変わるもの変わらないもの
授業が終わり、クラスメート達が席を立ち部活へ向かったり、帰宅する中、俺は自席に座ったままいた。そこにいつもの三人が近くの席に座る。
「昨日のテレビ見た?」
隣に座った茜が座るなり一番に声を掛けて来た。
「もちろん見た。相変わらず松田は面白いな。返しが天才かよって思うもん」
「相変わらずバラエティは見逃さないな。何、全部見てんの?」
俊介は笑いながら前の席に座った。
「うちのテレビ同時録画出来るからな。好きな番組は全部録画して見てるよ」
「そこまでしてテレビ見てるのは君くらいじゃない?」
翠は茜の前に座り、小さく笑っていた。
「だって面白いじゃん? 面白いものは見たいじゃん? それなら全部録画するしかないでしょ」
「そんなに熱意を持ってるのは湊くらいだと思うぜ」
昨日見たテレビ番組で何が面白かったとか、あれはおススメだとか、他愛のない会話をする。そんな毎日が心地良い。皆と話しながら、しみじみとそんなことを思う。
「あ、忘れてた。今日は用事があるんだった」
唐突に俊介はそう口にした。
「用事? もう帰るのか?」
時計を見ると、まだ放課後になってから三十分も経っていなかった。俊介は携帯を見ては消し、見ては消していた。急ぎの用事なのだろうか。その割には帰ろうとはしていなかった。
「まだ帰らないというか、あーそう。学校に用事があるというか」
「なんだそれ。はっきりしないな」
いつもははっきりと言う俊介だが、煮え切らない様子が不審に見えた。
「あ、私も今日は早く帰らないといけないんだった」
すると茜も唐突にそんなことを言い出した。
「そうなのか? じゃあ今日はもう解散するか」
翠と二人で話しても楽しいと思うが、今日は解散の雰囲気が漂っていた。
「そうしましょうか」
翠も俺の提案に同意して帰り支度をし始めた。
「俊介はまだ帰らないんだろう?」
「あ、ああ。先に帰っててくれ」
挙動不審な俊介が気になるが、先に帰ってくれと本人言うのだから、素直に従っておこう。
「じゃあ、また明日な」
「じゃあねー」
「また」
各々俊介に挨拶をして教室を後にする。そのまま三人で会話をしながら昇降口に向かっていると翠がついて来ていないことに気付いた。
「あれ? どうした?」
振り返ると翠は暗い顔をして携帯を見ていた。
「……忘れ物してしまったみたい」
「忘れ物? じゃあ取りに戻ろうか」
「追いつくから先に行ってて」
「そうか? じゃあゆっくり歩いてるな」
翠は頷いて来た道を戻って行った。
「じゃあ、先に行ってようか」
「うん」
そのまま茜と二人で歩いて帰ることになった。
「茜と二人で下校なんて久しぶりだな。途中からは二人ってことはいつものことだけど、最初からってのは小学校以来じゃないか?」
「そうだね。中学に入ってからはいつも四人一緒だったからね」
「三年間同じクラスだったしな。志望校も同じだし、もしかしたら六年四人一緒かもしれないな」
「そうだといいね」
茜は手を後ろで組みながら歩いていた。
そうして二人で会話をしながらいつもよりゆっくりと歩いていたが、翠が来る気配は無かった。その日は結局、翠が合流することは無かった。
何か事故にでもあったのかと心配して翠に連絡をしてみたが、返事は無かった。だから今日、教室に翠がいるのを見付けて安心した。
「昨日はどうしたんだ? 忘れ物が見付からなかった?」
「まあ、そんなところね」
「なんだ、それなら言ってくれれば俺達も戻って手伝ったのに」
「ふふ、そうね」
そう言って翠は小さく笑った。その表情が嘲笑に見えたのは気のせいだろうか。
とりあえず自席に着いて、皆が来るのを待った。俊介と茜は俺が席に着いたのを見て直ぐに机の周りに集まって来た。だが、翠はこっちに来ることはなく、頬杖を突いてぼーっとしていた。
