第三話 「お前の背中は俺に任せろ」
「どうだった? 何か見つかった?」
京介が玄関の扉を開けて外に出ると、繁みの影に潜むように待機していた真冬が声をかけてきた。その声色には僅かに期待の色が滲んでいる。
「いや、何もなかった。ここも食い荒らされた後みたいだ」
調べた結果を端的に報告すると、真冬の表情が落胆のものに変わった。
「……そっか、ここもハズレ、か。これで十軒目だね」
ふう、と大きなため息をこぼす真冬。その顔には色濃い疲労の色が見て取れた。もうかれこれ捜索を始めてから三時間以上が経過している。人間である限り疲労感や空腹感から逃れることはできない。隊長という手前口に出すことはないが、京介も精神肉体共に疲労がピークに達しつつあった。しかし、それも当然のことと言える。
ここに到着してから京介らは、いつ襲ってくるやも知れぬ相手を常に警戒しながら行動している。何気なく会話しているときの声はもちろん、歩いているときも止まっているときも、服ずれの音にさえ気を配りながらの行動なのだ。いかに精神力があろうともこの状況で疲れを感じぬ者はいないだろう。いつ襲われるかもしれないという不安は人の精神を削ぎ落とし、精神の摩耗は直結して肉体に疲弊をもたらす。そんな状況での任務続行は危険と言えた。
そこまで考えた京介は早々に結論を下した。
「今日の捜索はここまでにする。これ以上の捜索は危険だ。真司が戻ったらすぐに撤退、続きは明日に持ち越しだ」
こういった判断を素早く的確に行えるのは京介の長所である。引き際を見極められず、仲間を危険にさらすようでは隊長は務まらない。何も成果がでなくても仲間の命を最優先に考え指示を下す。それができるということが戦闘能力以前に自分を隊長足らしめているのだと、京介は考えていた。
「了解よ、隊長。正直そうしてくれると助かるわ。疲れたし、お腹も空いてきたからね。帰る時の体力までなくなったらどうしようかと思ってたのよ」
真冬は撤退の言葉を聞いて安堵の表情を浮かべた。
生きて生還するために全力を尽くすのは当然のことであるが、任務遂行中に力を使い果たしてしまい、帰る段になって満身創痍の状態では言うまでもなく危険だ。生き残るためには戦闘技術や銃器の扱い、あらゆる場面での冷静な判断力が求められるが、それと同等かそれ以上に重要なのが体調管理だ。どんなに熟練の兵士であっても万全の状態でなければ百パーセントの力を出すことは難しい。確かにどんなに不利なコンディションであろうと、その気になれば全力以上の力で以って戦うことができるのがプロというものであるが、如何せん京介や真冬には帰る場所があり、その帰りを待っている人たちがいる。そのために、ここで力を使い果たすわけにはいかないのだ。そしてこうした状況下において、真冬は京介の判断を全面的に信頼している。だからどれほど疲れていても自分からそれを口にすることはないし、文句の一つも言わない。その信頼が京介にとって嬉しくもあり、また仲間の命を背負っているのだという強い責任にも繋がっている。真冬や真司もそれを理解しているために長らく京介を支え、今日まで共に生き残ってこられたのだ。
「それにしても真司君、少し遅すぎないかしら?」
真冬が真司の入っていった建物、今は廃墟と化している建造物を見上げて首を傾げた。京介はきっかり十分で捜索を終えたために、それを鑑みるとおそらく十五分は経過しているはずである。この時間の超過はいささか長すぎると言えた。
一軒につき捜索時間を十分と取り決めているのは、長居をすればそれだけ危険になるというのももちろんあるが、それ以上に仲間に無事を知らせるといった意味合いが大きい。もしも捜索時間に制限を設けていなかった場合、捜索に出た仲間が戻らなければ余計な不安と混乱を現場に持ち込むことになる。それを避けるための時間制限なのだ。
そしてその時間を過ぎても真司が戻ってこないということ。京介と真冬は最悪の事態を想像し、顔を見合わせた。同時に背中を冷たい物が流れる。
「……俺が見てくる。お前は待ってろ」
京介は肩に掛けた《AK‐47》を背負い直し、各種装備を整えた。真司とて一端の兵士だ。当然制限した十分という時間の意味も知っている。それでも戻ってこないということは何らかの理由で戻ることができないのか、その身に何かがあったかのどちらかだ。それならば仮にも隊長を任されている自分が赴く、それが当然だという判断で京介は言ったのだが、
「私も行くわよ」
京介の言葉を無視するかのように、ごく当たり前のことのように真冬は言った。
「真司君に万が一があったとすれば、ここに見張りが一人いても仕方ないでしょ? それに、何があるか分からない所に京介君を一人で行かせられるわけない。絶対に行かせない。もし京介君が私の心配をしてくれてるのなら余計なお世話よ。……私たちは三人でチームでしょ? あなたの背中は、私に任せてよ」
京介ははっとすると同時に、幼い頃からの友人の決意にこれ以上何を言っても無駄であろうことを理解した。だが昔からの付き合いであるが故に、真冬が一度口にしたことは必ず守る、そういう女であることも京介は知っていた。
その場を一時、重い沈黙が流れる。
思考すること僅か数秒、すぐさまこれ以上の問答は意味をなさないと結論付けた。
「分かった、ここで議論している時間はない。俺の背中はお前に任せる。お前の背中は俺に任せろ」
言って京介は不敵に笑って見せた。真冬も笑顔でそれに応じる。
「決まりね。それじゃ、行きましょ」
二人は銃から手を離し、互いの拳と拳をぶつけ合った。それは今まで幾度も交わしてきた二人の合図。真冬の手は、何だかいつも、少し冷たい。
だが意志の疎通はそれだけで充分。それ以上は必要ない。余計な言葉で飾らなくとも共に為すべきことは分かっている。
息を吞み、京介は真司の入っていった建物へと踏み込むべく、静かに移動を開始した。