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1:出会いは突然に

 玄関のドアを開けたまま、私はしばらく固まっていた。

 目の前ににやけ顔で立っている人物が誰だったか、とっさに思い出せなかったから。


 ――見覚えはもちろんあった。

 なのに喉元で引っ掛かって出てこない。


 あのにやけた笑い、どうにも締まりのない顔。本当は割と端整で、男前と呼んだっていいのかも知れない顔立ちは、けれど大抵にやにやと歪められていて台無しだった。

 男の子にしてはそんなに高くない背丈。だけど腕は太くて、腕相撲しても一度として勝たせてくれなかった。大きな手の温かさまで覚えている、のに。

「よ、キク。久し振り」

 そんなふうに私を呼ぶ気安さもまた相変わらずなのに。


 なのに違う。

 ミルクティーの色に染めた髪はあちこち逆立っていて、お洒落なんだか寝癖なんだかわからない。昔の彼はもっと清潔感のある学生らしい髪形をしていた。

 ぴたりと細身のTシャツも、やたらサイケデリックなデザインだ。ダメージデニムの腰の辺りではウォレットチェーンがちゃらちゃら音を立てている。

 彼が昔、バスケ少年だった頃を思い出し、ユニフォームと光る汗とが誰よりも似合っていた頃を思い出すと、私は呆然としながら呟かずにはいられなかった。

「……伊瀬、なの?」

 すると伊瀬らしき人物が首を竦める。

「何で疑問形?」

 声も、変わりない。伊勢の声だ。高校時代に散々聞いてきた、あの陽気な男子の声だ。

 だけど人間、こんなに劇的に変わっちゃうものだろうか。

 伊瀬が県外の大学に通う為、この街を出て行ったのはたったの4ヶ月前。それだけの間に何があったのかは知らないけど、高校時代にずっとつるんできた私が一瞬別人かと思うほどに、伊瀬の姿は変わっていた。

「だって……」

 私は思わず視線を落とし、父さんのサンダルを履いた足に気付いて、決まりの悪さを覚えた。

 開いたドアの向こう、伊瀬は見たこともないモデルのスニーカーをはいている。バスケットシューズではなかった。

「違う人みたいに変わってるから」

「そっか? ま、久々に会うからな」

 言って、伊瀬は照れたように笑った。

 たった4ヶ月ぶりの再会を『久々』と評するだけの出来事が、向こうでの大学生活にはあったんだろうか。私はまだ呆然としていた。

 伊瀬はにやにやしている。その笑顔は変わっていない。何も考えてなさそうな、子どもっぽい笑い方。だけど一方でずいぶんと顔つきが大人びたような――口元や顎のあたりからはあどけなさが消え、目つきにはどきっとするようなシャープさがある。

「キクは全っ然変わってねえな」

 全然、と言う単語に思い切り力を込めてきた。

 失礼なといいたいところだったけど、事実だった。


 私は思わず視線を落とす。

 すかさず安物のグリーンのキャミソールが目に入り、その下にある胸の相変わらずの薄っぺらさを自覚して、ほとほと嫌気が差した。

 化粧だってしていない。最近ようやく慣れてきたところだ。友達と出掛ける時はともかく、夏休みの午前中にのんびりしている間は化粧なんてしない。手を抜いているんじゃなく、もともとこういう子なだけ、私は。

