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ホームカミング

 ナイツは幼い自分と、兄弟姉妹達を追っていた。

 実態のない幻影の喧騒に囲まれ、過去のヘイムズをさ迷い歩き、眠気にも似た意識の朦朧があり、唯一、実態のあるように見える少年少女の姿を確かに見て、縋るようにそれを追っていた。

 紛れもなく、幼い自分だった。もはや、顔も思い出せないが、そばに居た少年少女達は、孤児院の家族だろう。

「待て! 待ってくれ!」

 十年ぶりの帰郷。自分自身、どのような意図があったのか判らない。郷愁と使命感のない交ぜになった、自分自身では処理しきれない感情があり、それに支配されるまま、ナイツは魔都と呼ばれるようになった故郷に帰ってきた。

 家族たちと再会出来るなど、願ったことはあっても、思ったことはなかった。

 幼き自分と、兄弟姉妹達はナイツの手をするりと抜け、微笑みを浮かべ、それから走り去った。時折、こちらを見て、おいでと言いたげな眼を向ける。

(きっと俺は狂ってしまったんだ)

 そう思いながらも、追わずにはいられなかった。待て、と叫ぶ度に、兄弟姉妹達は一々立ち止まり、こちらに手を差し伸べた。そしてまたするりと居なくなるのだ。

 とりわけ、幼い自分だった。こちらを試すかのように、嘲笑うかのように、一番近くまで来て、一番巧みにこちらの手を逃れた。実際に声が聞こえたわけではないが、(うすのろ、大人のバカめ。お前なんかに捕まるわけないだろ、この俺がさ?)そう、心の内に聞こえた気がした。

(そうだとも、バカめ。俺がさ、特別な、この俺が、選ばれた、この俺が、大人なんかにさ、特別なこの俺を怖がっているお前らなんかにさ、どうにか出来るわけがないんだよ)

 心の内から聞こえる生意気そうな声。

(大人になって、あっと言う間に忘れちまったのか? 人間の悪たる部分を許容できないって思いをさ。誰だってそう思う純粋な日々をさ)

 掻き毟られるかのような頭痛に、ナイツは膝を折る。必死で足を動かそうとするが、無駄だった。もう一歩も歩けない。

 見上げれば、見下ろす幼い自分。

「ウィリアム……」

 ナイツはついにその名を叫んだ。幼い自分の名を。


 ナイツは凍えるような寒さと、皮膚にチクチクと刺さる藁のいたずらで目を覚ましたが、それは決して不快な感覚ではなかった。

 故郷に戻ってきたのだ。母が、母だと個人的に思っていたあの優しい人や、父だと個人的に思っていた厳しい人が、毎夜しなびた野菜のスープと一切れのパンを用意してくれる、あのHomeに。

 孤児院の近くには、金持ちの……名前は思い出せない。小柄で肥えた、立派な髭を蓄えた気のいいおじさんと、その婦人の豪邸があった。今にして思えば、彼らは貴族だったのだろう。だが優しかった。少なくとも、ナイツや、孤児院の仲間にはそうだった。

 貴族の屋敷には馬小屋があり、よくそこで昼寝をしていた。恥ずかしながら孤児院から家出をした時も、そこに隠れていた。

 今はきっとあの馬小屋にいるのだ。

 苦しくも楽しい少年時代の情景が洪水のように頭を流れ、ナイツはしばし寝起きの気怠さを身にまとったまま、まどろんでいた。寝返りを打つと、また藁が身体中をなでる、それ以上の大事なことが……例えあったにせよ、十分や十五分程度は忘れても罪にならないような気がしていた。

「起きたか。運の良い奴か、悪い奴か、それはこれからハッキリするだろうが、おはよう。僕が何を言っているか判るか?」

「え?」

 耳慣れぬ声にナイツは身構える。腰にあった短剣に手を伸ばそうとするが、それはズボンを掴むばかりだった。

「君のオモチャみたいなナイフは僕が没収した」

 ボロボロの外套を身にまとった男が、傍に座っていた。まったく見知らぬ男だ。その手には後生大事にしていた筈の短剣が握られていて、切っ先はこちらに向けられている。

 似合わない髭を生やしているが、顔立ちは若い。低い鼻に、細すぎる目つきが特徴的な……行き詰った野盗崩れ、と言った様相の男だった。

「白湯があるから、飲むんだ。一呼吸置いたら、僕の話を聞け。僕が言ったことが判ったか? 白湯を飲んで、それから落ち着いて僕の話を聞く。それ以外の行動を取ろうとしたら、喉を掻っ切る」

「アンタは?」

 なにを言っているんだ? どういう状況なんだ? そう尋ねようと思ったが、口を開いた瞬間に、男の眼はますます鋭くなり、ナイフを握る手も強張った。今にも飛び掛かってきそうな気配もある。

 おとなしく、地面に置かれていたコップに手を伸ばす。一体いつ入れたものなのか、湯気が立っている。それを一息で飲み干す。それが乾いた身体に驚くほど染み渡り、意識せずとも溜息が出た。

「僕の話は判っているようだな」

 男はやや警戒を解し、と言ってもナイフを手放したわけではなかったが、ひとまずは切っ先だけは地面に向けた。

「アンタは?」

 ナイツは再び当然のことを尋ねた。続けて、野盗? とまで口から出かかった。

「僕はブッチャー……ん、それ以外は自分のことで言うべきことはあまりないな」

 ブッチャーを名乗った男は伏目がちにそう言った。

「君の脳みそがどの程度無事か判らないから、どこから話せばいいものか。とにかく、君は農場で倒れていて、それを僕が救い出した。どうしてぶっ倒れていたか、覚えているか? 僕はなぜ君が倒れていたか説明出来るが、君の頭がしゃんとするのを手伝う為に、是非君の口から聞きたい……ひどい顔色だぜ、君は自分が何者で、なぜここにいるか、説明出来るか?」

 うつろう間に忍び寄る霧のように、次々と疑問が渦巻いてきた。

 そうだ、なぜ。

 なぜ、俺はHomeに戻ってきた?

