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24:意外な展開

 四ヶ月ぶりの母校の校舎は、記憶の中にあるものと大差なかった。

 卒業式の直後には、コンクリート造りの建物を見上げて『もうここに通うことはないんだ』と感傷的な気分になったものだ。四ヶ月という中途半端な期間を経て、まだ懐かしいとまでは思えず、それでも戻ることはできない実感だけは湧いてくる。いて当然だった場所から突き放されたような、複雑な気分だった。

 もちろん伊瀬の認識は私とは違う。夏の陽射しに照らされた校舎を見上げると、寂しそうに目を細めていた。

「懐かしいな……」

「ここも三年ぶり?」

「ああ。なんか、いろいろ込み上げてくるな」

 伊瀬の目に、三年と四ヶ月ぶりの母校はどんなふうに映るんだろう。聞いてみても気持ちの共有はできない気がして、私はあえて聞かなかった。

 ただ伊瀬に手を引かれるまま、閉じた校門から校舎裏へと歩いた。


 夏休み中だからか、校舎周辺はひっそりと静かだった。

 風のない暑い日で、校庭の木々が作る影の中さえ蒸し暑かった。校庭をぐるりと囲むフェンス越しにしばらく歩くと、やがて体育館の裏手に辿り着く。ここもひと気はないようで、運動部の掛け声やボールの弾む音は聞こえてこない。今日はどこも練習していないんだろうか。

「お、やっぱり。ここは直ってなかったな」

 伊瀬が指さした先は破れてめくれたフェンスだ。彼はうれしそうに私を振り返る。

「昔、ここを抜け道にしてたんだよ。一旦校舎入ってから体育館行くと時間かかるだろ? ここからなら直で行ける」

 それから私の手を軽く引っ張って、

「入ろうぜ」

 と言った。

「え、大丈夫? 怒られない?」

「校舎の中入るわけじゃないし、見つかったら出てけばいいだろ。OBなんだし」

 その理屈が通用するとも思えなかったけど、伊瀬は有無を言わさぬ様子で先に破れたフェンスをくぐる。迷いつつも、私は共犯の気分で後に続いた。


 体育館の裏の、影の中にふたりで座った。

 あたりは夏の木々とぼうぼうの茂みだらけで、むせ返るような緑の匂いで満ちていた。ひと気のない学校を支配しているのは蝉の声で、競い合うようにけたたましく鳴いている。

 暑い日だった。日陰にいてもじりじり汗をかいてきた。それでもこの場を離れる気になれなかったのは、ようやく『懐かしい』と思えたからかもしれない。


 高校時代はよくここで、バスケ部の練習が終わるのを待っていた。

 練習を終えた伊瀬がやってきて、ちょっとの間私の隣に座ってくれるのがうれしくてたまらなかった。


 今も彼は隣にいる。片膝を抱えて座っている。

 彼も暑さを感じているはずだけど、それを気にするそぶりはなかった。ミルクティー色の髪を一度かき上げてから、細い溜息をついた。

「何から話すかな……」

 教えてもらっていないことはまだたくさんあった。

 2006年の伊瀬はどんなふうに過ごしていたか、とか。

 2006年の私が幸せだという根拠と、ずっと会っていないはずの伊瀬がそれを知っていた理由とか。

 何より伊瀬が『未来は変えられない』と思った出来事と、変えられないことに絶望している理由をまだ聞いていない。誰かが不幸になるから、それだけでためらったのではないはずだった。『見せつけられた』と言い切っていたから。

 伊瀬は何を見たんだろう。何を見て、そう思ったんだろう。

「ずっと帰ってなかった、って言ったよな」

 ふと、伊瀬がそう切り出した。

 こちらを向かない横顔は、目の前に立つ木の梢を見上げている。手が届かないほど高く伸びた椎の木は、夏の陽射しをたっぷり浴びて青々と茂っていた。

 私が視線の先を追っている間に、伊瀬が言葉を続ける。

「あれ、理由があったんだ」

「理由?」

 思わず聞き返した私は、彼に視線を戻した。

 伊瀬はまだ木の梢を見上げたままだ。大人になった横顔に、今は苦い表情が浮かんでいる。

「帰らなかった理由って何?」

 続きを促せば、伊瀬は言いにくそうに目を伏せた。

「めちゃくちゃ格好悪い理由だぞ」

「何それ、想像つかない」

「聞いても引くなよ」

「引かないよ」

 約束すると、彼もようやく決心がついたようだ。

 それでもやっぱり言いにくそうに、重い口を開いた。

「お前に……」

「私に?」

「彼氏、できたって聞いたから」

「――え?」


 一瞬、聞き間違えたかと思った。

 意味がわからなかった。私に彼氏ができたから? だから帰らなかったって――。

 いや、それよりも――私に?