「翠、なんか元気ないな? 忘れ物見付からなかったんかな?」
そう俺が二人に問うと、二人は気まずそうに表情を曇らせた。
「あー、まあそうなのかもしれないね」
茜が慌ててそう答えた。俊介はそのまま黙ったまま頭をかいていた。
何かがあったのだろうか。二人にそれを尋ねようとしたところで、担任が入って来た。登校するのが遅かったか。もう始業の時間になってしまっていた。次の休み時間、二人に聞いてみよう。そう思いつつ翠にも『何かあった?』と担任から隠れながらメールを送ってみた。
だが、メールは宛先不明で送ることは出来なかった。昨日の夜は送れたはずなのに……。もしかして、俺が何かをしてしまったのだろうか。
授業が始まったが、内容は頭に入って来ず、ただ何も考えず板書をノートに写すだけだった。
休み時間になり、直ぐに俊介の席へと向かった。
「どういうことだ? 俺が翠に何かしたのか?」
俊介は驚いたようにこちらを見て、慌てて否定した。
「いやいや、違うよ。湊は何もしてない。ちょっとここじゃなんだから、後で話すよ」
「何でだよ。気になるから今教えてくれよ」
俊介が言いにくそうにしているのに理由があるとは思うが、気になって仕方がない。周り聞かれたくないなら今から場所を移してでも話が聞きたい。
「ここが嫌ならトイレにでも行こうぜ。そこなら聞かれることもないだろうし」
「あ、ああ。分かったよ」
俊介は渋々といった様子だが、席を立ってくれた。俺達の様子を見た茜が心配そうにこちらを見ていた。だが、理由を知らない俺としてはどんな表情を返していいのか分からなかった。視界に翠も入ったが、変わらずつまらなそうに頬杖をついていた。
トイレに移動するなり、俊介に尋ねた。
「昨日何かあったのか? 翠が忘れ物をして戻った時に、見られたくない所に遭遇したとかか?」
俊介が言っていた用事が何か分からないが、見られたくないことだったのかもしれない。用事が何かを俺達には言いたくなさそうだったし。
「いや、その翠は忘れ物なんてしてない」
「いやいや、俊介はその場に居なかったから知らないと思うけど、翠自身が忘れ物したって言ってたんだぞ。そんな嘘吐いてどうすんだよ」
「……俺が呼び出したからな」
「は? それで翠は忘れ物をしたって嘘を吐いたのか? それなら俊介が呼んでるって素直に言えば良くないか?」
「翠には一人で来て欲しいかったから、きっと忘れ物をしたって嘘を吐いたんだろう」
翠が嘘を吐いた理由はそれで納得出来たが、じゃあなんで俊介は翠を一人呼び出したんだろうか。それは俊介の言ってた用事だとは思うが。
「――翠に告白した」
「え」
何を告白したのだろうか?
俊介の言葉を聞いて初めに思ったのはその疑問だった。だが、落ち着いて考えるとその告白じゃないことは分かって来た。
「え、は? 俊介って翠が好きだったのか?」
そして次に浮かんだ感情は驚きだった。中学からの仲とはいえ、俺達の中で恋愛感情が生まれるなんて想像もしていたなかった。毎日馬鹿話をして、ただ楽しく過ごしていたと思っていた。
「一目惚れだったんだ」
「席がたまたま近くで仲良くなり始めて頃には既に好きだったと?」
「ああ。恥ずかしいけどな」
――少し頭痛がして来た。
俺達四人組は恋愛感情とは無縁のただ楽しい集まりだと思っていた。その認識は最初から間違っていた。それが悪いことだとは思わないが、動揺を隠しきれなかった。
「……告白してどうなったんだ?」
それを聞いてから答えは分かった気がした。俺からの連絡を拒否するようになったということは、彼氏以外の異性と連絡を取ることを止めたということじゃないのか?
「フラれたよ。翠はそういう仲だとは思えないってさ」
「え、フラれた?」
「何度も言わせるなって。これでも傷付いてるんだからな」
苦笑いを浮かべながら勘弁してくれよと俊介は言った。
――フラれた?
