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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

マッドサイエンティストの恋

作者: つたの葉

「質問。君が好んで飲む紅茶の銘柄は?」

 私の見つめる先でしばらくの沈黙が続いた後、麻里恵は「ディンブラです、マスター」と言った。

「……うん、まずまずかな。最初なんか『私には消化器官がないので液体を嚥下することが出来ません』なんてのたまってたんだから、上出来だよね」

 うんうんと頷きながら私は研究室の隅にある戸棚を開けた。ティーセットと共に並んだ缶の中にはスリランカから取り寄せた最高級のディンブラ――に限りなく近い偽の茶葉が詰まっている。太陽光の届かない地下で僅かな地中の栄養とバイオ技術を駆使して育てた“模造品”だ。発酵技術が未熟だった頃はまるで青汁のような味のものしか出来なかった。

 ユーラシア大陸から人類が消えて何年経ったか覚えていないが、少なくとも紅茶と呼べるような代物が飲めるのは我が家が唯一無二であり、考えようによっては最後の産地である。

 せっかくだから新しい銘柄の名前でも考えてみようかと思ったところで私はくるりと踵を返し、白衣の裾をはためかせた。うっかりスルーしてしまったが重要な点を修正しなければならない。

「しかし、一つだけいけないね。二度とマスターと呼ぶな。麻里恵は私をマスターなんて呼んだりしない」

「では、どうお呼びすれば」

「……うん、初期記憶の引き継ぎを設定し忘れたかな。いくら天才の私でも、日々変化のない日常を過ごしていると思考が麻痺して凡ミスをしてしまうわけだ」

 私を見つめながらぴくりとも動かない麻里恵を一瞥する。彼女のために磨き上げた水晶体は私をその瞳に映し出し、私という個体を分析していた。まばたき機能を実装するのを忘れていた。今度アップデートしなくては。

「私のことは、ミツキと呼んで」

「わかりました、ミツキ」

 私は頭を掻く。

「敬語機能はオフにしてもよかったか……いや、まだ知り合って間もない。お互いのことを知る前に馴れ馴れしくするのは私達の間柄ではないかな」




 どうやら世界が終わったらしいと気がついたのはここ数年のことだ。

 私はずっと地下の研究室に篭って外界と隔絶した生活を送っていた。案の定というか、私の予測より少し早く、世界中に溢れかえっていた人類は自らの火種で身を焦がし地球上から姿を消していった。

 化学兵器による土壌汚染と大気汚染、無作為に投下された核爆弾による死の世界だけを残していくあたり、とても徹底している。核とはまず使用しないことが前提の兵器であったはずなのに、いつの間にか国家レベルで冷静さを失っていたようだ。

 そうして、私だけが世界に生き残った唯一の人間となった。

 彼女を造り始めたのは世界が終わる前だったが、私にとって彼女を失ったのは世界を失ったのと同義だから私以外に誰もいないなどという事は瑣末な問題だった。しばらくの間は自分一人を養えるほどの生活環境を整えるのに苦労したが私は天才だったため、これといって問題なく進んだ。

 ようは、私は世界で独りだったが麻里恵という二人目の人間を誕生させれば私の“世界”は平穏で幸せなものとなる。

 神は最初にアダムとイブを創ったが、私は最後に彼女を創って私達だけの世界で終わりを迎えるのだ。




「麻里恵」

 はい、と鈴を鳴らしたような可愛い声で彼女が振り向く。音声設定は苦労した。実のところ麻里恵と話したことなんてほんの数回だったから、再現するのに一ヶ月も費やしてしまった。お陰で私の記憶と寸分違わない声で、私の名前を呼んでくれる。

「そろそろ夕飯の支度をしなきゃいけない。手伝ってくれる?」

「わかりました、ミツキ」

 麻里恵は本棚を整理していた手を止め、壁にかけてあったエプロンをとった。私は相変わらず薄汚れた白衣のままだったが、今更衛生面を気にするほど繊細ではない。

「ミツキ、駄目です。それではキッチンに立てません。あなたの白衣から経由した雑菌が熱加熱処理をしない食器に移った場合、食器を通してあなたの体内に通常は存在しないウィルスを入れてしまうことになり危険です。要するにあなたはその不衛生な白衣で口元を拭うことと同じ事をしてしまいます。脱いで下さい」

