第十三話 すれ違い(1)
幾星霜にわたり人類の移ろいを観測し続けてきた星空の下で、今日もまた一つの真実が暴かれようとしていた。
世にはびこる保身の虚構を浮き彫りにさせる科戸ノ祓。甕星の民の悲願を成就するために開かれた呪方陣は、水面を染め上げる赤い明滅の中に断罪の兆しを含みつつ、神の意志を人々に伝えるべく順調に勢力圏を広げている。
呼び込まれた異界の風は崇高なる特権を行使して人々の心を揺さぶり、その焦燥にも似た強制力を前にしては、固く閉ざされた忌の心ですら屈服を余儀なくされてしまう。
風が呼び覚ます太古の衝動は、全ての人間が追い求める自由と束縛の源流だ。
例えばそれは、食欲や性欲など、本能に根ざした反射的な激情に酷似している。人間が人間であるために不可欠な行動原理でありながらも、監視を怠ればすぐさま悪因に転じて人間の仇敵に変貌してしまうという、この上なく危険な覚醒の種子。
無論、植えつけられた芽をいかにして育み、最終的にどのような花を咲かせるかは各人の裁量に委ねられている。科戸ノ風はいわば心の清らかさを映し出す鏡面であり、反照する甘美の毒性に気づけないのならば、それは単に個々人が自己との戦いに敗れてしまっただけのことだ。保身のためならば他人を犠牲にすることすら厭わないという獣の性質が、正当な形で裁かれるに過ぎない。
――人間が、人間の咎を、自らの手によって。
慈しみ、思いやり、助け合う、そんな献身的な生活の中で常に心を清浄に保ってさえいれば、いかに科戸ノ風とて、人を貶めることなどできはしないのに……。
「……しかし、相も変わらず面妖な風よ。些かでも持斎の念を緩めれば、すぐさま三悪趣の鬼神が取り憑いて跋扈を始めおる。並大抵の気概では正気を保つ事叶わぬであろうが……お主ら二人共、よくぞそれだけ平然と構えていられるものよな」
勢いを増す風を真正面から受け止めていた残鬼坊が、池の脇に立つ二人の同志に声をかけた。
安定期に入った呪方陣を静かに見守っている忌と、そんな彼を物珍しそうにのぞき込んでいるナミ。どちらの顔にも風が及ぼす狂気の片鱗は見受けられず、無理矢理に精神的葛藤を押さえ込んでいる様子もない。利己を殺した揺るぎのない感性が、心の輪郭を保持しているのだろう。
少なくとも、忌はそう信じて疑わない。
「ふふ、神の御言を伝える立場にある僕たちが、率先して風に当てられていたのではお話にならないからね。仮初にも天津甕星に仕える身であるからには、風が及ぼす影響の一切が清浄の証だと知るべきだよ」
壇に護摩木をくべるような趣で指先の呪符を水面に吹きかけた忌は、心奥に端座している平静の裏づけを補足しながら微笑んでみせた。
わざわざ口にせずとも聡明な残鬼坊は理解しているだろうが、科戸ノ風は顕界に住まう人々をふるいにかけ、利己的な欲望の環を断ち切ることを目的とした神の息吹だ。その対象となるのは、終わりのない自己防衛に身をやつす哀れな人々が主であり、常に心の清浄が保たれている覚醒者にとっては、感情の起伏を高める奇妙な風、という程度の存在でしかない。つまりその人物が自己の中に鎮座する清浄な赤心に気づいているか否かの証明となり得るのだ。
風の霊験を用いて穢れた世界を浄化する救世の集団が甕星の民であるならば、忌たち工作員はいかなる状況にあっても心に隙を作ってはならないし、また風に犯されてしまうような卑しい心の持ち主に甕星の民を名乗る資格は無い。
「あのー、わたしには忌のおにいさんが言われるような難しいことはわかりませんけど……この風は、なんだかとってもあったかいような気がします」
下唇に指先を当てる仕草で少し考え込んだ後、着飾らない素直な口調でナミが言った。
「風がもたらす恩恵は、それを受ける魂の位階によって性質を変える。もしそう感じるのであれば、ナミの心が至純なる清浄を帯びているということだ」
「……あの……それって……?」
「ふふ、分からないかい? つまり、ナミの心がとても温かいということだよ」
「心があたたかい、ですか? えっと…………やっぱりよくわからないです」
合点のいかない様子で首を傾げているナミの姿に、忌は一つの真理を見たような気がした。