それじゃあ、俺は何故翠から着信拒否なんてことをされているのだろうか。その理由が全く想像出来なかった。
俊介の苦笑いを見て、今朝気まずそうにしていた茜の表情を思い出した。
「もしかして茜も知ってたのか?」
「ああ、相談してたからな。昨日、茜が早く帰ろうとしたのは俺が頼んでたことだし」
俊介の告白を茜が手伝ったのか。ショックだった。俺に相談が無かったことは別に気にならないが、二人して俺と翠に隠れて動いてたというのがショックだった。
「もう授業が始まるな。教室に戻ろう」
「あ、ああ」
俊介が時計を確認してトイレを出た。それに続いて俺もトイレを後にするが、俊介の後ろ姿が見慣れない誰かのように感じていた。
結局、真相を聞いても一日気が気でなかった。
放課後になって、またいつものように皆が集まって来るなんて淡い期待を抱いたが、翠は直ぐに帰ってしまったし、少し遅れて俊介も独りで帰った。昨日、解散だなって言った言葉が本当の意味で四人組の別れを示していたことになってしまった。
「帰ろうか」
独り落ち込んでいると声を掛けられ、顔を上げると茜が気まずそうに笑っていた。
「……そうだな」
溜め息を吐いて席を立つ。
茜と二人で帰るのは久しぶりだなって昨日は思っていたのに、これからは毎日二人で帰ることになるかもしれないな。
無言のまま歩いていると、いつの間にか茜と別れる交差点まで来ていた。
「じゃあまた明日な」
そう言って手を上げ、歩き出そうとした時、茜に呼び止められた。
「あ、あの!」
「うん? どうした?」
茜は自分から呼び止めておいて、下を向いたり、こちらを見たりとチラチラ視線を移していた。変なやつだなと思っていると、昨日の俊介の様子を思い出した。
まさか、そんな訳ないよな。茜とは小学校からの付き合いだし、俺達の間に恋愛感情なんてあるはずがない。俺達は家族みたいな関係だ。俊介があまりにも突飛な行動を取るから、茜も同じようなことをすると思ってしまった。
流石に自意識過剰が過ぎたな。そう独り反省していると、ようやく茜が口を開いた。
「――ずっと好きでした」
「――」
なんだこれ?
顔を赤く染め、こちらを上目使いに見ている女子は一体誰なんだ?
そんなの茜に決まっている。小学校からの友達、茜である。だが、茜はそんなことを口にするだろうか。俺のことを好きなんて言うはずがない。
「湊?」
黙って茜を見ていたからか、不安そう茜が呼びかけて来た。
「あ、ああ」
呼びかけに我に返っても、現実を上手く受け止められなかった。それでも茜は俺からの返事を待っていた。
「ごめん……茜を恋愛対象として見たことがない」
それだけ聞くと、茜は目を思い切り瞑り、そして走って行ってしまった。
涙が少し浮かんでいたのが印象的だった。
俊介、茜、翠。いつも一緒にいた三人が何を考えているのか、何を考えて来たのか。それが全く理解出来ない。
俺達は集まって楽しく遊ぶ仲だったんじゃにのか。それは俺だけが思っていたことなのだろうか。
そんなことを昨日からずっと考えては止める。考えては止めるの繰り返し。
考えたって分かるはずもない。だが、そのことが頭を離れなかった。
憂鬱な気分のまま登校し、席に着く。翠はやはり席を立とうとはしなかった。茜とは昨日別れてから連絡を取っていない。俊介ともトイレから戻って以来口をきいていない。こんなにも三人と喋っていないのは初めてかもしれない。
俊介はこっちに来るかと視線を向ける。俊介もこちらに来る気配は無く、茜と楽しそうに話していた。
俺が登校したことに気付いていないのか。いや、茜と一緒にいるんだから、俺の方に来づらいか。
独りで時間を持て余すなんて久しく経験していない。誰かが病欠したとしても、他の誰かと話していた。
――随分と女々しい性格になったな、と独り言ちる。
