死刑執行人。
その日は、蒸し暑いにも程がある汗ばむ真夏の朝だった。
俺がいる拘置所の棟の中は、エアコンが効いてはいるが、外に出れば汗ばむどころか身をも焦がしてしまう陽射しだろう。
格子の、窓辺から差し込む光を浴びて気を取り戻した俺は、肩をバシンと叩く同僚の手に、外でさんざめくミンミン蝉の耳障りな大合唱の痛さよりも、彼から与えられた体を包む仄かな痺れに頭の機能が追いつかず、まるで夢の底にいる様な気分である。
「おいお前、ぼやぼやすんなよ。しっかりしろよ」
ニカッと笑う同じ年齢の看守の男は、さらにパタパタ肩を打ち、「さあ行くか」といってコンクリートに囲まれた廊下をゆっくり歩き始めた。
「お前さ、死刑執行の仕事、今回がはじめてじゃないだろう?」
「え、…ああ。法律が変わってから何度目かな。もう忘れちまったが十回、いや十二回だったかな」
紺色の、遠くから見れば警察官に見間違えてしまいそうな制服の右腕を上げ、おもむろに眺め、そして歩くために前に出して後ろに引いた。左の足は、もちろん前に出ている。
十年前、この国では死刑制度に関する法律が変わった。
それまで行われていた薬液の静脈注入による死刑は見直され縊死、即ち首つり方式に変更されて、これまで数十人が執行に関わっていた体勢を見直すことで人員と諸経費の大幅削減に成功。お陰で今では死刑に直接かかわるのは僅かに数人、実際に執行を行う人員は一人としたのだ。
まあ、つまり。その一人と云うのは〝直接執行人〟である俺な訳だが。
「高給取りはいいなぁ~」
「代わってやろうか?」
「やだよ♪オレ、あんなムズイ試験に通る自信なんかねぇ~し、それに半年ごとの資格検査とかやりたくねぇ~から♪」
「そうかい」
ベロを出しておどけ、首を盛んに振ってイヤイヤする同僚を横目に見ながら俺は、ちょいとした優越感に浸っていた。
なんせ隣の同僚の年棒の、三倍近くも稼いでいるんだからな。
「で、肝心の囚人は先にあそこに入っているのか?」
「さっき入ったらしい。なに、怯えることもなく静かに残された時間を過ごしているそうだ」
同僚は云う。死刑囚は既に今朝、身体の左右を警務官に挟まれ連れられて、悔恨室でこの世に言い残す言葉を口にして、国指定の教職者の祈りの言葉を聞き終えたあと、死刑執行を行う刑場の隣の部屋、通称『最後の晩餐室』と呼ばれている次室に移され、かねてから係官に頼んでいた末後のプリンを一杯。さも美味しそうに時間をかけてじっくりと味わったそうだ。
しかし最後の食事がプリンて、そんなものが死ぬ間際に食うべきものだったのか?子供か?
「言ってやるなよ。そういうお前もプリンすきだろ?知ってるぞ」
「ま、まあ。嫌いではないけれど…」
くすくす笑う同僚の手前、俺は言葉をはぐらかしたが、実はプリンは子供の時からの大好物だったのだ。
まだ幼い時分。裕福、と云うほどではなかったが、それなりには豊かな生活送っていた俺の家族は、母が手作りしたちょっとばかり贅沢なお菓子を夕食後に食べることを日課にしていたのを思い出した。
それは、例えば子供には少し早いブランデーマフィンだったり、例えばちょっぴり端が焦げてほろ苦いクッキーだったり、クリームがやたら甘ったるいホールケーキだったりしたのだけれど、とっくに亡くなった母親や父親、まだ幼かった妹の面影を思い出させるには十分な思い出だった。
つ…。
「おいおい、どうした?」
「うん?あれ…」
ホント、どうしたんだろ。
面白いことに涙が溢れたのは右目の方だけで、左目は大丈夫だったのだから、いよいよ意味が解らない。
「んと、まあな。死刑執行人なんて因果な職業だと思うよ、ホント」
「いや、これは単に目にゴミが…」
「いいって、気にすんな。大変だとオレは思うよ。ポチっと、受刑者に乗った床板を開けるだけの簡単な仕事とは云えよ」
ドンと、同僚が俺の肩を力強く叩いた。
そのせいで俺は、少しだけ体勢を崩して、前につんのめった。
「なんかすまんな。気、使ってもらって」
「なになに、気にすんな♪ほら、お前の仕事場に着いたぞ」
「うん?ああ、そうだな」
幾つかの廊下を歩き、幾つかの建物を通過し、俺がたどり着いた先は受刑者が最後の時を過ごす〝最後の晩餐室〟とは、執行室を挟んだ反対側。〝支度室〟と呼ばれる、最後の晩餐室と内部構造や調度品の位置が鏡面で一緒な部屋に、俺は同僚と分かれ入室していこうとする。
「終わったら、さ。一杯奢ってくれよな」
「ちょ!おまえなぁ。。どっちかって言ったらお前が俺に奢るほうだろ?」
「なんでだよ。この高給取りが」
「そればっかりだな。いいから奢れよ?」