「う、嘘でしょそんなの」

 とっさに否定した。

 だって今の私には好きな人がいる。今まさに隣にいる。それなのに彼氏ができるって、それはどういうことだろう。

「嘘じゃねえって」

 伊瀬は私の狼狽が理解できないのか、眉をひそめてそう言った。

「とは言え、俺も直接確かめたわけじゃないんだけどな。人づてに聞いた。同じ高校だった奴がたまたま大学にもいて、そいつに。お前、手紙にはそんなこと一っ言も書いてこなかったから」

 手紙には書かなかったという言葉が妙にリアルで、夏の最中にもかかわらず寒気がした。

 たしかに私なら、『好きだった人』への手紙にそんなことは書かない。そう思う。

「それっていつの話?」

 尋ねてみたら、伊瀬は苦虫を噛み潰したような顔になる。

「最初に聞いたのは大学一年の冬。年が変わる前だった」

 今年だ。

 ありえない。そんなにも早く、私は伊瀬のことを忘れてしまうんだろうか。

「信じられない……」

 思わずつぶやく。

 自分のことではあるけど、心変わりの早さが薄情にさえ思える。今はまだ伊瀬のことが好きなのに、あと五ヶ月ほどで私は他の人を好きになる。

 やっぱり信じられない。

「俺もそう思ったよ」

 伊瀬が、力のない声で続ける。

「だから確かめる勇気はなかった。お前に連絡するなり、帰って会うなりすればよかったんだろうけどな、できなかった。それでもお前は何事もなく、彼氏のことなんて一切触れずに手紙を寄越してくるから、何かの間違いなんじゃないかって願ってた」

 そこで彼は自虐的に笑った。

「馬鹿だよな、早いとこ確認しとけばよかったんだ。根拠もない、神頼みみたいな一縷の望みにすがったまんまでずるずる過ごしてくことに意味なんてなかった。なのに俺はどうしても、動けなかった」

 伊瀬は、もしかしたら――。

 そんな予感が胸を過ぎり、だけどあわてて抑え込んだ。

 だとしても、伊瀬には彼女ができる。私も伊瀬じゃない人と恋をする。それは彼が見てきた嘘ではない未来だ。

「彼氏が誰かって聞かないのか?」

 ふいに伊瀬がそう言って、私は息を呑んだ。

「だ……だって、伊瀬の知らない人なんでしょ?」

 ずっと帰ってなかった上に私も手紙に書かなかったなら、伊瀬は私の『彼氏』のことを知らないはずだ。もちろん高校時代のクラスメイトだった人とかだったら、わかるだろうけど――思い当たる節もなかった。

「知らない奴だった」

 伊瀬がまた、溜息をつく。

「最近顔を知ったよ」

「会ったってこと?」

「いや、ハガキもらったから。お前から、『結婚します』って」


 結婚。

 彼氏ができるというだけでも意外な展開なのに、結婚なんて。

 未来の私はどうなってしまってるんだろう。


「2006年の夏、お前は結婚する」

 伊瀬は言う。

 見てきた未来を、ひどくつらそうに、だけど淡々と語ってくれる。

「専門学校を卒業して、就職もして、結婚する。幸せいっぱいだろ。実際、写真の中では幸せそうに笑ってたよ、ふたり揃ってな」

 そして肩を落とす。

「それで俺はようやく、こっちに帰ってくる気になったんだ。最後に一度くらい、お前に会っておこうと思って。そうじゃないと一生忘れられそうになかったから」

 私は、言葉もなかった。

 自分の未来は誰も知らない。想像だってつかない。だけどそれにしたってこんな未来は意外すぎたし、自分自身の気持ちが何より理解できなかった。

 それほどまでに好きな人が、この先できるっていうんだろうか。

 そんな人なんて――伊瀬より好きになれる人なんて、いるはずない。今の私はそう思っているのに。

「相手、誰?」

 自然とたどたどしくなる私の問いに、伊瀬はちらりと私を睨む。

 目の端でこちらを見たまま、溜息を数回。

 そして答えた。

「棚井だよ」

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