茜を視界に入れるのは何だか気まずくて、窓の外を見ているとクラスメートの声が聞こえて来た。いつもは三人の話しに夢中で聞こえていなかったが、話し声というのは結構周りに聞こえるんだな。これから少し気を付けようと思いつつ、何とはなしに声に耳を傾けていた。
「あの二人付き合ってるらしいよ」
「え、誰と誰?」
「橘さんと森田君」
橘は茜のことで、森田君ってのは俊介のことだよな? その二人が付き合っている? そんなはずはない。だって二人は別の相手に告白している。
「えーそれって本当? 確かに仲いいけど、いつも四人でいるのに二人が付き合うってあるかなあ」
「ほら、今だって二人でいるし、神崎君と渡辺さんも一人じゃん」
「それだけで付き合ってるっていうのは安易じゃない?」
「私は知らないけど、今朝、二人が発表してたらしいよ。私達付き合うことになりましたーって」
「そんなこと発表するかなー。デマじゃないの?」
俊介と茜のことについての話しはまだ続いていたが、俺の耳には聞こえなくなっていた。
二人が付き合っている? 一昨日、俊介は翠に告白。昨日、茜は俺に告白。今日は告白した二人が付き合っている。
理解不能。いつも遊んでいた友達がクラスメート達よりも知らない存在に感じる。二人の正体が宇宙人です、と言われた方が納得できる。
翠は知っていたのだろうか。席で独りつまらなさそうにしている翠を見てそんなことを思った。
結局、俊介と茜は俺の所に来ることは無かった。
――気分が悪かった。
今日一日は誰とも会話をしなかった。先生に指名されることもなかったので、学校で口を一度も開くことは無かった。
ここ数日で初めての経験をたくさんして、気持ちが追いつかなかった。
一番仲が良いと思っていた友達は他人のように遠く感じる。いったい何が悪かったのだろうか。いや、そもそも間違っていたのか。
もう今日は寝てしまおう。考えても分からないのに、考えることを止められない。そんな状況が辛くて、何も考えたくなくて、気付けば横になっていた。
「ん、なんだ?」
眠りに落ちそうになったところで携帯が鳴り出した。液晶を見ると知らない番号からの着信。
普段なら気にせず無視するのだが、今日は誰とも口をきいていないことが寂しかったのか出てみることにした。
「もしもし……」
「数日ぶりね」
聞いたことのある声だった。知らない番号なのに。
「もしかして翠か?」
「ちょっと会話していないだけで私の声を忘れちゃった?」
「忘れてないけど、翠の携帯じゃないだろう、それ」
「これは私の携帯よ。前に使っていた携帯は解約しちゃっただけ」
だからメールが届かなかったのか。
「こんなタイミングで機種変更? それよりも変えたなら教えてくれよ」
「ふふ、そうね。私は君もグルだと思ったから」
「グル? なんのことを言ってるんだ」
「詳しい話は後で、それよりも家に入れてくれる?」
「は?」
「外を見て」
翠に言われた通り、カーテンを開け窓から外を見る。家の前に翠が携帯を耳に当てながらこちらを見ていた。
「来ちゃった、ってやつ」
「今日、親いるんだけど」
「それなら安心ね」
そう言って翠は電話切った。何が安心なんが。女子を一人あげるなんて親が知ったら変な誤解をするに決まっている。それで困るのは俺なのに。
でも気になることは山ほどあったし、友達を家の前で立たせる訳にもいかない。
――翠は友達なのだろうか。
玄関を開ける直前、そんなことを思った。
そんな疑問を払って、扉を開けた。
部屋へ翠を連れて行くと、やはり両親が好奇の目でこちらを見ていた。まだそこまで遅くないとはいえ、夜に女子を部屋に連れて行くというのは、それ相応の誤解を受けても仕方ない。
それでも翠に聞きたいこの方が両親の評価や偏見よりも重要だった。
「うちに来たってことは色々と話してくれるんだろ? ここ数日の俺達の変化について」
「やっぱりそうだったのね」
溜め息を吐きながらも翠は笑っていた。
「どういうことだ?」