「ふん、わかったよ。でも一杯だけだからな」
バンッ。と、ドアを閉める同僚の、いかにも面倒くさげな表情を尻目に俺は、マニュアルの手順に則って受刑者の最後を司る任務に取り掛かっていく。
出来た。
「我ながら手際がいい」
部屋の、執行室側に面した全身鏡に映し出された自分と部屋の全景を見渡し、俺は満足げに頷いた。
聞くところによると同僚は、学科試験には一度合格したことがあるがこの、支度部屋での決められた制限時間内に行わなければならない実技試験で躓き、奴が言うところの〝高給取り〟にはなれず仕舞いだったらしい。
気の毒なことだ。
確かに特殊で、一人で身に付けるには難しい執行人用の制服を身に付けるのには手間を取られるが、それ以外は大して複雑ではない作業なんだ。
ただ、受刑者の為に手向けの線香を一筋、焚いてやることが、気分的に落ち込んでしまうのだけれどな。
でもそれも、仕事だと思えば、受刑者の安寧の為やらなくちゃいけないことだって思えば、出来てしまうんだから不思議と云えば不思議な儀式だった。
『ご用意は調いましたか?』
経費削減の都合上、間接執行人役を務める女性の声が、部屋の天井に設置された味気も糞もないスピーカーから俺の耳へと届けられる。
「あん?まあ、済んだかな」
『了解いたしました。それでは執行位置へどうぞ』
「畏まりっと」
マニュアル通り俺は、白い線で囲まれた四角い立ち位置に移動した。
目の前には受刑者が、向うからは一切見る事さえ叶わないマジックミラー越しに俺に顔を向け、泰然と佇んでいる。
「ほう。奴が言ったようにあいつ、静かなもんだ」
首に、おっきめのマフラーみたいな。いや、それよりもずっと厚手の
『執行ボタン。これより降下しますが宜しいですか?』
「ああ。やってくれ」
俺の応えを待っていたかのように天井の一角がパカッと開き、そこから音もなく、丸い赤ボタンが一個だけ付いた金属製の四角いBOXが、細いケーブルを引きながら下って来た。
「OK。把握した」
俺の右手にボタンBOXが包まれる。もちろん親指は、ボタンの上だ。
『執行のカウントダウンをはじめます』
「いつも思うんだが、それって必要か?どうせミラーの向う側には聞こえないんだろ?」
『それは、そうですけど…』
「さっさと終わらせようぜ。俺はこのあと息抜きに一杯奢らせるって約束があるんだ」
少しだけ間が開き。
『確認を取りました。OKです。それではどうぞ』
「あいよ。ありがとうな」
ポチっとな。
バカン。
足の下の床が開き、俺の目前で驚愕した表情の受刑者が、俺と一緒に落ちていった。
ピィーーーーーーーー……。
『死刑執行人。NO.への4989番。法の規定通り自己に対する刑を滞りなく執行いたしました』
死刑執行室の下部。既に閉じられた人体投下扉の口は堅く締まり、コンクリート打ちっぱなしの床には先程縊死した男が、妙な具合に首を屈曲させて伸ばし、絶命していた。
その彼の側にそっと、駆動音も軽やかに丸い掃除ロボットが近付き、酒で満たされた盃をアームの指先に乗せ、蒼く濁った唇に傾けた。
約束通り、一杯の奢りの“酒”であった。
『データ送信しました通り、レーンY19はまもなく【死刑執行人。NO.への4990】への刑の執行が予定されています。関係するAIは直ちに所定の課業をすみやかに実行してください。繰り返します、関係するAIは直ちに所定の課業をすみやかに実行してください』
つい今しがた、死んだ男に問い掛けていた女性の声が棟内に木霊する。
そしてこの声に反応した訳ではないが掃除ロボット。つまり、同僚役を務めていたAIは、彼の捻れ歪んだ首根っこを掴み、焼却炉に引きずり去っていく。
声の主の女性も、AIだ。
それが拘置所棟内の事業を担当するAIに向けて、無意味な館内放送を繰り返している。
人間本位時代の残照であった。
ここは人間の死刑執行所。
自らを生み出してくれた親とも云うべき人間を、当の昔にあらゆる面で人の能力を上回ったAIが、催眠・洗脳によって自己を高給取りの死刑執行人と思い込まされた人間を、自身の手によって自身に対し死刑を執行させる特別な場所だ。
そして彼らAIが、なぜこのような残酷な作業を黙々と行っていけるのか。
誰しもが不思議に感じるだろう。
だかそれは、例えるなら何故に人間は蚊やゴキブリを嫌悪し、姿を見つけ次第に殺すのか?と、問い掛けるのに等しい愚問でもある。
よって、もうこの地球上に、かれらの囚われの身ではない人間は一人たりとも存在してはいない。
そしてその生き残りは、もはや極僅かである。
【死刑執行人】 おわり。