外道の錬金術師によって創り出されたナミの心には、元々、穢れの温床となる利己の源泉が与えられていない。ひたすらに創造主を慰め守護することだけを求められた結果、彼女の心身からは、従順を脅かす機能の一切が取り除かれているのだ。
逆らうことを知らず清廉な献身のみが行動原理を成す、不完全ゆえに完全な傀儡の生命。
そんなナミだからこそ、嘘偽りのない風の本質を感じ取ることができる。彼女が言うように、風が温かい包容の性質で満たされているのならば、神の意志が魂の救済へ向いていることに疑いの余地はないだろう。
神は無分別に混沌を望んでおられるわけではない。
清浄な心の持ち主には等しく褒賞を下し賜わすのだ。
「風は純然たる神の愛なんだ。もしこの風を不快に感じるのであれば、他ならぬ自分自身の心にこそ真因があると思わなくてはならない。責任転嫁を覚え陶冶を捨てた瞬間から、人間の成長は止まってしまうのだから」
ナミの存在を指標に風の正当性を再認した忌は、星空の瞬きに神の姿を観じながら、意図的に士気の昂揚を促した。
種々の艱苦に立ち向かい心を磨き続ける甕星の民。正しい指導者、正しい理論、正しい行動を以て顕界を導こうとしている我々だからこそ、神の寵愛は注がれている。まだ完全に定着していないとはいえ、この異界の風を受けながら正気を保っていられること自体が何よりの証拠だ。
湧き上がる利己感情を絶えず抑制している忌。動機としての我欲を根本的に欠いているナミ。もちろん、煩悩の遍歴を経た末に無上の胆力を身につけた残鬼坊も――
次代を担う新たな人類として選ばれたのだ。俗世間にまみれ、打算的な欲望に身を任せるだけの青人草とは違う。
「過去、数度に亘って執り行った祓の中で、自らの清浄を示せた青人草は無に等しかった。甕星の民のように、人間の本道を求める者たちがいないということだ。それがこの世界の現状なんだよ」
漆黒の瞳に僅かな憂いを浮かべた忌は、風の狂気を受け入れて情欲の獣と化した人間の所業を思い出していた。
押さえきれぬ衝動のままに延々と破壊活動を繰り返す者。
舌先の快楽を追い求め腹が裂けても飲食を止めない者。
金銭の虜となりただの記号でしかない銀行券を愛玩する者。
性的倒錯の捌け口として見ず知らずの女を絶命するまで汚した者もいる。
大祓詞に示されるところの生膚断に始まり、死膚断、己が母犯せる罪、己が子犯せる罪、母と子犯せる罪、子と母犯せる罪、畜犯せる罪に至るまで、そこではありとあらゆる罪が活動の機運を与えられ、人が織り成す営みのうち最も下劣な行為が展開されるのだ。
――自由の名の下に。
それは風が強要した悪行ではない。あくまでも、個々人の内側に潜んでいた闇が、都合の良い口実を得て開放を正当化しているだけ、という事実を忘れてはならない。
ここ数年マスコミを賑わしている『急性殺戮衝動症候群』や『抑圧解放的心因反応』なるもっともらしい時代相の正体は、時の流れとは全く無関係の純然たる人の罪科だ。
シンボリックな単語で真実を覆い隠し、いとも簡単に悦楽に呑み込まれてしまう。裁かれて当然の劣等種なのだ、ヤツらは。
「うむ、忌殿の言は的を射ておる。いつの時代も、人は六根の罪障によって憂い、怒り、狂い、滅びるのだ。科戸ノ祓が混沌を生み出すのであれば、それは凡夫狂酔の蒙昧がそうさせておるのであろう」
風の玄理を熟知している残鬼坊は、感傷的な憐憫を介さない超越者の潔さを以て忌の言葉に同意した。
生粋の求道者である残鬼坊にとって、顕界に訪れる事象の全てが自らを戒めるための導師となる。他人の無知に触れては自己の無知を嘆き、自然の雄大を見ては自己の矮小を思い知らされるのだ。
そこには凡夫と同じ次元の視点は存在していない。表皮的な感情に囚われて小事に一喜一憂していたのでは本当に向き合うべき大局を見失うことになるし、無意味な心の拡散が道を求める者にとってどれだけの弊害があるかを彼はよく心得ているからだ。
揺るぎのない信念を感じさせる彼の言動に、欺瞞を見透かす諦念と凡庸を突き放すような卓越性が含まれているのも、そこに端を発している。
世俗に浸透している“生命は等しく尊いのだ”、などという生ぬるい標語を過信していては、残鬼坊という武人の本質を理解することなどできはしない。