「そもそも間違っているのよ。変わったのはここ数日のことじゃない。森田君の気持ちは薄々感づいていたし、橘さんの気持ちもね」
「あの二人の気持ち」
それは俺達に告白したことだろうか。
「確かに茜は前から好きだったって言ってたけど」
そこまで言ってから気が付いた。茜に告白されたことを翠に漏らしてしまったと。
「やっぱり君も告白されたのね。じゃなきゃあの二人が付き合うなんて可笑しな話だもの」
「ちょっと待ってくれ。なんで俺が告白されたら俊介達が付き合うことになるんだよ」
「フラれた者同士で傷を舐め合っているか、自己防衛って所でしょうね」
「だから二人が付き合ったって? そんなに直ぐ他の人を好きになれるものなのか?」
俺は誰かを好きになったことがないから、そういう気持ちは良く分からなかった。ただ、フラれて直ぐに他の人を好きになるなんて軽い気持ちを二人には持って欲しくないと思った。
「さあ、私には分からないわ。本当に好きなのか、独りになりたくないから一緒にいるのか」
「それは二人にしか分からないか」
また考えても答えの出ない悩みが出来てしまった。
「……状況を整理させて欲しい。そもそも何で翠は俺達から離れて行ったんだ? やっぱり告白されて断ったのが気まずいからか?」
「それは気にしてない。ただ、変わってしまったのが嫌だっただけ」
「変わった?」
「最初にも言ったけど、変わったのはここ数日のことじゃないけどね。徐々に変わって行っていたのは気付いていたけど、それでも私達は変わらずにいられると思った」
「それが告白されたってことで変わってしまったと?」
「そうね。ただ楽しい集まりだった私達が恋愛という変化を持ってしまった。好意を寄せてくれるのは嬉しいけど、それをぶつけられて付き合うなんて考えられない。私はそんな関係を望んでいないもの」
翠の言っていることが全て理解出来る訳じゃないけど、気持ちは分かる気がする。
「俺も、俺達の中に恋愛感情なんてものが生まれるなんて想像もしてなかった。ただ楽しくて変わらない毎日が送れると思ってた」
「そこは私と少し似ているわね。私は変化を嫌って、君は変化しないと思っていた。でもあの二人は違った。もっと深い関係になることを、変化を望んでいたのよ。そんな私達の関係が壊れるのなんて時間の問題だったのよ」
「今のままじゃ満足出来なかったのか」
あの二人は。
それが悪いこととは思わないけど、確かにそれは俺の望んでいるものとは違う気がする。
「最初は君も二人と同じだと思ったのよ。告白された日、私と山田君が二人きりになるようにしたと思ってね」
「ああ、だからグルって言ってたのか。え、じゃあ俊介の用事は翠への告白だけど、茜も俊介に協力してたってことか」
だからあの時、自分も早く帰らないといけないって言っていたのか。そんなことを二人が相談して協力していた。それは何だか裏切りのようで嫌だった。
「私はそんな変化を求めていないから、君達とは一緒にはいられないと思って離れたのよ」
「そうだったのか。だから機種変更までしたのか」
離れるなら徹底的に、か。もしかしたら三年の受験前とかじゃなきゃ、転校までしていたんじゃないかと思う。
「もしかして俺が告白された日に俊介が独りで帰ったのも」
「あくまで可能性だけど。それで今日の二人を見て君は二人とは違うって分かって、今こうしているってこと」
ここ数日のことはこれで理解出来た。二人の変わりたいという気持ちが俺達をバラバラにしたということが。
「これからどうする? 私達も付き合う?」
「は?」
翠は何を言っているんだ? 変化を嫌がっているのは翠の方なのに。
「いや、茜だろうが翠だろうが友達としてしか見ていないのは変わらない。それに当てつけみたいにして付き合うってのは……」
何だか嫌な事だった。誰かを好きになる気持ちというのは、そんなに歪なものではないと信じたい。
