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28:主役は遅れてやってくる

 母校からどうにか逃げ出して、私たちは近くのファミレスでひと息つくことにした。

 ふたり揃ってオムライスを食べつつ、今後について相談する。

 もちろん、やるべきことはわかっていたんだけど。


「要は、お前が俺にがつんと言いに行けばいい話だ」

 伊瀬はきっぱりとそう言い切る。

 私もその意見に異議はない。未来を変えるために、私は伊瀬に自分の気持ちを伝えに行かなくちゃいけない。

 ただ、不安がないわけでもなかった。おかげで大好きなオムライスがなかなか喉を通らない。

「伊瀬――向こうの伊瀬は、なんて言うかな」

 食べながらそう零すと、目の前の22歳の伊瀬が怪訝な顔をする。

「なんて、って?」

「だから、私が告白……したとしたら。断られたりしないかな」

「何言ってんだお前」

 伊瀬はいっそ不満そうに、私の不安を一蹴する。

「さっき俺の言ったこと聞いただろ? 断るなんて万にひとつもねえよ」

「そうだけど、19歳の伊瀬はどう思うか心配で」

 もう4ヶ月も会ってなかった。

 手紙は出したけど、返事はもらってなかった。

 そしてメールの返信も、不在着信への反応もまだない――こっちの伊瀬の言葉を疑うわけじゃないけど、急に訪ねていって迷惑がられたりしないか心配だった。ましてや急に告白なんかしたら、伊瀬はどんな顔をするだろう。

「大学一年の夏だろ? 友達もそんな作れてなかったし、割と無為に過ごしてたよ」

 記憶をたぐる伊瀬の顔はどこか忌々しげだった。

「それに時々は、お前のことを考えてた」

「時々かあ」

「なんだよ、毎日って言わせたいのか?」

 そこで伊瀬は冷やかすように微笑んだ。

 恥ずかしくなった私が口をつぐむと、彼は軽く肩をすくめる。

「心配すんなって。その頃から――いや、その頃も、俺はお前が好きだった。きっと大喜びでオーケーするに決まってる」

 明るく保証してくれる伊瀬に、私の不安はいくらか拭われた。

 でも同時に、その明るさに胸の痛みも覚えた。

「伊瀬はどうして、連絡くれないんだろう」

 携帯電話を取り出してみる。

 相変わらず、メールも着信もなしのままだ。

「昨日から連絡してるのに反応ないの。寝込んでたりとかしないかな」

「一年目に体調崩したことあったかな……」

 伊瀬は思い出そうとしてくれたようだけど、心当たりはなかったらしい。やがて自分の携帯電話を取り出し画面を覗いた。

「間違って俺のほうに届いてる、ってこともねえか。そもそも圏外だしな。メアド間違ってたりとかは?」

 言われて一応確認してみたけど、メアドも電話番号もちゃんと正しく登録されていた。

 だから、返信がない理由がますます気になってしまう。

「こりゃもう会いに行くしかねえな」

 伊瀬は言って、残りのオムライスを一気にかき込んだ。

 そして水も飲み干してから、私に告げる。

「行こうぜ、キク。俺もついてってやるから」

「う、うん。でも……大丈夫?」

 今度はこちらの伊瀬が心配になった。


 過去の自分と顔を合わせる。

 そうすると何が起きるのか、まだわからない。

 試したことある人なんてそういないだろうから当然だ。

 私だったら、もうひとり自分がいるという状況が怖くなると思う。

 伊瀬は怖くないんだろうか。


「別に」

 伊瀬の答えは簡潔だった。

「むしろ面白いだろうな。髪染める前の俺なんて明らかにおのぼりさんって感じだったし、あーでも今見たら我ながらかわいいって思うかな? 服とかも絶対地味なの着てるぜ、今なら」

 今が派手すぎるんじゃないかという気もする。

「それに19の頃の俺も、未来の自分見たら面白がるんじゃないかって気するしな」

「それは確かにね」

 伊瀬なら面白がると思う。私にも想像がつく。

「もしあいつがうじうじしはじめたら俺が叱り飛ばしてやんないとな。『絶対キクを離すな、後悔するぞ』って言ってやるよ」

 そして22歳の伊瀬は私の背中を押してくれる。

 私も食欲ないなんて言ってられなかった。オムライスの残りをやっつけると、ようやく意を決した。


 行こう。

 19歳の伊瀬に会いに。


 伊瀬が暮らしているのは、ここから電車で三時間の距離にある街だ。

 ちょっとした旅行くらいの所要時間、しかも今はお昼だ。行って帰ってきたら夜になってしまうだろうだけど、迷っている暇もない。私は少ない貯金を崩してふたり分の切符を買った。

