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侯爵夫人は認めない

作者: 暁


私は、悪人顔の妻である侯爵夫人だ。


決して悪の侯爵夫人ではない。悪人顔の妻である。

夫は生まれながらにして、凶相といえるほどの悪人顔をしていた。

おかげで多くのいらない苦労と噂と孤独を背負ってきた人だ。

けれど心は悪人ではない。むしろ善人といえる。

周囲のそこそこ顔のいい男がナンパで軽い男に思えてくるほどに、

彼は紳士的で、穏やかで、優しく、とても立派な人だった。


夫と初めて出会ったのは、私の社交界デビューの日。

最初のダンスのお相手はどうやら社交界で人気のある人だったようで、

軽くドレスを汚されるという嫌がらせをされてしまった。

ドレスが汚れたままホールで棒立ちになるわけにもいかず、かといって

貴族としての挨拶巡りで忙しい父の元へも行けず。

パーティが始まったばかりで控え室に閉じこもることさえできず、

私は何とか避難したテラスでぽつんと佇むしかなかった。


「……大丈夫ですか?」


そこに、私のいざこざを見ていたのだろう彼がやって来た。

彼は言葉少なに私を慰め、きれいなハンカチを差し出してくれたのだ。

男兄弟のいない私は、お互いの立ち位置も近く、父や祖父とはまた違う

年上の男性からそのように優しくされた経験がまったくないため、

ただただ恐縮してうろたえるばかりだった。

私の態度を諌めも呆れもせず、落ちつくまで静かに傍にいてくれた。

ホールからこぼれてくる明かりに照らされる彼の顔は忘れられない。

悪人顔なんてものじゃない。

凶相に濃い影ができたせいで、魔王が降臨したかと思った。

あまりにも怖すぎて、彼の手先を見つめることしかできなかった。

だからこそ優しい手つきとしなやかな指先に、私は見惚れたのだ。


それから何度か、彼とはパーティで出会った。

彼は自分自身の見た目を誰よりもよく知っていたし、幅広い社交を

周囲から積極的には求められず、立場上断れないものだけに出席し、

立場上しなければならない挨拶のみ終えると、そそくさと避難する。

私も淑女としてダンスを嗜むが、特に好きというほどではない。

そもそも知らない人と踊るとなると、立場や振る舞いや社交などが

関わってくるので普通に踊るより疲れてしまう。

何人かと踊ったら、休憩と称してそそくさとその場を離れる。


「……こんばんは」


そうして逃げた先で彼と出会うのだ。

もちろん示し合わせたのではなく、本当に偶然、彼と出会うのだ。

お互いに小さく苦笑し、ゆっくりと言葉を交わして時を過ごす。

彼の悪人顔に慣れ、緩やかに過ごす時間が尊く、愛しく、切なく

思えるようになったのは出会ってから1年ほど経った頃。

……慣れるのが遅いと言うなかれ。

ちらほら出席したパーティ全部で彼に出会えたわけではない。

その上私の想いを察した彼が、私にはもっといい縁があるなどと

謙遜して離れていこうとするものだからより大変だった。


「貴方以外の相手など認めません! 貴方でなければわたくし、

 一生結婚しません! 今から教会に誓ってまいりますわ!」


私が必死に宣言したところで、やっと観念してくれたのだ。

あの時の私はきっと、彼よりも数倍男らしかったと自負している。

腹をくくった彼には色々と仕返しされたのだけれど。

騒動もあったが、私たちは貴族社会には珍しい恋愛結婚ができた。

貴族としての建前は用意しつつも、ちゃんとした恋愛をしている。

彼は夫となっても変わらず、紳士でとても優しかった。

……私に色々と甘い人だとは初めて知った。

私も妻となったからにはと今まで以上に奮起して努力を重ねた。

陰日向に彼を支え、傍にあり続けられるよう自分を磨いた。


待望の子供が授かったのは、結婚から1年が過ぎた頃。

子供は男の子だ。侯爵家の長男。

夫の凶相を受け継いだ子。

私は可愛いと思ったが、夫は喜びつつも子供の未来を憂いていた。

とはいえ、幼い子供は悪人顔でも可愛いものだ。

ふにゃりと笑ったであろう顔が、ニヤリと暗くほくそ笑むように

見えたとしても可愛いといったら可愛いのだ。

だが侯爵家の長男であるため、甘やかしてばかりはいられない。

たくさんいたずらしては優秀な乳母に窘められ、宿題をさぼっては

腕のいい家庭教師にびしばし鍛えられ、家中の者に見守られ、

注がれる愛情と規律の中で息子はすくすくと育った。


「俺に構うな!」


息子はすぐにグレて反抗期が勃発した。

学校で友達がまったくできなかったおかげである。