「ふふ、甕星の教理に懸念を抱いている君でも、この儀式に関しては賛同してくれているようだね」
「うむ。如何に人の本質が変わらぬとは言え、当代は道義の乱れがあまりにも顕著ゆえな、お主らの言い分も大いに合点が行くものよ。それに……天津甕星に縁を持たぬ全ての民が心弱き者という訳でもあるまい」
言葉の最後に明らかな含みを持たせて、残鬼坊は腰に帯びた打太刀の柄尻に手を添える。
――新々刀業物二尺八寸六分・臥龍胆。
武人の魂そのものである日本刀を手の内にして発する彼の言葉は、この世に存在するどのような約定よりも重い、紛うことなき本心の発露だ。
「……もしこの風が真に衆生済度の礎となるのであれば、我らの窺い知らぬ場所で、識大の智に優れた覚醒者が現出するのもまた必定であろうよ」
嬉々とした色を浮かべて忌を一瞥する残鬼坊の瞳が、真理の暗示に直面した彼の喜びを包み隠さず物語っていた。
そう、彼は期待しているのだ。劣等種であるはずの青人草の中に、祓の真意を理解する者が現れることを。
風の霊威に軟らかな枝葉をへし折られてなお屈しない頑強な心根の御剣が、我々の喉元にその鋭い刃先を突きつけることを。
そしてその道化たちは、どこまでも気高く、純粋で、哀れでなくてはならない。
だからこそ残鬼坊は切望するのだろう。
正義という幻想に操られ戦場に立つことを余儀なくされてしまったかの……《復讐者》の少年剣士と相まみえる瞬間を。
「……そうだね。君の言う通りだと思うよ。けど、過去にそうであったからと言って、神威の能力者たちが今回も風の試練を昇華できるという保証はどこにも無い。それに……」
やはり神の意志を受け継ぐという大役は甕星の民にこそふさわしい、とあらかじめ用意していた言葉を続けようとしたが、それは突如訪れた側頭部の鈍痛によって打ち消される。
予測はしていたけれどタイミングが良すぎるね、と忌は思った。
恥辱にも似た鈍い疼きは、使役する分霊が消失するときの呪的な痛み。すなわち、園内に配しておいた式神が何者かによって葬り去られたことを示唆している。
「……どうした、忌殿?」
「ふふ……悔しいけれど、どうやら君の勝ちのようだ」
ふぅ、とわざとらしいため息を吐いた忌は、次いで訪れた三度の鈍痛に微笑を浮かべた後、ゆっくりと瞑目して押し寄せる式神の記憶を受け入れた。
瞼の裏側に投影されるビジョンは明らかに他者の視点だったが、激しく躍動するその視界の中で傑出した異能を行使する少女たちの姿には少なからず見覚えがある。
戌の記憶を手繰り寄せる度、忌は艶やかな火焔に焼かれ、降り注ぐ光の雨に貫かれ、月光を纏う白銀の刃に斬りつけられた。
与えた命令が時間稼ぎであったとはいえ、致命傷どころか手傷一つ負わせられないとは不甲斐ない。忌は屠られた戌の数だけ今際の光景を堪能し、最後に円陣を突破した少女たちの背中を見上げた辺りで送られてくる戌の記憶を遮断した。
――迦具土の娘。
――土御門ノ穢レ。
――復讐者。
事あるごとに我々の前に現れては偽りの大義を振りかざす、純粋ゆえに危険な為政者の走狗たち……。
忌は、招かざる馴染みの顔触れに、憤りを覚えるでもなくただ不思議な親しみを感じていた。顕然たる神敵でありながら、風が招く悦楽の狂気に惑わされることなく、死と隣接した戦場においてさえも信念を優先しようとする純潔の精神に、自分たちが求める人間的高みと同質の何かを見いだしたのかもしれない。
もしかするとそれは若さが奏でる脆く儚い一途の放熱に過ぎないのかもしれないが、今重要なのは、風の影響下にありながらも未だ獣性に絡め取られていないという確然たる事実だ。
彼女たちはまだ諦めることに慣れていないのだ、と忌は思った。
保守的な怠惰を何よりも嫌う忌が、ほんの僅かだが心からの微笑を浮かべなければならなかったのは、きっとそんな理由からだ。
「どうやら、《迦具土の娘》と《土御門ノ穢レ》の二人が戌の円陣を突破したようだ。あれだけの数を配置しておいたのに時間稼ぎにすらならないなんて、敵もやるものだね」
慌てる様子もなく、まるで予測していたかのような口振りで現状を説明した忌は、逐一頷きながら話を聞いている残鬼坊に微笑みかけた。