 麻里恵は綺麗好きで、よく気がつく。そして、少しお節介。

 私がそう、設定したとおりだ。

「……そのとおりだけど、どうせなら最後の一文だけでよかったかな。うっとりとした目で見つめながら言ってくれるともっと興奮するけど」

「私はあなたを興奮させる必要があるのですか?」

「冗談だよ」

 麻里恵は不可解なものを見るように私を一瞥すると、思考エラー処理より優先度が高いと判断したのか何事もなかったかのようにエプロンを付けてキッチンへと消えた。

 まだまだ試行錯誤する必要がありそうだ。




「ミツキ、東に三キロ歩いた場所にある川ですが、やはり上流からの汚染によって浄水できないほどの水質に変わってしまったようです」

「そっか……あの川はまだ大丈夫だと思ったんだけどなあ」

 私は腕を組んで今後の生活用水の調達について思案する。もっとも、地下の水脈は確保してあるから直近の問題ではないが、とどまることを知らない地表の汚染は見ていて気持ちの良いものではない。

「水面は油脂性の物質で覆われていました。てらてらと光るさまは、そう、虹のようです」

「……その表現はあまり好きじゃないな」

「冗談です」

 顔を上げると変わらず無表情な双眸が私を見つめている。しかし、その口からはインプットした覚えのない思考が紡がれた。

 設計したAIは確実に成長している。そして、私の望む麻里恵に近づいている。

 私はやはり天才だった。

 麻里恵を、生き返らせることが出来るのだ。







 彼女と会ったのはいつだったか。もう随分と昔のことのように思える。

「あなたは人殺しなんですね」

 そう冷めた目で言われた時、私の胸が高鳴った。

 純粋な憎悪と侮蔑。それまで生きてきて幸いにも誰にもそんな感情を向けられたことはなかった。

 けれど、目の前の病弱な少女は顔を歪ませてはっきりと吐き捨てたのだ。ほんの数回しか、会話をしたことのない私に向かって。

「そうかな。私が実際に現地へ行って人間を殺してきたわけではないんだけど」

 私は動悸が止まらない胸元を抑えながら、ごくごく平静を装って彼女に投げかけた。

「同じ事です。あなたの作った兵器がなければあの国の人々は死ななかった。――現地へ派遣されていた私の兄も……」

「うーん。因果関係まで辿られると私の責は免れないかもしれない。けれど故意か過失かと問われたらこれは過失だ。だから、もし裁判で争ったとしても情状酌量の余地はあると思うよ」

 すると、彼女はキッと私を睨みつけて談話室から出ていった。苦しそうな素振りはなかったから単に私が彼女を怒らせてしまったんだろう。私は何をするにも天才だったが、人の感情の機微を悟るのは実のところ苦手だった。

 彼女――小林麻里恵は、私を憎んでいたのだ。







「麻里恵、おいで」

 私は地下研究室から地上に建造されたシェルターへ麻里恵を誘った。もっぱら研究は地下での作業で事足りるが、地上の様子を確認するためには必要な施設である。

 麻里恵は影響を受けないが、強い放射性物質が地上に残っているので防護壁はあるものの私はあまり長居は出来ない。そういう理由もあって滅多に足を踏み入れることはなかった。

「ミツキ、あなたの身体はこの空間には一時間と二十七分しか留まることが出来ません。何か用があれば私が仰せつかります」

「君は私をそんなに心配する必要はないよ。麻里恵らしくない」

「私らしいとはなんでしょうか」

 小首を傾げる麻里恵を見て、私は腕を組む。私の少ない記憶の中で彼女らしい面とは。

「蔑むような目で、私のアイデンティティを否定する言葉を吐く」

「それはあなたの性癖に迎合しろと言う意味でしょうか」

「あー……いや、今のはなしだ」

 私は頬を掻きながら彼女から目を逸らした。壁にあるスイッチを作動させシェルター内の一角にある観測室へ足を踏み入れる。

 せいぜい四、五人が入れる程度の狭い空間は天井の方だけ丸くドーム状になっており、その中心を貫くように円柱状の装置が設えてあった。手元の操作盤と小さなレンズの動作を確認する。

