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3:日頃の行い

 そんな事があっていいの?

 いいはずがない。


 と言うか、実際ありえる?

 同い年だった私と伊瀬が3歳も年が離れてしまって、私が今暮らしているのが2003年で、伊瀬が暮らしていたのが2006年だなんてそんな事ある?

 県外に出ると時の流れるのが速いとかそういう次元の話じゃない。

 でも、考えれば考えるほど腑に落ちてしまう。

 伊瀬のこの変わりよう、22歳だからなんだ。たったの4ヶ月ぶりに会って『久し振り』って言ったのも、きっとそういう意味だったんだ。まさか卒業以来、4年近くも会ってなかったなんて――。


 私は、伊瀬が笑ってくれるのを待っていた。

 座卓を挟んで差し向かいの彼が、冗談である事を告白して、前みたいににやにやへらへら笑ってくれるのを待っていた。これだけ人を混乱の渦に叩き込んでおいて冗談も何もあったものではないけど、今なら全て許せると思った。


 けれど伊瀬は笑わなかった。

 私の学生証を持ったまま、ぼんやりした表情で2003年のカレンダーを見つめていた。

 喉が動いたのが見えた。直後、深い溜息も聞いた。

「まさか」

 震えた声でそう言った。

 伊瀬はジーンズのポケットから携帯電話を取り出し、フリップを開いた。カラフルな素材の、見た事もない物珍しいデザインだった。最近、携帯を購入した私があちこちから取り寄せたカタログの、どこにも載っていなかったモデルだ。きっと最新のものなんだ、2006年の。3年後の。

 携帯の画面を注視した伊瀬の顔からは血の気が引いた。

「嘘だろ!」

 この暑いのに、紙のような白い顔をしている。

 でも、額には汗が浮かんでいる。私もそうだ。暑いのに背筋がぞくぞくとしている。

「マジでここ、2003年なわけ?」

「う、うん」

 聞かれたので頷いた。それからすかさず、

「伊瀬。伊瀬は本当に――」

 尋ねようとした私を制して、伊瀬は携帯電話の画面を見せてくれた。

 圏外。

 その下の日時表示は間違いなく、『2006年』とあった。

 伊瀬は携帯電話を取り落とし、力なく座卓に突っ伏した。その後で私の部屋の壁に貼られたポスターを指差す。

「このバンド、お前好きだったやつだよな」

「ああ、うん。今もよく聴くよ」

 高校時代からファンだった3人組バンドのポスターを見上げる私に、伊瀬は言う。

「こいつら解散したよな」

「ええ!?」

 思わずポスターから視線を移すと、伊瀬は『やっぱりか』という顔で私を見上げていた。

「確か一昨年くらいの話だ」

「ってことは――来年!? 嘘でしょ……」

 その話もとてもショックだったけど、その事実を伊瀬が知っていることもまた衝撃だった。

 本当に、未来でそれを見てきたんだってことになる。

「キクの好きなバンドだったなって思いながらニュース見てたよ。そっか、知らないのか……」

 伊瀬の声ももはや弱々しい。

「これってさ、タイムスリップ、とかいうやつ?」

「……さあ」

 私は卓上の伊瀬のミルクティー色の頭髪を眺めながら、ぼんやりと応じる。


 タイムスリップなんてそんな映画みたいなこと、あるわけがない。

 でも、伊瀬は今、私の目の前にいる。そして私の知らない未来の話を知っている。


「伊瀬は……2006年から来たの?」

「来た、って言うか。俺、別に何もしてねえよ。なんで今2006年じゃねえんだよ」

「今は大学生……?」

「4回生。さっきも言ったけど年は22」

「えっと、今日はどうして2003年に?」

「だから、俺だって選んで過去に来ちまったわけじゃねえんだっての」

 座卓に顔だけを上げた伊瀬は、まるで生首のような薄気味悪さで告げてきた。笑っていない、と言うだけで十分恐ろしかった。

 いや、恐ろしいのは伊瀬じゃない。

 今ここにあるこの現実だ。

 これが現実だと言い切れる確証もまだないけど。

「今日はさ」

 伊瀬が自分のこめかみを指で揉み解しながら、話し出す。

「久々にキクに会おうと思って、こっち来たわけ。部屋出て、駅から夜行乗って、朝方こっち着いて。ちょっと駅前ぶらっとしてからキクの家まで来て……で、お前が玄関のドア開けて。そしたら――こんな感じよ」