「ふふ、そうよね。もし、付き合うなんて言ったら君からも離れていたわ」
「趣味が悪いな。試したってことか」
「そう、私は腹黒いのよ? 知ってた?」
――知らなかった。
いつも俺達は自分達のことは話さないで、ただ楽しいことについて話していた。テレビ、ゲーム、漫画。個人がどういう人間で、どんなことを思っているのか。少なくとも俺は興味を持ったことは無かった。ただ、楽しいことが全てだった。
「君のそういう所は好きよ。誰に対しても平等で、ただ楽しいことが好きってところ」
「……嫌味か?」
「本音。言ったでしょ? 私は変化が嫌いだって」
素直には受け取れなかった。ただ、翠に嫌われていないと分かって安心した。
「今日はこれで帰るわ。今日来たのは君があまりにも可哀想だったからだし」
翠は立ち上がり、もう帰ると言う。
「明日から、どうすればいいんだろうな」
「どうかしらね。でも私はもう君を避けることはしないわ。寂しかったら私の席までおいで?」
そう言って翠はニヤリと笑っていた。
「いいからもう帰れよ」
突っぱねると翠は四人で仲良くしていた頃のように笑った。
俺も久しぶりこんなやり取りが出来て内心では嬉しかった。ただ、上から目線で来る翠を前に内面を出すのは悔しかったので、そのまま怒ったフリをして翠を見送った。
「遅いから送ろうか?」
「大丈夫。私と離れたくないなら送ってくれてもいいけど?」
「うるさい、さっさと帰れ!」
怒っているぞ、という顔を浮かべて翠を見送った。
俊介と茜のことは良く分からなくなったけど、翠のことは少し分かった気がする。それは悪いことではない気もした。
教室に到着して周りを見ると、俊介と茜は二人で楽しそうに会話していて、翠は俺に気付くと不敵な笑みを浮かべていた。
翠がシュールな笑いとか強めの笑いを好きなのは内面の歪みだな。
昨日の寂しかったらってのは流れの笑いとかじゃなくて、本心から言っているに違いない。
翠を軽く睨んで威嚇しながら自席に着く。ちらっと翠を見ると、頬杖を突いてるのは変わらないが、こちらを見てニヤニヤしていた。……性格の悪いやつめ。
気付かないフリをして、俊介と茜の様子を覗う。昨日と変わらず、楽しそうに会話していた。
二人が付き合っていると知っているからか、他のクラスメート達は近くに寄ることはなく、二人は少し浮いているように見える。
昨日、翠と話せたことで余裕が出来たのか、落ち着いて状況を確認できるようになったな。そんなことを翠に言うと馬鹿にして来るのは目に見えているので、絶対に言わないが。
二人が一緒にいる理由が独りになりたくないからだとすれば、俺達はまた一緒にいられるはずだ。
そう思って、俊介と茜にメールを送る。一瞬、翠に送れなかったことを思い出したが、無事に送信することが出来た。
翠の連絡先は電話番号しかしらないので、仕方なく直接伝えに行く。
「翠、今日の放課後ちょっと残ってくれ」
「何? デートの誘い?」
「違うわ! また皆で一緒にいられるように話し合おう」
「……話し合うって四人で集まって話をするつもりなの?」
「そうだ。俺達はすれ違って離れ離れになってしまってけど、ちゃんと話し合えばまた一緒に居られると思う」
「ふーん、まあいいわ。放課後ね、分かった」
一応、了承はしてくれたようだった。後は、どう話すかを放課後までに考えないといけない。
今日も授業は頭に入らなそうだが、それも今日で終わりになるはずだ。
放課後になり、またいつものように三人が俺の席を囲むようにして集まってくれたのは嬉しかった。
ただ、いつもと皆の位置が違った。俊介と茜が隣の席とその前に座り、翠は俺の前に座っていた。それだけを見ても、やっぱり俺達の関係は変わってしまったのだろうと感じる。
こんな些細な変化も翠は嫌なのだろうか。そう思い、チラリと翠に視線を送るが、翠は足元を見ていて表情は読み取れなかった。
「それで話しってなんだ?」
