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25:一方その頃……

「え……ええ!?」

 意外な名前に、思わず声が出るほど驚いた。

 私の結婚相手がまさかの棚井くん。想像もつかない。いや悪い人じゃないのは昨日のキャンプでわかったけど、だからといって結婚なんて全然考えられなかった。

「なんで棚井くん!?」

 急いで聞き返すと、伊瀬も顔をしかめてみせる。

「知るか、俺が聞きてえよ」

「だ、だって別に仲良くもないし、まともに話したのさえ昨日が初めてだし」

「でもけっこう距離近かったろ、花火の時とか。あと河原でも」

「そうだったっけ……」

 私にとってはまだ友達と言っていいのかもわからないような相手だ。どちらかと言えば『柳の友達』という認識のほうが強くて、それが確定した未来だと言われても信じられない。


 ただ、心のどこかでは不思議と納得する部分もあった。

 昨日キャンプに参加するまで、私は棚井くんのことが苦手でしょうがなかったはずだ。何考えてるのかわからなかったし、目も合わせてくれないし、まともに話もしてくれないしで怖い人って印象しかなかった。

 だけど昨日一日で、棚井くんへの印象がずいぶん変わった。

 私は彼のことを何にも知らなくて、それで苦手だと感じていただけだった。話してみたら単に不器用な人という印象だったし、でも不器用なりに優しい人だった。おしゃべりが得意ではないようだけど、柳についてはよくしゃべるな、とも思った。

 そういう時間を積み重ねていくうちに、私が持つ棚井くんへの印象はまた違う形に変わっていくのかもしれない。可能性としては、そう理解できた。


 でも納得がいくかどうかとは別の話だ。

「やっぱり、信じられない」

 私は首を横に振った。

 今の私には好きな人がいる。その人への気持ちをすっきり切り替えて他の人を好きになるなんて、少なくとも今は考えられない。あとたった五ヶ月で切り替えられるとも思えない。

「お前がどう思おうと、俺はハガキもらったからな」

 私の反応に、伊瀬は少し機嫌を損ねたようだ。突き放すみたいに続けた。

「だから俺は、前に人から聞いたお前にできた彼氏っていうのも棚井なんだろうと思った。顔は写真でしか知らなかったけど、そんなに変わってなかったな、お前ら。棚井とはおととい初めて会って、最初は『なんだこいつ』って思ったよ。何かの間違いじゃないかって」

 おとといの棚井くんは本当に怖かったから、そう思われるのも仕方ない。

 きっと伊瀬もびっくりしただろう。あの人と私が結婚するんだとはとても思えなかっただろうし――私だって全然思えてないけど。

「邪魔してやろうって思ったよ」

 ぽつりと、伊瀬が続ける。

「どう見てもうまく行きそうになかったし、だったら俺がちょっと入れ知恵してやればくっつくこともないんじゃないかってさ。未来を変えてやろうって、その時はやる気だった」

 そういえば。

 おととい、伊瀬が言ってた『合わない奴とは無理に仲良くするな』って言葉、あれも本当はそういう意味だったのかもしれない。

 伊瀬は未来を変えようとしていた。私がそうするよりも先に。

「でもお前ら、結局あっという間に打ち解けただろ。あれ見て、無理だなって思い直した。俺がどんなにあがいても、結局未来は変えられないんだって」

 そうして彼は、顎まで伝い落ちた汗を手の甲で拭う。

 それから疲れ切った顔で、何度目になるかわからない溜息をついた。積もり積もった鬱屈をすべて吐き出してしまうような、長い長い溜息だった。

「俺もこじらせた自覚はある。ちゃんと受け止めればよかったんだ、失恋したことを」

 私はその言葉を、彼の告白を一字一句聞き逃さないように努めた。

 できれば違う形で聞きたかった。でもそれは、彼のせいだけじゃない。

「だけどどうしても受け止められなくて、ずるずるとただ目を背けてきた。幸い向こうは都会で、気を紛らわせるものなんていくらでもあったしな。酒を飲むようになったし、髪だって人目も気にせず染めた。好きでもない女の子と付き合って、あっけなく見破られて振られたりもした。実家には帰る気になれなくて親としょっちゅう喧嘩になった。振り返ってみれば俺の大学生活、本当ろくでもなかったよ」

 声に後悔の色がにじんでいる。

 私もわからなくはなかった。伊瀬に彼女がいると聞かされた時、とてもショックだったから。そのまま伊瀬が未来に帰ってしまったら、数日間はやけ食いとふて寝を決め込んだだろう。