 夏休み中、しかも好天だというのに電車は思いのほか空いていた。私たちは並んで座り、窓の外を流れていく景色を一緒に眺めた。見慣れた街並みはすぐに遠ざかり、その時ほんの少しだけ心細くなった。

 気を紛らわすために、私は隣に座る伊瀬に話しかけた。

「実はそっちって行ったことないんだ。どんな街?」

「まあ、こっちに比べりゃ都会だな。店も多いし遊ぶところもあるし」

 伊瀬はそう答えた後、ちらりと私の顔を見る。

「でも、お前がいない。だからつまんないところだよ」

「何それ」

 楽しいところなのかと思ってた。手紙の返事もくれないくらいだから。

 だけど伊瀬には伊瀬なりに苦しかったり、もがいたりした新生活だったのかもしれない。今になってそんなことも思う。


 私たちは長い移動時間を他愛ないおしゃべりでつぶした。

 伊瀬とふたりなら話題が尽きることもなかったし、退屈することもなかった。車内販売のお菓子を買って、はんぶんこして食べたりもした。会話が途切れてもどちらからともなく笑いはじめたりして、高校時代を思い出しながら過ごした。


 だけど到着まであと一時間を切った頃から、伊瀬の口数が減った。

 硬い表情で窓の外に視線をさまよわせることが多くなった。

 車窓にはもう私の知らない景色ばかりが流れている。

「疲れた?」

 私が顔を覗き込むと、伊瀬は口元だけで笑んだ。

「いいや。そう見えたか?」

「うん」

「大丈夫だよ」

 短く答えたその顔は、無理して作ったような笑い方に見えた。

 つい勢いで出発を決めてしまったけど、私たちは今朝キャンプから帰ってきたばかりだ。私は緊張のせいで疲労を感じる余裕もなかった。でも伊瀬のことはもう少し気づかうべきだったかもしれない。

「大丈夫だって」

 じっと窺い見ていたら、伊瀬は私の心を読んだように、今度はちゃんと笑ってくれた。

 それからいきなり私の手を取って、ぎゅっと強く握る。

「あっ……」

 思わず声を上げてしまう私に伊瀬は言う。

「手繋ぐくらいはいいよな?」

「う、うん」

「ありがとな。着くまで貸しといて」

 伊瀬はどこか満足気に、背もたれに寄りかかって目をつむった。

 触れ合う手のひらと絡まる指がくすぐったくて、心地よくて、でもやっぱり恥ずかしかった。車内には冷房が効いていたけど、急に蒸し暑くなってきたようにすら感じられた。

 私が何も言えなくなってうつむいていれば、不意に伊瀬がつぶやく。

「なんていうか、やりきれねえな」

 その言葉に引き寄せられるように顔を上げた。

 目をつむっていたはずの伊瀬が、薄眼でこちらを見ている。目が合うとまた目を閉じて、にやりとされた。

「お前が本当に、俺のものだったらよかったのに」

 表情とは裏腹の寂しそうなつぶやきが零れ落ちて、繋いだ手がまた強く握られる。

 私はその手に心臓ごと握りつぶされたような気持ちになって、でも何も言えずに黙っていた。

 電車は無情にも止まらず走る。

 アナウンスによれば、もうじき目的の駅に着くようだった。


 知らない街の大きな駅に降りて、見たことのない改札を抜けた。

 駅の外にもテレビでしか見たことのない都会の風景が広がっていた。建ち並ぶビルと広い車道、ひっきりなしに行き交う車の量も地元とは違う。

「とりあえず、俺の部屋行こうぜ。バス乗ればすぐだ」

 伊瀬はそう言うと、私の手を引いたまま歩き出す。

 やっぱり全く知らない塗装のバスに乗り込み、十分ほどで降りる。辿り着いたのは少しごみごみと入り組んだ住宅街で、形のよく似たアパートが何軒も並んで建っていた。ひとりで初めて来たら確実に道に迷ってしまいそうだ。

 でも伊瀬はその中からひとつのアパートを指差して、こう言った。

「あれ。あそこの203号室が俺の部屋だ」

 そしてここで私の手を離し、優しく笑って続ける。

「行ってこい」

「……伊瀬は? ここにいる?」

 そう尋ねたら、ちょっと迷ったような顔をされた。

「ついてくわけにもいかねえし、その辺の日陰にいるわ」

「うん……わかった」

「心配すんな、置いて帰ったりしねえよ」

 伊瀬はおどけたようにそう言った。

 そういう心配をしてたわけじゃないけど、私も笑って言い返す。

「絶対だよ。私、ここからひとりで帰れないんだからね」

「わかってる、待ってるよ」

 その約束に背を押され、私はアパートに向かって歩き出した。

 ここまで来たら、行くしかなかった。

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