「これは、天体望遠鏡でしょうか」と麻里恵が珍しそうに部屋を見渡す。

「そう、ずいぶん型は古いけどね」

 言いながら私はセッティングを終え、麻里恵に場所を譲った。覗いてごらん、と肩を押して促す。

「……あれは、虹ですか?」

「そう。人類が住む場所を失った代償の証」

 虹ではない。

 暗く淀んだ世界に架かっているもの、それはここ日本では絶対に見られないはずのオーロラだった。

 地球の環境破壊が進むと通常あり得ない現象まで起こる。なかなかに興味深い事例だ。

 それ以前に、私はこの不気味なオーロラが美しいとさえ思った。

「美しいですね」

 望遠鏡を覗き込む麻里恵の横顔を振り返る。目を細め、子細に観察する様子からおよそ感情は読みとれなかったが、その感嘆の言葉は真実だと思えた。

「そう。これからは虹と表現するならこのオーロラを指すことにしよう。私たち二人だけの新たな概念だ」

 麻里恵はゆっくりと顔を上げ、私に向き直る。

「ミツキは詩的ですね」

「どうかな。デリカシーに欠けると人からは散々言われた覚えはあるけど」

 すると麻里恵は僅かに目を丸くして数度瞬き、「自覚があるとは予想外でした」とのたまった。

 やはり、まばたき機能は実装して正解だったようだ。小憎らしいことに、皮肉を演出する手段の幅が増えている。







 私が病棟のトイレで嘔吐していたとき、ちょうどそこに麻里恵が通りがかった。

 見て見ぬ振りか、看護師でも呼べばいいものを彼女は私を介抱した。背中をさすり、気分が落ち着くまでその場に留まってくれたのだ。

「病院食が、あまりにも不味くてびっくりした。おかげで全部なかったことになったけど」

「……このご時世に、よっぽど良いご飯を食べてたんですね。呆れました」

 そう言って苦笑する麻里恵は見るからに病弱そうで、儚い雰囲気の少女だった。本来なら介抱されるような立場の人間なのに、私のようなちょっとした過労で入院しただけの似非患者の面倒を見ようとするとは、よっぽど暇なのだろうと思った。

「既に瓦解した政治と世界情勢に不安を抱えるのはもっともだね。戦地に派兵する数も増えてると聞く。でもそれももうすぐ終わるだろう」

 私は天才だ。ここ数ヶ月、寝食を惜しんで当たってきたプロジェクトは佳境にさしかかっていた。これが成功すれば核で身を守る大言壮語の小国も無駄な戦の手を弱めるだろう。

「そういう楽観主義的な意見は嫌いじゃないですけど」

「私は天才だからね。世界の火種なんてこの指先一つで握りつぶせる」

 言うやいなや、麻里恵は僅かに目を丸くして数度瞬き、「精神科ならそこの階段上がって右ですよ?」とのたまった。







「キスをするときは目を閉じてほしいな」

 私は麻里恵の後ろ髪を指で梳きながら鼻先まで顔を寄せる。

 麻里恵は言われた通りに瞼を閉じると私に身を委ねた。

 今、なにを思考しているのだろうか。

 律儀にキスするときの手順を整理、記憶しているのか。

 なぜ私がこんなことをするのか疑問に思って思考演算しているのか。

「……っん」

 平均三十七度に設定された口内温度は実際に舌で感じると更に熱っぽく知覚した。体液の代わりに生成される、粘性を加えた生理食塩水が私の唾液と絡み合う。甘くも辛くもない無味無臭の、麻里恵を構成するために必要な要素の一つ。

「はぁっ、……ん、……んん」

 羞恥心の概念は設定した。見られたら恥ずかしいもの、触られたら恥ずかしいもの、性的な刺激を感じる場所と一般的な女性の性嗜好、私が僅かに知る中での麻里恵自身の性嗜好。

