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混沌の大渦

 三年前。

 その男、アレクセイは父から受け継いだ酒場を経営していた。その父もまた、祖父から受け着いたものだったらしいが、きっとそこで一生を使い切るのだろうなとなんとなしに思っていた。

 そしてそれこそが、まぁ、幸せだった。家族も居た。気の良いバカな常連も出来た。せせこましくも、罪を犯したことはなかった。法律の上でも、哲学の上でも。

 しかし今やアレクセイの、アレクセイだった大部分はバラバラに引き裂かれ、いずこかへと消えた。残る僅かな人間性は混沌の坩堝を漂っている。そこでは上も下も右も左もなく、痛みと寒さと溜まらない飢えだけがあった。

 渦だ。

 抗えない凶暴な流れがあって、苦痛を伴う細かな傷を負いながら、アレクセイの精神は今なお何処かへと流されている。僅かにでも痛みを和らげる方法は、その流れに逆らわないことだった。

 ときおり、その渦は、気まぐれに、あるいはなんらかの悪意によって大きく向きを変えた。もちろんそれに従う他なかった。もっとも、抗おうが向かう先は同じなのだろうが。

 そしてアレクセイの肉体は、混沌の大渦の流れに沿った結果、ヘイムズの物見ヶ丘に居た。アレクセイ自身、ここには数多くの思い出があった。既に失われ、バラバラになっているが、あった筈だった。アレクセイだった部分は、そんなことを知る由もない。

 大事なのは、眼前の男を殺すことだった。殺して、その肉を食らえば僅かだが痛みが和らぐことを知っていることだった。そういう流れになっていた。

 しかし、それは、うまくいきそうにない。眼前の男は獣の様に素早く、抜け目がなかった。

 冷たい抜き身の刃に、自分から飛び込んでいくような感覚がある。それも、既に大勢の血を吸ったような代物だった。混沌の大渦の終着点は案の上というべきか、刃だった。

 しかしだからと言って、アレクセイだった精神は逆らうことが出来ない。もうその刃に貫かれる他なかった。

 と、――、そこで、混沌の大渦の向きが、僅かに変わった。

 アレクセイだったその精神は、自分の行動を制御出来ず、また、理解出来ない。大渦の方向性に従い、その肉体は動いた。

 それは足元に落ちていた、朽ちた木の枝だった。それを拾い上げ、中心からへし折る。すると木の枝はささくれだった切っ先を見せた。

「これなら肉に刺さるだろう。僅かだがチャンスは増えるだろう」

 と、声がする。正確には声ではなく、遥か遠方から聞こえる地響きのような咆哮だったが、その言葉? の意味は理解していた。確かにこれなら自ら爪や歯よりもよっぽど殺しやすそうだった。

 しかし自分は、ずっと以前はこういうものを使っていた気もする。アレクセイだった部分は僅かにだがそう思った。

 ――道具!

 その大渦は、ついにそれを示唆した。アレクセイだった精神にとってそれは正に天啓で、大渦の中で、初めて苦痛以外のものを感じた気がした。

 ――知性!

 大渦の中心で、それは待っている。


 しかし、それはアレクセイだった精神にとっては遅すぎた。眼前の男、――今はブッチャーを名乗っているその男は即座に地面を蹴り、その斧の切っ先をアレクセイだった精神の頭に叩きつけた。

 そして暗闇。きっと眼を開ければ、朝が来て、開店準備を始める羽目になるだろう。またバカ共に酒を振舞わなきゃとアレクセイは思った。


 こいつ武器を使いやがったぞ。

 ブッチャーはたったいま始末したグールと、その手に握られた木の枝を驚愕と共に見下ろす。想像するに、今回はたまたま物がなかっただけで、さっきの瞬間に、足元に剣が落ちていたら、きっとそっちを使ったんじゃないか? そう考えると気味が悪かった。

 グールの全てを知っている訳ではないが、グールが武器を使った話など聞いたこともない。知性も魂も失った、人間の骨と皮と肉、それが再開拓者がグールと呼んでいる化け物共だった。

 頻発するフラッシュバックに、ピットも明らかに増えている。地図も既に役に立たなくなってきている。それにいずこからか来たヘイムズの騎士に、今度は武器を使うグール。

 ヘイムズが変わってきている。それも明らかに悪い方向に。

(畜生め。ヴィクトールとやらは?)

 グールのことはひとまず置いておいて、さきほどの騎士を探した。手間が掛からない程度には弔ってやるつもりだったが、騎士の姿はなかった。

 唖然とするよりも、苛立ちの方が強かった。ヘイムズのこの畜生め!

 幻や幻聴はヘイムズの得意とする所だったが、直感的に、ヘイムズの騎士は現実のものと思えた。そしてヘイムズを渡り歩いてきたその直感を疑うつもりはない。

 今回のことを、ベアに報告するべきか、若干逡巡する。明確なリーダーを持たない自由人達の集まりでもある再開拓者だったが、ベアはごく自然にまとめ役に近い場所に立っていた。ブッチャー自身も、認めざるを得ないが、ベアをなんとなく頼りにしていた。もっとも本当に頼りになったことは少ないが、それでもその人となりは信用出来た。

 多少なりとも、話すべき部分と、話さないで良い部分とを纏めて、彼に相談するべきだろう。結局は、そう結論付けた。騎士の件は話さない、だ。だが、グールが武器を取ったことは捨て置けない問題ではあった。こればかりは、再開拓者達の安全に関わってくる。

(もし今後、そういう変化が訪れるとしたら、ますます外を歩けなくなるだろうな)

 フラッシュバックの時も思ったことを、反芻するかのように考える。

(ヘイムズは、魔王は明らかに僕らを嫌っていて、追い返そうとしている……それに、それに……くそ! それも、いっそ慈悲に満ちたやり方で!)

 時間はおもったよりも残されていないのかもしれない。とブッチャーは思った。魔王はヘイムズの民を一夜で消した。今、この地に訪れている者に、同じことを出来ない保証はない。

(王城に行くのなら、きっと急がなきゃならん。もっと酷いことになる前に……、だがどうやって)

「ブッチャー!」

 そこで、思考を遮るかのように、こちらを呼ぶ声。顔を上げれば、ヘイムズ人の小僧が立っていた。




キャラクター名を考えるのは苦手です

ひょっとしたらと思うことがあってもスルーしていただければ幸いです。

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