夢
夢は信じれば叶うと言いますが、別に叶わなくたっていいじゃない。
「夢ってさ、大抵叶わないよね」
「だから夢って言うんだよ」
とある一軒家の一室、床に並んで寝転ぶ二人の男。
そのうちの一人——つまり僕のことだ——が半ば独り言のように呟いた言葉を拾った奇特な人物がいるようで。どうやらそれは、寝転ぶもう一人こと我が父だった。
「たまには叶ってくれてもいいじゃないか」
「気安く叶ったら有り難みがないぞ?」
一理ある。
投げ返されたその言葉がやけに父らしくて苦笑してしまう。流石は一家を支える大黒柱、というやつだろうか。
少しは夢を見せてくれたっていいじゃないか。
そんな風にボヤく僕の様子を横目に見ながら、父は言う。
「お前だって小学生の頃は、お医者さんになるって言ってたもんだけどな」
「今じゃしがないサラリーマン候補だよ」
「面接、明日か」
「今更緊張しないよ」
何せ四件目なのだ。
重い溜息を一つ。鬱な気分を吐き出したつもりなのに、重力は一層強まった。
なかなか決まらない就職先を探しながら、履歴書を書いては投函。その数日後に面接。
そんな日々を繰り返していたから、こんな話題が出たかもしれない。
「サラリーマンになるっていうのが当面の夢……なんて、それこそ夢がないよね」
「叶う夢は夢じゃない。目標っていうんだ。そっちの方が夢があるだろう?」
他愛のない言葉遊びだ。でもそれだけでもクスリと笑えてしまうのだから、人間というのは不思議なものだ。
首を横に傾けてみれば、父も同じように笑っていた。
そんな父の夢も気になるけれど……自分の昔話は恥ずかしがってしない人だ。それは十分知っていた。
「夢が叶わない世の中なんて……全く世知辛い」
或いはそれは救いかな、なんて。
夢が叶わなくて誰が救われるというのか。叶ってしまえば虚しいだけだというが、だからといって叶わないことを喜ぶか。
そんな奇特さは、少なくとも僕は持ち合わせていなかった。
父と僕との間に、少し気まずい沈黙が横たわる。
就職だ何だって駆けずり回ってるうちに、もっと大事な何かを無くしてしまったのか。
無くすということが生きていくということ……というにしては、今の自分はあまりにも沢山のことを背負い過ぎていた。失ってばかりのようでいて、気付かないうちに色んなものを持っていた。良いものも悪いものも。
気だるい体で身動ぎする。
そろそろ、夢見がちな自分にさよならするべきかもしれない。夢を捨てれば体も軽くなるだろう。
そこまで考えて、笑ってしまった。夢ってそんなに重いのかよ、と。
「夢なんてさ、なくたっていいんだよ、ホントは」
藪から棒に、今までの話の流れを断ち切って父が言った。
「……それは、どうして?」
「だってよ、夢なんて雲みたいなものなんだぞ? 浮かんでればそりゃ綺麗だが、中から見ればアイス食い過ぎた小学生の腹具合みたいな感じだ」
「ああ……うん」
「それにさ、現実だって捨てたものじゃない」
すごく微妙な例えに何か釈然としないものを感じる。素直に白鳥とかにしとけよ、とごちた。
若干顔を顰める僕を無視して、父は言葉を繋いだ。
「やりがいのある仕事があって、稼いだ金で買ったマイホームがある」
そうして僕を正面から眺めて。
「何より家族がいるんだ。夢なんかなくたってよ、幸せだろ?」
「……すっごく臭いよ」
「ん、加齢臭かな。はは」
「そっちじゃないよ」
目を逸らして顔を背けた。顔に血液が集中してるのが分かる。きっと真っ赤になっている。
こんなセリフを恥ずかし気もなく言えるのは年の功だろうか。自分には、少なくともあと二十年は真似できない。
暫くするうちに、また沈黙が舞い降りる。でも今度は気まずくない。
「なあ」
「……何?」
「頑張れ」
「……うん」
夢のない現実も、案外捨てたものじゃない。
そう思った。
お疲れ様でした。