 事実、麻里恵の頬は紅潮し、呼吸から酸素を取り込めないことに焦りを感じ私を押し退けようと弱々しく肩を押す。

 だが私はそんなことはお構いなしに彼女の唇を求め続ける。肩を壁に押しつけ、華奢な両腕を拘束する。柔らかな素材で造られた肌を、首筋を、私の唇で辿っていく。

 麻里恵は私が触れる度、びくびくと身体を震わせる。声を抑えようと強ばる唇に再び口づけを落とした。味気のないキスはしかし私の脳をゆっくりと麻痺させていく。興奮しているのだと自覚は出来たが、それが単なる生理現象なのだと断ずるほどには私の思考は冷静だった。

 麻里恵の顔で、麻里恵の声で、私は満たされない欲望を昇華しようとしているに過ぎない。詰まるところ自慰行為とさして変わらないのだ。

 羞恥に歪む麻里恵の顔は艶めかしく蠱惑的だった。彼女ならこういう表情をするだろうと予測した結果に過ぎないのに私の身体は見事に錯覚し勝手に溺れていく。

「ミツキ、……っ手を……」

 いつの間にか壁を背もたれにして床へ直に押し倒されるような形になっていた麻里恵が、私の白衣の裾を握った。見上げる瞳は私の顔を見つめているが焦点がぼけているようだった。

 乱れた服の胸元をまさぐっていた私の手を取ると、五指を自身のそれと絡める。私の不揃いな爪は、一片の汚れもない麻里恵の磨かれた爪と並べるとずいぶん不格好だった。

 その指を麻里恵が愛おしそうに口に含む。そう、愛おしそうに見えた。ざらついたシリコンの舌でなぶられる指の感覚が興奮とは違う熱を私の中に忍ばせる。

 私の荒い息づかいの他に、冷たい地下の静寂を掻き消す水音が響く。

「私の生まれた意味は、こうしてあなたを満たすことでしょうか」

 指を引き抜くと麻里恵は僅かに首を傾げて、無垢な瞳で尋ねた。

 その瞳の奥に望まぬ確信を得て、私は再び絶望する。

 私は何も言わずに彼女の身体に被さり右腕をそっと首の後ろに回し、生暖かい生理食塩水に塗れた指で、彼女の主電源を切った。







 天才である私の造った化学兵器は敵対国を完膚なきまでに滅ぼし、世界のバランスを変えた。

 それは待ち望まれていたことであり、人権や人間の尊厳を叫ぶ団体の声など私にはいくらも聞こえてこなかった。

 しかし、それは麻里恵を絶望させた。

 彼女は私を憎んだ。私を見なくなった。私を否定した。

「この病気がなければ、私はあなたを殺していたかもしれない」

 以前、医師づてに彼女の病について聞いたことがある。世界でも症例の少ない難病指定で、日本での治療は難しい。世界情勢が不安定な今の時期では海外を頼っての手術も難しいのではないか。

 だが、化学兵器により一つの国家が滅びその結果一時的に大陸への渡航が可能になった。厄介な国が一つ無くなり勢いを増した大国は、より一層日本との安全保障の連携を深めたのだ。

 麻里恵は海を渡った。

 だが、帰ってこなかった。

 世界でも並ぶ者のいなかった大国は、奪われた化学兵器の投入と核の火によって呆気ない落日を迎えた。







「質問。君が好んで飲む紅茶の銘柄は?」

 私の見つめる先でしばらくの沈黙が続いた後、麻里恵は「ディンブラです、ミツキ」と言った。

 彼女は今回、バージョンにして32.05を迎える。動作はすこぶる正常で、語彙言語変換ともに異常なし。初期設定の引継ぎもエラー無く進み、彼女は私を正しく認識している。