 だけど――思った。化粧くらいしとくんだった。

 伊瀬が来るなんて知ってたら、してた。もうちょっときれいな格好だってしてた。


「そうだろうね」

 目を伏せたままの私は陰鬱な声を発した。

 頭上で伊勢が笑うのが聞こえた。高校時代は背丈の差もほとんどなくて、私たちは互いの声をいつも耳元で聞いていた。

「なんて言うか、変わらなさ過ぎだろ? 高校時代のまんまだもんな。ザ・10代って感じ?」

 そりゃまだ10代だもの。

 伊瀬は髪なんか染めて大人になっちゃったつもりなのかも知れないけれど、私たちはまだ19だ。春生まれの伊瀬と夏生まれの私は19になっているはずだ。

「面白ぇなぁ。キク、まだ女子高生でもイケるぜ? 今度セーラーでその辺歩いてみ?」

 しまいにはげらげら笑い出した伊瀬が鬱陶しくなってきたので、私は視線を上げた。

 苛立ち混じりの声をぶつける。

「何しに来たの?」

「――え、いや、何って」

 途端に伊瀬が笑みを消した。気まずそうな顔をする。昔と変わらない、悪戯が見つかった後の子どものような表情。そうしながら、指で頬を掻くのも同じ。

「何つうか、挨拶?」

「あいさつ?」

 私は彼の言葉を反芻した。挨拶って何の?

「あー……まあ、ご機嫌伺いってとこかな」

 何となく苦しげな笑みを見せて、伊瀬は首を竦める。

 それから、リュックサックのお蔭で空っぽの両手を自ら見て、

「あ、ごめん。俺、手ぶらで来ちゃった」

「別にお土産なんか期待してなかったから」

 伊瀬がそんな気の利くことしてくれるはずがない。そう思って、ようやく私も笑った。

 玄関のドアを大きく開ける。

「上がったら?」

「いいのか? 今」

 不意に伊瀬は大人の顔になって、気づかわしげにさえしてみせた。

 珍しい。昔は呼び鈴も鳴らさずに上がり込んで来たくせに。うちの両親に顔パスが利くから、何度か私の不在中に部屋に入られた事もあった。あの時はさすがに焦った。

 でも今はこうして、確かめてくる。そのことがどこか物寂しい。

「別に今更。ちょっと散らかってるけど、それでもよければどうぞ」

 私は私で、あれだけ笑われた後ならもはや取り繕う気も起こらなかった。片づけてない部屋に伊瀬を入れたって構わない。

「お邪魔しまーす」

 ドアをくぐり、玄関口で靴を脱ぐ伊瀬。

 私も父さんのサンダルを脱いで、先に立って家の中へと戻る。


「キクの部屋、久し振りだ」

 浮かれた口調の伊瀬がおかしい。私の後から階段を上がってくる。

「本当に散らかってるからね」

「はいはい。変わってねぇのな、キク」

「今日はたまたま。明日、キャンプの予定があったから」

 私は足を止めて、下の段にいる伊勢を睨みつけた。

 そう、たまたま。伊瀬が来るとわかってたらちゃんとしていた。いろんな準備を、ちゃんと――。

「普通は来る前に連絡くらいするもんじゃないの?」

 また階段を上がり出す。家の階段は14段。もう2階に着いた。

 また足を止めて振り返る。上がって来る伊瀬の、大人びた表情が目に入る。

「何か急に、来ようかなって気になってさ。そう言えば挨拶もしてなかったし」

「だから挨拶って何よ」

「いや、まあ、ここで話すことじゃねえな」

 気まずげな笑いを見るのは息苦しくて、私は自室のドアを開けた。


 吹き込んで来る真夏の風が、途端、頬に触れてくる。

 旅行カバンがふたつ並んだ床の上、クッションを投げて、

「座って」

 手で示すと伊瀬はそれに従った。

 私は、正座をした奴の奇妙な行儀良さに眉を顰めながらも、

「この次は前もって言ってよ。お茶くらいしかないから」

 お茶くらいは出してあげようと思い立つ。

 そうして部屋を出て行きながら、

「手紙の返事だってくれなかったし」

 と言い添えると、伊瀬が微かに笑うのが聞こえた。

「……それは、悪かった。ずっと返事してなくて」


 別に。

 ずっとって程じゃない。たったの4ヶ月だ。

 伊瀬にとっては充実していて楽しくて目まぐるしくて変化に富んだ4ヶ月だった事だろうから、手紙なんて書く暇もなかったんだろう。しょうがない。

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