沈黙を破ったのは俊介だった。
「あ、ああ。俺達のことについて話し合いたいなと思ってな」
「俺達のこと?」
俊介は俺の言っていることが理解出来ていないようで、首を傾げていた。
「俺達はすれ違ってしまっただろう? そうじゃなくて、ちゃんと話し合えばまた一緒に居られるだろうって」
「それ本気で言ってるのか?」
「当たり前だろ」
俺の答えを聞き、俊介は溜息を吐いた。
「お前が鈍感な奴だってのは知ってたけど、そこまでとは思わなかったな。いいか、俺達はフったフラれたっていう関係なんだぞ? それで前と同じように一緒に居られる訳ないだろ?」
「何でだよ。そもそも告白して付き合うことになっても一緒に居ただろう?」
「それはそうかもしれないが、いつかは離れることになってたと思うぞ。四人でいることより好きな相手と二人で居たいと思うだろうし」
「じゃあ俊介と茜は四人でいることをそもそも望んでないってことなのか?」
「そうかもしれないな。四人で居たのは楽しかったけど、それよりも自分の気持ちを大事にしたいって思ったから俺達は行動したんだ」
「茜もそうなのか?」
「……うん。やっぱり好きな人とは一緒に居たいって思うけど、フラれた後に一緒に居るのは辛いよ」
そう言って茜は立ち上がった。俊介も茜に続いて席を立ち、二人は教室を後にした。
「こうなると思ってたけどね」
今まで沈黙を貫いていた翠がやっと口を開いた。
「こうなると思ってたのか?」
「じゃなきゃ二人が付き合ったなんて言うはずないでしょう?」
「どういう意味だ?」
「君は本当に人の気持ちが分からない楽しいこと好きのおバカなのね」
ムッと来たが言い返せないので不満な表情を浮かべて言葉を促した。
「告白した次の日に別の人付き合うなんて普通に考えれば軽いとか思うでしょ? しかもその相手が別の人にフラれた翌日なんだから尚更ね。つまり私達とはもう関わるつもりなんて二人には無いのよ」
「そういうものなのか?」
「君は気にしないのかもしれないけど、普通は気にするでしょうね。そもそも告白すること自体が四人でいることを望んでいないってことよ。森田君も言ってたでしょ? 付き合うことになったら二人でいることの方が多くなると思うって」
「それじゃあ俺達はもう四人で居られないって言うのか……」
「そうね。そこまで君が四人で一緒にいたいと思うのか、私には理解出来ないけど」
「だって四人の方が楽しいだろ?」
「それは前まではね。今の状態で四人集まったとしても気まずいだけよ。そんな歪な集まりなら私はごめんね」
翠も席を立ち、教室を後にした。
いつもの場所、いつもの時間に独りだという事が悲しみや寂しさを倍増させていた。
何でこうなるのか。何を間違えたのだろうか。
翠の言う通り、楽しいことにしか興味を向けていなかった俺には分からなかった。
いつもなら楽しい気持ちで登校していたのに、今日は朝から憂鬱だった。
学校に行っても楽しいことがあるとは思えないし、もう四人で一緒に居られることが無いんだろうと理解し始めていた。
翠も俺との関係が変わってしまったと思っているだろうし、独りで学校生活を過ごすことになる。
そう思うと途端に学校がつまらないものに思えて来る。結局は友達に会う為に学校行ってたんだなと思い知らされる。
自席に着いても誰も近寄って来ないので、始業まで本を読んで過ごすか。そう思って読みかけだった青春物の小説を取り出す。
「あ、神崎君もその小説読んでるんだ」
前の席の倉橋が声を掛けて来た。倉橋と会話するのなんて、もしかしたら初めてかもしれない。だから少し戸惑っていたが、倉橋に答える。
「あ、ああ。もう何回か読んだけど、やっぱり四人が揃って冒険に出るってのは最高だな。ただまあ、オチが好きじゃないんだけど」
「え、なんで? 僕は好きだよ」