「君には私と一緒に世界の終わりを過ごしてもらおうと思っている」

「あなた以外には誰もいないのですか」

「そう。麻里恵風に言うと……そうだね、私が全部殺してしまった」

「あなたは人殺しなのですか」

 麻里恵は目を細め、私を観察する。その瞳に待ち侘びた感情が灯るなら私の長きに渡る飢えは満たされるだろう。

 君を殺してしまった。

 悲しみの涙も、怒りの嗚咽もとうの昔に尽き果てた。

 君の笑顔はいらない。君の心配もいらない。君の従順さも、媚びる指もいらない。

 ただ君に謝りたかった。君を殺してしまってごめんなさいと。

 そして、伝えたかった。

 君のことが好きだったと。それだけ伝えたいが為に、私は君を造ったんだ。

「さあ、どうかな。君はどう思う」

「……わかりません。思考エラーが出ています」

「そう。じゃあ次のバージョンの為にも頑張らないとね」

 麻里恵はしばらく思案した後、こくりと頷いた。

 繰り返される会話。繰り返される思考。

 いつか彼女が麻里恵になったとき、私は彼女に喜んで殺されよう。






***




 モニターを眺める少女が小さく息を吐いた。

「やっぱり、これも駄目だったかな。この本には相手に対する罪悪感が人を縛り付ける感情と成りうると書いてあったから参考にしたんだけど、愛情とは別のジャンルになってしまったみたい。難しいのね」

 プログラム実行画面には記憶転写装置とのリンク状態、被験体のバイタルと仮想的に体感している記憶映像が映し出されている。実行タイトルは『マッドサイエンティストの恋』。

「ていうか、世界が終わっちゃったらマズイでしょ」

 あっけらかんと笑う少女、その背後に控えていた老齢の男が遠慮がちに口を開く。

「……では初期化後、再インストールを行いますか?」

「んー、もう少し眺めてても面白いけど。今回は私が死んじゃったっていう斬新な設定から始まってるから、弥月の考え方が今までになく破滅的でしょ。すごくドラマチックで楽しめるストーリーだわ」

 でも、と口を尖らせた少女はモニターに背を向ける。

「真に私を愛してくれる人格じゃないから、この弥月も失敗作。高村、お願い」

「では、装置を一旦止めましょう。あまり精神の負荷が高い記憶を生成し続けると脳の機能が損なわれてしまいますので」

「あら、でもそしたら新しいクローンを生成すればいいじゃない。この弥月からサンプルは取ってあるんでしょ?」

 すると高村は口籠りながら申し訳なさそうに「いえ、これ以上はお控えになって下さいと旦那様から……」と言葉を濁した。

 少女は目を見開く。

「パパが? 私の生涯の恋人を作る大事なことなのに。パパだって、私を作るときは沢山失敗したに違いないのに!」

 高村はモニターの片隅に映されたベッドに横たわる少女を見た。体中に付けられたコードや管がそれぞれの装置へと繋がれ静かな動作音だけを隔離された部屋に響かせている。

 憐れに思う気持ちはなかった。そういった感覚はとうの昔に人類は忘れてしまった。

「旦那様が、お嬢様を作られたのはたった一度きりです。ご多忙な方ゆえ自然な親子の関係とは言い辛くはありますが……」

「またその話。高村は母体出産だったから考え方が古臭いのよ」

「……そうですな、私はもう時代に取り残された人間なのでしょう」

 老眼鏡をずらして目元を揉みほぐしながら、世界はずいぶんと変わったものだと一世紀近くを生きてきた男は寂寥感に心を震わせた。

 二十二世紀が過ぎた頃かねてより研究されていたクローン技術が確立され、人類は誕生以来の爆発的な発展を迎えた。

 もはや人はその細胞さえあれば寸分違わぬ遺伝子の人間を作り出すことが出来、遺伝子の掛け合わせで卵子を受精させずとも子供を生み出すことが可能となった。

 人類にとって種の保存という本能はもはや意味を持たない。人は性別を超えた交配技術を獲得し、自由で奔放な性の時代が到来した。

 やがて技術は派生していき、記憶転写の掛け合わせで望むだけの人格をクローンに与えることも可能にした。

 少女のように、永遠の愛を誓う恋人を試験官の中から作り出すことさえ、新しく生まれ変わった倫理の統べる世界では当たり前の所業だった。

「待っててね、弥月」

 振り返った少女は眠り続ける少女を映し出すモニターに、そっとその細い指を置く。

「私があなたに愛することを教えてあげる。私だけを求めて、私だけを愛してくれるあなたを創ってあげる」


 そして、プログラムは初期化実行のシークエンスに移行する――。

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