「それでいつ、タイムスリップなんてしちゃったの?」

 タイムスリップ、なんて言葉を、私はするりと口にした。

「知るかよそんなこと」

 心底弱った声を立て、伊瀬はまた座卓に突っ伏した。

 落ちたままの携帯電話を見、私も唇を結ぶ。

 もう、認めなきゃ駄目なんだろうか。これは現実だって。伊瀬は22歳で、3年後の未来からやって来たんだって、彼の彼らしい悪戯や冗談なんかじゃなくて、これは本当に起こってしまった事なんだって――。


「なあ」

 不意に。

 伊瀬が突っ伏したままで声を掛けてきた。表情は、良く見えない。

「な、に?」

 私はそっと聞き返し、数秒の沈黙の後に彼の問いを聞いた。

「キクは、どうなんだよ? マジでまだ専門学校生? 社会人じゃねえの?」

「え、あ、うん、専門学校行ってる。さっき、学生証見せたじゃない」

 答えながら思う――そうか。伊瀬は未来の私のことも知ってるんだ。


 自覚した時、どきりとした。

 誰も未来なんて知るよしもないのに、伊瀬は知っている。世界の行く末、この国の未来。そして私の事も。

 そういう事って、聞いちゃってもいいんだろうか。良くあるSF映画じゃ、『タイムパラドックス』とか何とか言って、色んな事が問題になるけど。伊瀬がこっちに来た事で、未来が変わっちゃうとか、ないんだろうか。


 そわそわする私に、やがて伊瀬はぽつりと言った。

「……俺、すげえ」

「は?」

 何が。

 尋ねる前に伊瀬が顔を上げた。

 輝く目と弾ける笑顔が浮かんでいる事にぎょっとする。

「俺すげえよ! タイムスリップだぜ、タイムスリップ! こんな事誰でもある訳じゃねえだろ?」

「え……うん、そうだね……」

 それはそうだろうけど、そういう問題じゃない。

「すげー、俺、タイムスリップしたのかよ! きっとこれも日頃の行いがいいからだな!」

「伊瀬、これは別に喜ぶような事じゃないでしょ」

 無邪気に喜び始めた伊瀬の能天気さに呆れたくなる。

「あのね、おおごとなの! わかってる? 普通はあり得ない事が起きてるの! と言うかこれからどうするの、元の世界に帰る方法は? 戻れなかったら大変じゃない。ちゃんと考えてる?」

 こんな時なのに私は随分冷静に考えはじめていた。

 高校時代から、伊瀬と一緒にいる時はこうだった気がする。伊瀬がいてくれたら何でも乗り越えていけるっていつも思ってた。伊瀬と一緒なら何でも頑張れるって。

 だからきっと、この事だって。


 ――まだ現実として認識できてないだけかも知れないけど。

 これが夢ならそろそろ目覚まし時計が鳴って欲しい。でも今のところ、醒める気配もない。


「矢継ぎ早に言うなよ」

 伊瀬の口元に、懐かしいにやにや笑いが浮かんだ。

「考えられるわけねえっての。何がどうなってこうなってんのかさっぱりなんだしな。けど」

「けど、何よ」

「何かこういうのって意味があったりすんのかなーって思ってさ。俺が過去に来ちまった理由、何かあるのかもだろ? やんなきゃいけない事あるとかさ」

 意味深長な口振りで語る伊瀬。

 たしかに映画とかではそうだ。タイムスリップをする人たちには何らかの理由や目的がある。もしも伊瀬がそういう使命を抱えているんだとすれば、彼がここに来た理由にもなりえるだろう。もしかしたら、伊瀬が誰かの危機を救ったりするとか――。

 私は彼の顔をじっと見つめる。

 学生時代から行動力は人一倍あって、何かやってくれるって思えるような人だった。行事やイベントには率先して取り組んで、いつの間にかリーダーシップを取ってる。伊瀬が計画すると体育祭も文化祭も修学旅行も全部、愉快で楽しい思い出になってしまった。クラスで行った登山も、仲間内で行った海水浴も、夜の学校にこっそり忍び込んでの肝試しだって、すごくすごく楽しかった。

 そんな伊瀬なら、目的があればタイムスリップさえやってのけるんじゃないだろうか。彼が映画みたいなヒーローになるのはむしろ自然なことのように、私には思えた。

 単なる惚れた欲目ってやつかもしれないけど。

「……そういう心当たり、あるの?」

 恐る恐る、私は尋ねた。

「いや、全然」

 かぶりを振った伊瀬の返答に、今度は私が脱力して突っ伏した。

「ないのに言ったの!?」

「あったらこんな曖昧な言い方しねえよ」

 まあそうだろうけど、勝手に盛り上がってしまった自分がちょっと恥ずかしい。

 やっぱりただの欲目だったかな。

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