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22:不公平な神様

 夜が明けて、夏らしい晴れた朝が来た。

 キャンプサイトに隣接する水飲み場で顔を洗っていると、誰かに思いっきり肩を叩かれた。

「おっはよう!」

 顔を拭う前から声でわかった。柳はなぜか上機嫌らしく、叩かれた肩がじんと痛んだ。

「おはよう」

 タオルで顔を拭いてから応じると、彼女はきょとんとしてみせる。

「あれ、どうしたのキク。なんか元気ないじゃない」

 言われると思っていた。それならそれで空元気でも装っておけばいいものを、寝不足の私にはその気力すらなかった。

「昨夜あんまり眠れなくて」

 正直に答えると、とたんに柳がにんまり笑う。

「なになに、眠れなくなっちゃうようないいことでもあったの?」

 いいことなんて何もなかった。


 いや、悪いことがあったというわけでもない。

 ただ伊瀬が何かに絶望していて、私はそれを教えてもらえなかったばかりか手を差し伸べることさえ許されなかったというだけだ。

 結局、昨夜はお互い寝たふりをしたまま朝を待った。伊瀬は何にも言ってくれなかったし、今朝も私より先にテントを出ていった。私は寝たふりを続けるばかりで声もかけられなかった。

 そして考え事をする時間なら一晩たっぷりあったというのに、私は何の答えも見つけられなかった。

 伊瀬はどんな未来からやってきたのか。現在の何を見て『未来は変わらない』と思ってしまったのか。私が伊瀬のためにできることはあるのか。

 なんにもわからなかった。


 柳にそれを打ち明けるわけにはいかず、私は肩をすくめておく。

「ううん、単に枕が変わって寝つけなかっただけ」

 すると柳は、今度は心底がっかりした様子を見せた。

「なんにもなかったの?」

「なかったって、何が?」

 いかにも何かあって当然のように言われると、どきっとする。

 まさか柳、伊瀬について何か知ってるとか――まさかね。それならこんな言い方はしないはずだ、たぶん。

「とりあえず、いいことは特になかったよ」

 腑に落ちないままそう答えた。

「ええ……」

 呆れたような顔で溜息をついた柳は、おざなりに手を振りながら去っていく。

「わかった。ひとまず朝ごはんにしよ」

「う、うん」

 今朝の柳は気分の浮き沈みが激しいようだ。表情がくるくる変わって、でも結局何が言いたかったのかはつかめなかった。


 その後の朝食でも、柳の様子は少しおかしかった。

 いつもならみんなとまんべんなくおしゃべりするところを、棚井くんとばかり話し込んでいたようだ。それも表情はどこか険しく、時々肩を叩いたり、肘でつついたりもしていた。

 棚井くんは戸惑った様子でそれを受け止めていたけど――幼なじみ同士の内緒の話なのか、会話の中身は聞こえても来なかったし、他の誰も突っ込んだりはしなかった。

 私も、ふたりとは話さなかった。間に入り込めない雰囲気があったし、何より他に気になることがあったからだ。


 伊瀬は、普通にしていた。

 何をもって普通と言っていいのかはわからない。でもみんなの前では愛想のいい笑顔を浮かべていて、寝不足の様子を見せることなく明るく振る舞っていた。いつの間にやらみんなとも仲良くなったようで、朝から冗談を言いあったり、からかいあったりしては笑う姿を何度か見かけた。

 私はそんな伊瀬と距離を置いていた。

 あるいは、向こうから距離を置かれていたのかもしれない。朝食の席でもその後の片づけでも、あるいはテントを撤収する最中だって話しかけてこなかったし、目すら合わなかった。私も声をかけられずにいたからお互い様なんだろう。