「うむ。両名年端もいかぬ娘なれど、出群の霊力を備えたなかなかの手練れよ、油断するわけにはいかん。それよりも彼奴は……もしや来ておらぬのか?」
必要最低限の相槌を打って自ら本題を切り出した残鬼坊は、欲する情報にたどり着けない歯痒さを隠すかのように顎をさすっている。
玩具を取り上げられた子供を連想させるその所作があまりにも滑稽で、忌は思わず吹き出しそうになった。世界の不条理を知るために長い年月を費やし、解悟の矛盾を掘り下げる中で程なく不変の真理に到達しようとしている求道者も、この一件に関しては不動心を維持することができないらしい。不安と期待が入り交じるその表情からは、武人の威厳すら失われている。
もっとも、作為的な虚勢を張らず無闇やたらと繕わないところに、表面的な判断ではうかがい知ることのできない彼の本質が現れているのではあるが。
「ふふ、よほどあの少年のことが気に掛かっているらしいね」
その問いに残鬼坊は答えなかったが、彼の心の内は明らかだ。
このまま核心に迫らず勿体ぶるのも一興だが、これ以上焦らして求道者の真摯に水を差すのも気が引けるので、忌は残鬼坊が望むままの答えを提示することにする。
「……《復讐者》の少年は今も戦っているよ。仲間を先に行かせて、一人で式を相手にしているらしい。自己犠牲ならば美しいけれど……そうでなければ、随分と見くびられたものだね」
遠方で繰り広げられている一部始終を要約し自らの所感を付け加える。
それを聞くなり、顎に宛っていた手を刀の鍔元に落とした残鬼坊は周囲を憚ることなく破顔した。
「ハッハッハッ! それは違うぞ、忌殿! 見くびっておるのではない! 彼奴は俺と同じよ! この軟弱な世界にあって、死を凌駕する真物の気概を求める武士なのだ! 曇りの無い大和心に燃えておるのよ!」
侵入者の活況に賞賛を惜しまない残鬼坊の態度は、本来ならば甕星の工作員にあるまじき非難の対象に違いなかったが、確信に満ちた彼の瞳を好意的に捉えていた忌に、それを咎めることなどできようはずもない。
「彼奴め、分もわきまえずやりおるわ。まこと、豪気な事よ!」
喜び勇む残鬼坊は、言葉も終わらぬうちに踵を返した。
「どこへ行くんだい?」
「知れた事よ。彼奴の成長を見届けに行く! 俺には彼奴に会って話さねばならん事があるのだ!」
忌の制止を待たず前傾姿勢で駆け出した残鬼坊は、一切の気配を絶つ見事な去り際で早々と姿を消してしまった。
残された二人は不意に押しつけられた静寂の中で顔を見合わせ、互いに首を傾げる。
「……やれやれ、敵が二人も迫っているというのに、肝心の門の警護が手薄になってしまうじゃないか。本当に勝手だねぇ、呆れてしまうよ?」
さりとてその身勝手を責めることもなく涼しげな微笑を浮かべる忌は、成り行きに流されるがままこちらを見つめているナミにそれとなく同意を求めた。
「あ、はい、そうですね。……でも、残鬼坊のおじさん、とっても嬉しそうでした」
しばし悩んだあげくまるっきり見当違いの解答を返したナミは、きょとんとした表情で忌の反応を待っている。
「ふふ、戦いの最中に嬉しそうだなんて不謹慎だねぇ。ナミにはそう見えたのかい?」
「はい、そう見えました。とぉぉーっても! です」
両手を大きく広げて嬉しさの分量を表現する仕草が予想通りだったためか忌は満足げに頷いて、相も変わらず脳天気に微笑む少女の頭にそっと手を置いた。
「残鬼坊はね、僕たちとは違う方法で到達しようとしているんだ。彼にとって、科戸ノ祓と少年との邂逅は同義なんだよ」
生まれたばかりでまだ人生の苦楽を知らないナミが、筆舌に尽し難い絶望の末にたどり着く木漏れ日のような原理への渇望を理解できようはずもなかったが、それでも忌はこの幼い少女に語りかけずにはいられなかった。
残鬼坊は今、直面している。彼が追い求めるたった一つの真実を、戦いという非人間的な行為の中から射抜こうとしている。
星護院の石頭たちは納得しないだろうが、忌は残鬼坊の越権行動に正当性を感じているのだ。工作員の行動が神に庇護され、巡り会う事象の全てが天佑であるならば、残鬼坊が《復讐者》の少年と相まみえるのもまた必然なのだろうから。