「だって仲良かったのはその時だけで、将来はバラバラで連絡も取って無いんだぞ? しかも友人の死を新聞で知るなんて悲し過ぎるだろ」
「まあちょっと悲しいけどね。でもさ、離れてしまっても学生の頃の友人との思い出はかけがえのないものだったんだって言ってるじゃん。それって素敵だと思うよ」
「そんなに大事な友達なら離れないだろう?」
「うーん、だってその四人は進路も違ったし、離れてしまうこともあるでしょう? ご両親の都合で転校することになるかもしれないし」
「そんなの会いに行けばいいだろう? そりゃあ同じ学校にいた時より頻度は下がるかもしれないが」
「じゃあもしその友達が死んじゃったらどうするの?」
「それは……」
答えは出て来なかった。友達と二度と会えなくなってしまうことがあったとしたら俺はどうするのだろうか。そりゃあもちろん悲しいけど、後追い自殺をするなんて思えない。
「ごめんね。意地悪なことを言っちゃった。それだけ神崎君が友達を大切に思ってるってことだもんね。でもね、離れてしまってもそれで終わりじゃないし、それまでことが無くなる訳じゃないと僕は思うよ」
倉橋の言葉が終わるのに合わせて予鈴が鳴った。
「読書の時間を邪魔しちゃってごめんね」
「いや、良いんだ。誰かと話す方が楽しいからな」
「そう言ってくれるとこっちも気が楽になるよ」
そう言って倉橋は前を向き授業の準備を始めた。
手に持った小説がまた別の作品のように見えて来た。
授業も聞かず、ノートも取らずに小説をずっと読んでいた。
元々、読むのが遅いってのもあったが、ゆうくりと噛みしめるように読んでいたからか、気付けばもう放課後で教室にはクラスメートの気配はほとんど無かった。
倉橋も既に下校していた。考えてみれば、いつも席を借りているのだから、倉橋はいつも直ぐに帰っていたか。
オチが嫌いだったこの青春物の小説も倉橋の言葉を聞いてからは、少し見え方が変わった気がする。
離れてもあの頃の記憶はかけがえのないものだった。確かに主人公はそう言っていた。その気持ちは今なら少し分かる。
いつも放課後に四人で残って話をして笑い合っていたのは俺にとってかけがえなのない思い出だ。
「それでも俺は離れないで一緒にいたってオチだった方が好きだろうけどな」
独り言を呟き、小説を置いて身体を伸ばす。こんなに長い時間小説を読んだことはなかったので、目と肩が痛かった。
「そんなに面白かった?」
「うわ、びっくりした」
急に声を掛けられて驚いてしまった。隣の席に翠が座っていた。
「俺が読み終わるまで待ってたのか?」
「ええ、君が小説を読んでるなんて珍しくて、どれくらい面白いのか興味が湧いたのよ」
「失礼な。俺だってお笑いだけじゃなくて映画も見るし、小説だって結構読むぞ」
「意外ね。本当に楽しいことにしか興味無いと思ってたわ」
「楽しいことは好きだけど、四人でいる方が好きだよ」
「そう。それはもう叶わないと思うけど」
「それは、まあ仕方ない。俺は今でも一緒にいたいと思うけど、俺以外の三人が嫌だって言うからな」
「意外と諦めがいいのね。その小説の影響かしら?」
「まあそれもあるけどな。今日、初めて倉橋と話したんだよ」
「ええ知ってるわ。見てたもの」
「俺は友達と言えば四人しかいないし、話しが合うのも四人しかいないって思ってた。けどさ、普通に他のクラスメート達とも話せたんだよな。びっくりしたよ。それで思ったんだよ、俺って視野が狭かったんだなって。だから三人の気持ちも考えず、ただ楽しければ良いって思ってたんだよ」
「ちょっとは成長したのかしら?」
「それか翠の嫌いな変化ってやつかもな。これで俺も嫌われちゃうかもしないな」
「そうかもしれないわね」
そう言って翠は笑った。
「さて俺はもう帰るけど、たまには二人で帰るか?」
俺の提案に一瞬驚いていた翠だったが、笑って翠はこう答えた。
「お断りよ」
「そうだろうな。じゃあまた明日」
きっと翠はそう言うと思った。