 そういう態度が逆に、伊瀬が『普通』を装っているとひしひし伝わってきてつらかった。

 そして私はそんな伊瀬に、言葉ひとつかけてあげることができなかった。


 一泊二日のキャンプ旅行はぎこちないまま幕を下ろした。

 帰りの電車では、意外なことに伊瀬は私の隣に座った。避けられるだろうと身構えていたから驚いたけど、彼は窓側の席を要望してから小声で私だけに告げてきた。

「俺、寝たふりするから。みんなにはそう言っといて」

 この二日間ですっかり人気者になってしまった伊瀬は、他のみんなからもよく声をかけられるようになっていた。またこっち来る時は一緒に遊ぼう、連絡先を交換しようと言われ、反応に困っていたようだった。仮に連絡先を教えたところで、繋がるかどうかはわからないものの。

 ともかく伊瀬は狸寝入りでみんなの誘いをかわすことに決めたらしい。電車が動き出した瞬間から目をつむって、いかにも規則正しい寝息を立て始めた。

 私はその横顔をこっそり眺めていた。

 高校時代よりも大人になったと思っていた顔は、今見るとやつれているようにも映った。

 くたびれているせいだろうか、本当に年上の人なんだと改めて意識してしまう。頬はこけ、喉仏の骨っぽさもより強調されている。ミルクティー色の髪は毛先が少し傷んでいて、そのことさえどこか痛々しい。


 未来では何が起きたんだろう。

 幸せだと思っていた伊瀬が実はそうではなかったことが、私の心に重くのしかかってくる。他の人と一緒にいてもいいから、幸せであって欲しかった。伊瀬がつらい思いをしている未来なんて知りたくなかった。

 でも、知ってしまった。

 伊瀬はいつになったら、どうしたら未来へ帰れるんだろう。それもわからないままだけど、不幸だっていうんならいっそ帰らなくてもいいと思う。こっちで暮らすのは大変なことだろうけど、それでも私は彼のためにできる限りの手助けをするつもりだった。

 もちろん、伊瀬がどうしたいのかが一番大事なことだ。

 私はそれを尋ねたくて仕方がなかった。でも電車の中では誰かに聞かれてしまうかもしれないと、黙って彼を見つめているしかなかった。


「……なあ」

 ふいに、伊瀬の唇が動いた。

 電車の走る音にまぎれるような小さな声だったから、ずっと見ていなかったら気づけなかっただろう。

「何?」

 私が聞き返すと、伊瀬は目をつむったまま続ける。

「神様は不公平だって思わないか?」

 神様、という単語が彼の口から出てきたことが意外だった。

 でもどうなんだろう。今起きてる理屈じゃ説明のつかない事態は、神様の仕業なんだろうか。そんなもの、今まで信じたこともないけど。

「俺は知りたくなかった事実を知った。未来は変えられないってことだ」

 伊瀬が力のない声で語る。

「そんなことを思い知らせるためだけに俺をこっちに寄越したんなら、理不尽だし不公平だろ。どんだけ俺を苦しめたいんだよ……」

 その言葉のひとつひとつが私の胸に突き刺さるようだった。

 本当にそれが、いるかいないかもわからない神様の目的だったとしたら、不公平としか言いようがないだろう。


 でも、もし未来が変えられるのなら。

 伊瀬は絶望しているようだけど、私にその手伝いができるなら、これは別の意味で不公平と言えるだろう。

 他の誰にも与えられないはずのやり直しのチャンスを、伊瀬だけがもらうことができたんだから。

 それでもいい。不公平でもいい。私はそう思っていた。

 伊瀬には明るくて幸せな未来に生きていてもらいたい。

 どんなにずるいやり方でもいい。不公平だって罵られてもいい。伊瀬自身があきらめたって私はまだあきらめてない。

 未来を、変えてしまおう。

 電車を降りたらそう言うつもりで、私は、今は黙っていた。


 手の中には携帯電話を握っている。

 2003年の伊瀬からの返信は、まだない。

 ないことが逆に、この事態を打破する鍵かもしれない。そう思い始めていた。

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