「あるいは、もっと早く言っとけばよかったのかもな」

 伊瀬がこちらを向く。

 苦しそうな笑顔に、胸が締めつけられるようだった。

「高校時代はこうして、何もなくても一緒にいられた。その間に言っときゃよかったんだ。勇気が出ないとか、友達ですらいられなくなるかもとか、そういうへたれなこと考えてるからつまずくんだ」


 その言葉は私にも言えることだ。

 毎日会えるうちに言えばよかった。一緒にいて、隣にいられることが当たり前のうちに、自分の気持ちを伝えておくべきだった。あんなに仲のいい友達だったのに、離れてしまえば電話やメールもためらうような間柄になってしまう。そうして私は返事をもらえない手紙を書き続け、最後には結婚の報告をハガキで済ませた。

 伊瀬のことが好きだったはずなのに。

 今も、すごく好きなのに。


「因果応報なんだろうな」

 伊瀬は結論づけるように言って、また無理やりに笑顔を作る。

「この話聞いて、お前がどう思ったかは知らない。それでもまだ未来を変えたいって思うのか、やっぱ変えたくなくなったのか、あるいは俺と同じように、何やったってどうせ変わんないって思うのか。それはお前の考えだから、好きにすればいいよ」

 私は。

 私の考えは――。

「けどな、ひとつだけ頼みがある」

 黙り込むだけの私に、伊瀬は言う。

「もしもお前が俺の見てきた未来どおりに棚井と付き合って、結婚するってなったら、俺にハガキは送らなくていい」

 そこまで言ってから、小さくかぶりを振った。

「いや、送らないでくれ。見たくないんだ」

 言い直された彼の頼み事に、私はどう答えるか迷った。

 わかった、とうなづくのは変だ。だって私は結婚するつもりなんてない。

 私の気持ちはまだ変わってなかった。

「私は――」

 口を開きかけたとたん、蝉の声をかき消すような音楽が辺りに響き渡った。私の好きなバンドの着メロ――着信だ。

「うわっ、なんだよ」

「ご、ごめん。電話みたい」

 驚く伊瀬にそう告げると、彼の顔がはっと硬くなる。

「誰から? ……俺か?」

 まさか、19歳の伊瀬からの――私はあわてて画面を覗いた。

 だけどそこに期待した名前はなく、代わりに『柳』と表示されていた。

「柳から……」

「なんだ……いや、なんだってこともねえか。出れば?」

「う、うん。ちょっとごめんね」

 拍子抜けした様子の伊瀬に断り、私は通話キーを押す。


 何せ柳とはさっき別れたばかりだ。このタイミングでの連絡は何か大事な用かもしれない。

 誰かがキャンプ場に忘れ物してきたとか、精算したはずのお金が合わないとか――。

 よくない知らせを覚悟しつつ電話に出た私に、

『キク、もう家着いた? 昨日はありがとね!』

 柳の声はずいぶんと朗らかに聞こえた。

「ううん、こちらこそ。どうかしたの?」

 用件を尋ねると柳は少し笑う。

『どうかしたって言うかさー……いや、ちょっと頼みたいことあって』

「頼みって?」

『棚井がね、昨日どうしてもキクに言えなかったことあるんだって』

 棚井くんの名前が出た時、さすがにどきっとした。

『だから昨日の今日で悪いんだけど、時間作って会ってやってくれたらうれしいなって。あ、疲れてるんなら今日じゃなくてもいいけどさ、尻叩いてやんないと全然動こうとしないもんだから――ちょっと、うるさい! 電話中なんだからあんたは黙ってて!』

 どうやら棚井くんは柳の傍にいるようだ。

 柳がそんな電話をかけてきた理由も、今ならわかる。

 わかるからこそ、私はふたりのやり取りを遮るように告げた。

「柳、ごめん」

 もう心は決まっていた。

「昨日は言えなかったけど、私、好きな人がいるんだ。だからごめんね」

 隣で伊瀬が静かに目を見開く。

 たぶん、柳も同じような顔をしているだろう。

 わずかな沈黙があって、

『……あ、そっか……そうだったんだ』

 残念そうでも、ほっとしたようでもある声が聞こえた。

「ごめんね」

『いいっていいって! 棚井にはうまいこと伝えて慰めとくよ』

「ありがとう、柳」

『気にしないで。それより今度、恋バナ聞かせてね』

 その約束が叶うかどうかはわからないけど。

 私はもう一度お礼を言って電話を切り、それから伊瀬に向き直る。


 そして、ずっと言えなかった言葉を告げた。

「あのね……私は、伊瀬が好き」

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