魔王Ⅱ 前世の残響
夢。
夢を見ている。
学校の校門の前に立っている、俺は高校生だった。
学生服に身を包み、学生鞄を持っている。
「北斗くん!」
声が聞こえる。どこか聞き覚えがある女の声だ。
「北斗くん、待ってよ北斗くん」
ああ、俺が呼ばれているのか。
そう気づいて、俺は振り返った。
少女が息を切らせて走ってきた。
紺色のブレザーの学生服に学生鞄を持っている。
こいつ誰だっけ?
少女は俺の前で止まり、息をととのえ笑顔で言った。
「北斗くん、一緒に帰ろうよ」
そうだ。確か俺の幼馴染らしい。
らしいというのは俺と彼女が幼馴染であるという記憶がないからだ。
俺は彼女を無視して、そのまま校門を抜けていった。
幼馴染は小走りでついていき、俺の隣に並んで歩く。
「北斗くん、今日学校どうだった?」
「別に何もなかった」
何もなかった。
学校なんて授業を受けて、昼飯を食べて、授業を受けて終わりだ。
それ以外のことなんて何もない。
「……そう」
「……………………」
「……………………」
それっきり会話は終わり、気まずい沈黙が流れた。
夢の中だが、前世でこんな会話をしたような気がする。
もしかして俺は前世の出来事を追体験しているのかもしれない。
俺は自分のことだと言うのに、どこか他人事のように考えた。
いや前世の記憶なんてなければ、本当に他人事ですませただろう。
だけど俺には記憶がある。
忘れたい記憶だが、確かにある。だからこの夢を見てしまう。
二人は黙って通学路を歩いていたが、しばらく時間が経ったあと、幼馴染が再び話しかけてくる。
「ねえ、あれから何か思い出した?」
「………………っ!」
そこ言葉は俺にとって一番訊かれたくない言葉だった。
俺は、俺は走って逃げだした。
後ろから「北斗くん」と呼ぶ声がしたが、振り返ることはしなかった。
†
前世の俺は記憶喪失だった。
一年前、事故に巻き込まれ、その後遺症で俺は記憶を失った。
だから俺の覚えている最初の記憶は病室のベッドで目覚めて、俺の両親を名乗る中年の男女、そしてあの幼馴染と医者で会ったくらいだ。
その後の検査結果でわかったことは、俺が失ったのはエピソード記憶というものらしい。
エピソード記憶というのは簡単に言えば思い出に関する部分の記憶のことだ。だから自分がどんな人間でどんな体験をしてきたかというものがない。
つまり俺は事故に遭う直前の思い出を全て失ったということだ。
なので俺は自分のこともわからない、両親を名乗る二人の男女も両親とは思えなかったし、幼馴染という少女のことも全く思い出せなかった。
最初は混乱した、何がどうなっているのかわからないし、自分もどうすればいいのかわからなかった。
そして次に適応しようと頑張った。
幸い周りのみんなも俺が記憶喪失だと知ると、いろいろサポートしてくれた。
家族の顔、親戚の顔、友人の顔、先生の顔、クラスメートの顔、知り合いの顔。
覚えることがたくさんあったが、顔と名前、そして関係性を覚えてなんとか不便なく不自然なく日常生活を送れるようになった。
しかし日常生活に馴染んでいくと聞かれることがあった。
「昔のこと何か思い出したことあった?」、と。
最初に聞いてきたのは母親だった。
俺が「ない」と答えると、母親は短く「そう」と言った。
それっきり同じ質問はしなかったので、そのときは少し言葉が気になっただけだった。、
だけどそこから気づいたのだ。
母親が求めているのは俺ではなく、記憶を失う前の俺だということに。
それに母親だけではない。父親も、友人も、先生も、クラスメートも、みんな違ったのだ。
みんな俺を見ているのではない、俺を通して記憶を失う前に俺を見ているのだ。
被害妄想だ、と片づけられればよかったが、俺にはそうとは思えなかった。
みんなが望んでいるのは俺が記憶を取り戻すこと。
最初は記憶を取り戻そうとした。
色んな方法を調べて、試してみた。
昔のアルバムを見たり、色んな人に記憶を失う前の俺はどんな人間だったのかを訊いた。
だけど、それでも記憶は取り戻せない。
だから今度は周りの期待に応えようと、記憶を失う前の俺を演じた。
記憶を失う前の俺が好きな食べ物を好きといい、好きだといった趣味をやった。
