、

「あ、やっぱ、何でもね」

 手をひらひら振って、伊瀬は自分の問いかけを打ち消した。

「な、何?」

「別に」

「気になるじゃない、言ってよ」

「いや、俺の勘違い。気にすんな」

 変なの。

 もしかしたら、私の友達の中に知ってる子がいるのかな。伊瀬が未来で知り合った子が私のことを知っていたとか――ありえなくはない。

 でも伊瀬は言う気をなくしてしまったようだ。唇を結んで黙り込んだ後、私の視線を受けて取り繕うように笑った。

「とりあえず、明日のキャンプには飛び入りオッケーなんだろ?」

「う、うん。大丈夫」

「じゃ、それは行く。明日になっても2006年に戻れてなかったら、の話だけどな」

 そう続けた後、うってかわって軽い調子で言い添える。

「キャンプなんて久々だ。うわ、超楽しみ」

 その口調が高校時代の面影と重なって――私はほんの一瞬、伊瀬がすぐに帰っちゃったら嫌だな、と思った。


 でも、だめだ。

 今度は私が唇を引き結ぶ。

 この伊瀬は、2006年に帰らなくてはならないんだから。

 私が会いたいのは、2003年の伊瀬なんだから。

 けど。ちょっとだけ、やっぱり、寂しいかもしれない。この伊瀬が未来に帰ってしまったら。


 こっちの複雑な心境なんてお構いなしで、

「案外と、明日目が醒めたら向こうの部屋に戻ってるかもな」

 伊瀬はあっけらかんと笑っている。

 考え込んでるのもばかばかしくなってきたから、私も一緒に笑っておく事にした。

「そうかもね。じゃあ、明日の事は後で友達に言っておくから」

「了解」

 伊瀬が来れば、騒がしいキャンプになるだろうな。みんなともすぐに打ち解けて、仲良くなって。その点での懸念はない。

 あとの懸念事項としては。

「それで、今日は……」

 どうするの、と私が何度目になるかわからない問いをまた口にすると、

「今夜は駅のベンチで寝るかな。電車乗り過ごした旅行者の振りしてさ」

 これにも伊瀬は、あっけらかんと答えた。

「そ、そんなのだめだよ。危ないでしょ」

 私はあわてた。

 今のその派手な頭髪でホームレスまがいのことをされたら、本物の不良に目をつけられるか、お巡りさんに声掛けられるか。どっちにしてもろくな事にはならない。トラブルメイカーにしかならないだろう。

「だめ?」

 伊瀬は小首を傾げてくる。

 う、ちょっとかわい――くなんかない!

 私はどぎまぎするのを押し隠すために語気を強めた。

「だめ! もうホテルに泊まりなよ、お金貸したげるから」

「あー……それしかねえか。いや、借りるのはちょっとな……」

 濁すような言い方から、伊瀬が私の提案に乗り気じゃないことは察した。

 あんまり持ち合わせがないのかもしれない。まあ故郷帰るのに大金下ろしてくる人はあんまりいないだろう。放っておくと本当に野宿しかねないし、絶対お金渡してホテルに泊まらせないと。 

 私の決意を読み取ったように、伊瀬は面倒くさそうに伸びをする。

「住んでる部屋に戻れたら一番楽なんだけどな」

「そうだろうけど、往復でもだいぶ掛かるでしょ? 明日のキャンプは朝7時集合だからね」

「げ。帰ってたら間に合わねえな」

 既にキャンプにはやる気十分の伊瀬を見て、私はさっきも抱いた疑問を改めて考えた。


 2003年の、まだ19歳の伊瀬は、今どうしているんだろう。

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