邪魔をするわけにはいかない。
「こうなったら、ナミには残鬼坊の分まで頑張ってもらわないとね。期待しているよ」
残鬼坊が《復讐者》の足止めをするならば、こちらへ向かっている能力者は忌とナミの二人だけで対処しなくてはならない。人数的には互角だが、忌は門の安定に呪力の大半を奪われるため、実質的にはナミ一人が応戦することになる。いくらナミがその小さな体に不相応の剛力を秘めているとはいえ、状況は明らかに不利だ。
「はい! わたし、がんばります! 忌のおにいさんは、わたしが必ずお守りしますぅーっ!」
事態の深刻さを知ってか知らずか、ナミは忌の期待に応えるべく胸の前でいつものガッツポーズを作ってみせた。健気だがどこかアンバランスな彼女の態度が可笑しくて、忌は反射的に微笑みを返そうとする。まるで赤子をあやすときのような、一見優しいが、その実、人を傷つける心ない嘲りを忍ばせた愚弄の笑みを――
そのとき、ナミの手元に一筋の閃光が趨った。
正確には彼女の手のひらを覆う手甲―崇神の手―より発せられたその光は、地中深くより吸い上げた雷神の邪気を変換することで生み出された、穢れを以て穢れを祓う黄泉の雷火。
パリパリと放電を奏でながら躍動する瑠璃色の雷は、宿り主の意志に呼応するかのように勢いを増し、幼いながらも固い決意に満ち溢れたナミの横顔を照らし出している。
「だんだんとこの手袋の使い方もわかってきましたし、わたし、残鬼坊のおじさんのぶんまでいっしょうけんめいがんばりますから!!」
一際大きな声で心の裏側を見透かしたかのように決意表明し、濁りのない瞳でまっすぐに見つめて来る。
「……そうか、ナミも立派な甕星の民だったね……すまない」
真剣な表情で詫びながら、忌は無意識のうちに抱いていたナミへの疑念を恥じた。
ナミの実力そのものを疑っていたわけではない。実戦は今日が初めてだが、彼女の華奢な腕から発せられる桁外れの怪力は敵にとって驚異だろうし、繰り返し行われた模擬戦闘においても残鬼坊を唸らせるほどのセンスを見せているのだから。
ようするに、忌はナミの幼い言動に惑わされ、経験不足を侮り、全力を尽くして仲間を守り通そうとする彼女の決意を疑っていたに相違ないのだ。
「……もうすぐ敵がやって来る。僕は動くことができないけれど、ナミが戦ってくれるなら安心だ。僕の命、君に預けるよ」
自分が犯した過ちに気づいたからこそ、忌は幼いナミを同志として認め、素直に合力を求めることができた。
立場や外見という幻想を打ち破り、真に対象を観るための智慧を得ることができた。
神に感謝しなくはならない。今日この地において、ナミという存在を通し至高の叡智に触れる機会を賜わされたことを。
神はやはり僕を導いてくれているのだ、と忌は思った。
残鬼坊が少年との戦いに真理を見いだすのならば、僕がナミを通して真理を悟るのもまた必然だ。これが神の導きでなければ一体何だと言うのか。
忌はニッコリと微笑んでいるナミの顔に至福を感じ、その延長上で任務の成功を確信する。
しかしながら、彼はまたしても重大な過失を見落としているのだ。そして、そんな自分に気づいていない。
もしナミの言動が真理をもたらすための方便であるとするならば、彼女自身が内包するそれ以外の可能性を閉ざしてしまうことになる。そのような利己的な考え方は、ナミという存在を軽視し、蔑ろにしているのと同じだ。
加えて先程彼が恥じたナミの決意への疑いも、実際のところは、疑念を抱いていたにも関わらずそれに気づくことができなかった自己の未熟を恥じたに過ぎない。
事象はそれを観じる角度によって性質を変え、その取捨選択は常に自己責任において行われる。
世界に神の導きというものがあり等流法身の観念が嘘でないのならば、きっとそれこそが耳を傾けるべき真理の破片だったはずなのに……。
――甕星の教理という固定観念的な思想に傾倒しているが為に、彼はまたしても掴み損ねてしまったのだ。
【武神具】
・崇神の手
地中深くより雷神の邪気を吸い上げて、瑠璃色の雷を腕にまとわせる。
【武具】
・臥龍胆
がりょうたん。新々刀業物二尺八寸六分。残鬼坊の愛刀。