喋り方を似せるように努力したし、癖、習慣を完璧にマネようとした。
最初は周りも喜んでくれたと思う。元の俺が帰ってきた。
記憶がなくても元の俺になっていると。
しかしダメだった、俺は続けられなかった。
周りの顔色を伺いながら続ける演技は、日に日に自分の心をすり減らしていく。
もし俺がこの演技をやめたら、みんな俺を見放すんじゃないかと思ってしまう。
次第に人間関係自体が辛くなり、俺は他人との関わりをしなくなっていた。
誰とも話さない、誰とも接触しない、誰とも関わらない。
学校では休み時間は人と話すのが嫌で、人のいないところに行く。
家に帰れば、部屋の中に閉じこもり、食事以外は家族との接触を避ける。
最初はおせっかいなやつが話しかけてきたが、
無視や逃避を続けると諦めていった。
両親も俺の様子に気がつき、会話のきっかけを作ろうとしたが俺は「ほおっておいてほしい」と一方的にコミュニケーションを絶った。
ここは俺の世界じゃない。
俺は“代用品”だ。
俺がいてもいなくても、きっと何も変わらない。
そう考えると、無性に悔しくて、無性に悲しくて、そして絶望した。
†
薄暗い部屋の中、目の前にロープがぶら下がっている。
夕方、窓から見える空は曇り空で光量は少ない。
天井からつるされた、輪に結んだロープ。その下には台として置いた木製のイスがある。
俺はイスに足をかけ、その上に立つ。
頭にロープの輪を通す。
†
「魔王様、起きてください」
目が覚める。いつものマスカの声だった。
俺は上半身を起こすと、手で頭を押さえた。
頭が痛い。前世の夢を見るときはいつもそうだった。
心を抉られるような苦々しい記憶と嫌な感情を一気に思い出す。
「……魔王様、大丈夫ですか?」
「何がだ?」
「いえ、調子が悪そうに見えたので」
いつもの淡白な口調だが、俺にはこいつが本当に心配していることがわかる。
何を言うべきか迷っていながら、口からぽろりと言葉が飛びだす。
「夢を見た」
「夢? ですか」
「ああ、前世の夢だ」
「………………」
マスカは俺が前世の記憶を持っていることを話したことがあるが、どんな前世の送ってきたかは言っていない。
俺が知られたくないということもあったし、マスカも詮索してこなかったからだ。
俺はただ頭を押さえて黙っていた。あの夢を見たあとは不安になる。
本当に必要とされているか、本当に不安になる。
「なあ」
俺は訊かずにはいられなかった。
「俺はこの世界にいてもいいんだよな」
俺を排除したがっている人間たちがいるのは知っている。
毎週、毎週俺の死を望んで、殺しにやってくる。
だけど、もし一人でも俺がここにいることを望む誰かがいれば。
俺は、その一人のために生きることができる。
「ええ、もちろんです。あなた様は最高の魔王です。どうか私たちを導いてください」
この一言で力をもらう。
本音だとしても、そうでなくてもどっちでもいい。
マスカにとっては俺は人間たちから領地を取り戻す兵器に過ぎないかもしれない。
だけど、否定されるよりは利用されている方がまだいい。
利用されているということは俺のことが必要だと言うことだからだ。
薄暗い部屋、吊るされたロープの輪を思い出す。
結局あのときの選択は正しかったのだ。
俺はあのとき、飛べなかったらあれから一生飛べずに苦しんで生きていた。
だけど飛ぶことができた俺はこうして世界を脅かす力を手に入れた、俺はこの世界を握っている。
ここは俺の理想郷だ。
もう俺の存在を誰にも否定させない。
否定するやつはかたっぱしから、排除する。
「で、どうした? 俺のところにきたということは侵入者か?」
俺の言葉にこくりと頷いた。
「ええ、ついに来ました。奴が」
マスカの声が心なしか固い。
「おそらくこれが最後の戦いになるかもしれません」
その言葉に俺は彼女が何を言おうとするのか、予見する。
もし俺が勝てば、もう人間たちには打つ手がないということ、もう侵入者がいなくなるだろう。
もし俺が負ければ、俺は死に、魔物たちは滅び、世界は人間のものになるだろう。
どっちにしても最後の戦い、になるかもしれない。
マスカの言葉は神託を告げる巫女のように厳かに聞こえた。
「魔王様、勇者が来ました」




