思考する獣たち
ちょっとした空き時間に即興で書いてみました。なので気軽それほど長くはならなかったです。気軽に読んでもらえると嬉しいです。
わたしたちの隣には、常に何かが存在する。
それは花であるかもしれないし、風かもしれない。太陽や大地や匂いや近所のおじさんおばさんかもしれない。とにかく、何らかの、あるいは誰かの存在を感じながら生きている。
考えなくとも、それが普通なのだろう。そしてわたしも、そういう意味では普通だ。普通の人間だ。
ただ一点、とある部分を除いては。
「……なんだおめえ、俺様のことをじろじろ見やがって」
そいつは人間みたいにまゆを寄せ、不愉快そうにそう吐き捨てた。
「別にじろじろなんて見てないよ。そんなに珍しいというわけじゃないから」
「ほうほう。俺様が珍しくねえと? そいつは珍しい」
「少なくとも、わたしにとってはということだよ。他の人があなたを見たりしたら、腰を抜かすと思うよ」
そう。わたしの目の前にいるそいつは、普通じゃなかった。端的に言って、異常だ。
顔は明らかに人間なのに、体は犬。ついでにしゃべるものだから気味が悪いったらない。もうなれたけど。
「なるほど、それは面白そうだ。けれども嬢ちゃん、他の人とやらにはどうやら俺様の姿は見えねえらしいぜ」
「わかってるよ、そんなこと。例えばの話だよ」
「例えば……ねえ。まあいいや。嬢ちゃんみてえな奴とは久しぶりに話をした。もっと話そうぜ」
「構わないけれど、一体なんの話をするの?」
「そうさなあ……そうだ、昔俺様が見たことを話そう」
そう言って、その人(犬?)は咳払いをした。
「昔々、つってもどれくれえ昔だったかよく覚えてねえが。とにかく、まだおめえらが棒っ切れを振り回して偉そうにふんぞり返って仲間どうしでやたら怒鳴りあっていた頃だ。その時分にはまだ今より俺様と話をする連中はわんさかといたんだが、いつの間にか誰も俺様には見向きもしなくなっちまった。……おっと、こいつは話の筋とは関係ねえや。それで、俺様の話はここからだ。その棒っ切れを持っていた野郎が突然仲間にその棒っ切れを突き刺しやがったんだ。そしたら、赤い滴がぶああってな感じで吹き出したんだ。そのあと、突き刺されたほうはばたんと倒れて動かなくなっちまった。ありゃあ死んだって奴なのかね?」
「うん……たぶんそうだと思う。わたしは直接見たわけじゃないからわからないけれど」
「はー、なるほど。俺様にはよくわからねえことだったからずっと気になってたんだ」
「誰かに訊かなかったの? まだおしゃべりできる人いたんでしょ?」
「言っただろう。いつの間にか俺様とおしゃべりする奴なんていなくなっちまったって。こっちから話しかけようとしても、返事しやがらねえんだ。ここ最近じゃあ、嬢ちゃんかあいつくれえなもんだぜ?」
「あいつって?」
「さあな。名前なんて知らねえよ。んなもんに興味なんてねえし」
「どうして? 名前は大事でしょ?」
わたしがそう反論すると、その人は小さく鼻を鳴らして嘆息した。
「大事なもんかよ。名前なんてのはあったほうが便利だからあるだけのもんだろうが」
「つまり、あなたにとっては名前はただの記号にすぎないということ?」
「その言葉の意味はわからねえがたぶんそうだ。俺様にとってはただの記号なんだよ」
「だったら、あなたは間違ってる」
「ああん? ま、確かに俺は間違ってるかもな。だがそれがどうしたってんだ」
その人は首をかしげ、次に右前足でわたしを指差した。
「この世の中に正解でないといけねえことなんてないんだよ、嬢ちゃん。いってえどれくれえのもんが正解をわきまえてると思ってんだ? もし誰もが正解をわきまえてんだったら、俺様と口を聞かなくなってからも、てめえらが同族を殺してる理由が説明つかねえだろうが」
「ふーむ……それはそうだ」
この人の言い分はもっともだ。どうして人は争いをやめないのか。その答えはわたしにはよくわからない。学校の先生や周囲の大人の話を聞く限りでは、至極まっとうな理由によるものなのだろうと思われるのだが、それが正解だとも思えない。
そもそも、わたしの周りに正解を知っている人なんているのだろうか?
「あー……悪かったな、嬢ちゃん」
「? どうして謝るの?」
「いや、なんだか難しいことを聞いちまったみてえだからよ。俺ぁ嬢ちゃんを困らせるつもりじゃなかったんだが」
「別にいいよ、気にしてないから。だからあなたも気にしないで」
「おう、嬢ちゃんは優しいな」
優しい? わたしが?
「そんなこと、初めて言われた」
「そうかい。嬢ちゃんもつれえ人生を歩んでるんだな」
「つらい……かどうかはわからないけど」
「いいや、嬢ちゃんはつれえ思いをしている。嬢ちゃん自身がそれと気づいてねえだけだ」
「……わかんないよ、そんなの」
「ま、そのうち気づくときがくらあな。んじゃ俺様はもういくぜ。ありがとよ、嬢ちゃん。楽しかったぜ」
「わたしも、久しぶりに誰かとお話できて楽しかった」
「そうかい。そいつぁよかったぜ。んじゃ、俺様はもう行くぜ」
「うん、ばいばい」
わたしはその人と手を振り合い(相手は前足だったけど)、別れた。
「さて、わたしはどうしようかな」
このまま家に帰るのもなんだかもったいない気がする。このまましばらくぶらぶらしていようかな。
そうと決めると、わたしもその人がいなくなったほうとは反対側に体ごと向き直る。
どこへ行こうか。そんなことすら決めずに歩き始める。ぶらぶらと、気の向くままに。
今日の帰路は、なんだか少しだけ足が軽かった。 fin
いかがでしたか? 人語をしゃべる動物との触れ合いってなんとなく憧れますよね。僕もそんなちょっとした非日常的な体験をしてみたいです。感想、ご指摘などあればよろしくお願いします。