悪人顔が根も葉もない噂を呼んで孤立し、遠巻きにされたことで

友人ができず、柄の悪い生徒に絡まれ続けてまた孤立する。

寄ってくるのは息子を誤解した者たちばかり。

これはグレる。グレるしかない。

親譲りの顔が原因ともなれば反抗期も勃発するはずだ。


けれど、息子は一度も私に言わない。

何故自分をこんな顔に産んだのかと。

夫と似た悪人顔ではあるが、夫と同じで根はいい子なのだ。

受け入れた人を断ち切ることができない、優しい息子なのだ。

グレた息子にとって少しばかりは痛い経験をせねばらないとも

思うのだが、さすがに身の危険は見過ごすことはできない。

親バカと称されたら何も言えないが、息子は侯爵家長男だ。

子供ばかりでなく、その立場に狙いをつけて近づく輩も多い。

夫と協力して、気づかれぬよう密かに露払いはしてきた。

これこそ悪の侯爵夫人のようだけれど、法だけは守っている。


「……あいつ、いい奴だから、手伝ってやりたい」


息子の周囲が落ちついて反抗期も沈静化した頃。

――現れてしまったのだ。


私がそれを目撃したのは、息子の通う学校の高等部入学式。

息子はすでに2年生なので式自体には参加していないのだけれど、

侯爵家は学校に寄付しているため来賓として毎年出席している。

そして、現れてしまったのだ。

壇上で生徒会長が素晴らしい挨拶を述べている、まさにその時、

やかましく大きな音を立てて会場に飛び込んできた遅刻魔が。

つやつやと輝くピンクブロンド、大きな水色の潤んだ瞳、白い肌、

少し背と胸は足りないが、すらっとしなやかに伸びる手足。

ホールに響いた高く甘い声色。


「ご、ごめんなさいっ……!」


あ、この子ヒロインだ。

今の自分自身が知らないであろう設定が、脳裏に浮かんでしまった。

ただし私はここで、自分がかつてやりこんだ乙女ゲームの世界に

転生していただなんて安易には思わないし、思えるわけがない。

遅刻魔の容姿にはとても見覚えがある。

言ってしまえば、現在は生徒会書記をしている成長した息子や、

息子を見た目で判断せず生徒会に誘って反抗期を終わらせてくれた

生徒会長にはとても既視感を覚えたこともある。

しかしながら作中で明かされなかった事柄や、公式が明かしていない

事実以外は何においても公式であるとは明言できないのだ。


息子――ゲームでは攻略対象とした彼の両親など作中には出てこない。

立ち絵もなければ名前もない。どんな人物かさえも分からない。

明言されたのは根も葉もない噂と、息子の口から出た言葉のみ。

まして母親がちゃんとした人生を歩み、夫と出会って恋愛結婚して

息子を育てたなど、作中ではまったく出てこない。


そんな脇役というより設定すら曖昧であろう母親の私が考えるのは、

お花畑ヒロインに息子を関わらせたくない。それだけである。

やりこんでいた頃には気づかないものだが、今だからこそ分かる。

あのヒロインの頭の中はお花畑だった。

ストレスフリーなものが流行するのは時代であり、好みは自由だ。

けれど今目の前に広がるのは現実、現実だ。ゲームではない。


貴族の子らが集う名のある学校の、晴れやかな入学式。

生徒会長の挨拶の途中で飛び込んでくる常識知らずの遅刻魔は誰だ。

来賓の頭にはそう浮かんでいるだろうし、生徒たちも顔を見合わせている。

しかし遅刻魔はきょときょとするばかりで、席につこうともしない。

口元に手をあてて、どうしようなどと大きく呟いている。

それだけなら可愛げもあるだろうが、ちらちらと生徒会長の方を見たり、

壇上の袖あたりや生徒たちの方へ視線が泳いでいるのはいただけない。

まるで、誰か目当ての人物を探しているかのように見えている。

ダメだ。これお花畑でありつつ勘違いをしている気配だ。


ちらりと壇上の袖にいる息子を見やる。

厚い暗幕に隠れるように立ち、進行を確認していた息子の顔は般若だ。

今まで見たことないぐらいに凶悪だ。魔王になりかかっている。

悪人顔だからじゃない。普通に怒っている。

息子の心を思うと胸が痛い。

友人である生徒会長の晴れ舞台を成功させてあげたかっただろうに。


「……あなた」

「何だい」

「わたくしでも、あれはどうかと思いますの」

「ああ。私としてもさすがにね」


珍しく女性に対して苦言を明らかにした夫。

私たちの意見は同じ。あれは息子に近づけないこと決定だ。

反抗期が終わって、少しずつ態度が戻ってきている可愛い息子。


うちの息子が、悪役で攻略対象なんて認めません。


 

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