 なんのために?

 頭の中に侵入してきた霧が、叙々に熱を帯び始め、それはやがて脳髄を焼く痛みに変わった。獣じみた絶叫が聞こえたが、それが自分の口から出たものだとは直ぐには気付けなかった。

 少年時代を彷彿させる藁のベッドと馬小屋と青空に、すっかり気を抜かしていた。そう見えていたものは、暗中で自分が見たいと思っていたものだった。

「ここはヘイムズ? おれは辿り着いたのか?」

「厳密には、ヘイムズ領の辺境、入口のそのまた入口だが、遥々よく来た。ここは確かにヘイムズだよ」

「魔王来訪の地?」

「今日は天気も良いから、お望みなら、ここからでも見えるぜ。窓から外を覗いてみろよ」

 言われるがままに、ふらふらと窓から顔を出す。

 遥か遠く、天を穿つかのように屹立する巨大な人の影が見えた。空の青に溶け込む、極深い藍色の影だ。

 二年前、お伽噺の世界から突如として染み出し、ヘイムズが王城に飛来した目もくらむ巨大な影。

 それの足元からは静かに死や闇が溢れ、瞬く間にヘイムズは静寂の都市となった。

 ほぼ当然の成り行きで、それは魔王と呼ばれるようになった。数々の神話やお伽噺、聖書の中で語られた、世界を終末へと導く、邪悪なる王にして神の敵。

 それが、今や目視出来る距離にいる。その事実に、寒々とした思いが広がった。

「あれが……」

「あまり見すぎると気付かれるぞ。ほどほどにして、飽きたらまた僕の話を聞くんだな」

 感嘆に浸る間もなく、ブッチャーの冷めた声に向き直る。

「どうせあれはもう滅多なことじゃ動かん。見てても面白いものじゃないだろ? もう、すっかり風景の一部だ」

 ブッチャーの言うとおり、魔王と呼ばれたそれは、来訪後は静かなものだったらしい。黙示録のように、空から巨大な岩を落とし地上を蹂躙するようなことも、地獄の炎を召喚し、海を干上がらせるような真似はしなかった。

 ただ、静かにそこに立ち、呼吸をしているだけだ。

「もっとも明日動き出さないという保証はないが、あまり気にし過ぎてもしょうがない。それよりも、僕の、簡単な質問に、いい加減答えてくれないか?」

 ブッチャーは、わずかに苛立っているのか、言葉の尻をやや強くした。ナイフの切っ先を再びナイツに向け、意にそぐわぬ動きをしたら、直ぐにでも飛び掛かろうと呼吸を整えているのが目に見える。

「話しぶりから察するに、君はヘイムズに着いたばかりか?」

「あ、ああ……」

 緊張に意識を向けたせいか、恐ろしく喉が渇いていることに気がついた。もう一度白湯に手を伸ばしたいが、そうした瞬間、ナイフがこちらの喉に食い込んでいるような気もした。

「本当に、ついさっきだ。国境警備隊の男に……金を握らせて、通してもらって……」

 言ってから、余計なことを喋っているのではないか、と不安になる。どの質問にどう答えたら、ナイフが喉に滑り込んでくるんだ?

「ほう、それは、まぁ、まだまともな侵入方法だな」

 まともな侵入とは、奇妙な言いぐさだった。他に方法があったのだろうか。

「ここへはなにしに?」

「俺はここで生まれたんだ」

 そう言った瞬間、ブッチャーの眉根が歪む。失敗したか、と冷たい汗が流れたが、そのまま正直に話すほかなかった。

「なんだって?」

「十歳になるまでは……ここで育った。城下町の孤児院だ。俺は……」

 言い終える前に、ブッチャーは口元を手で覆い、こちらを値踏みするかのような視線を投げかけてきて、言った。

「城下町というと……あれの足元か」

 ちらり、と魔王に目を向け、それから目を伏せた。

「そうだ、あの足元に、俺の家が」

「……聞いてすまなかった」

 そう言った後、ブッチャーはなにやら考え込むかのように、押し黙った。たっぷり十秒ほど経った後、しびれをきらしたこちらが声をかける直前に、ナイフを指先だけで器用に裏返し寄越してきた。

「返してくれるのか?」

「正直なところ、君をどうしたらいいのか判らない。君をただの幸運なやつだと思うべきなのか……」

 それから、また少し押し黙り、忌々しげに口を開いた。

「四人」

「え?」

「四人拾った。先日のフラッシュバックのせいで、砦の周りには再開拓者達の死体が転がっている。息があったのは四人だけ、内二人は狂っていたし、一人はまだ目覚めない……たぶん、もう二度と。別になにかを期待していたわけじゃなかったが」

「フラッシュバック?」

 判らないことはしらみつぶしに尋ねる他なかった。

「一日置きにその質問をされるとはな。なにかなんて知らんよ。君こそ覚えていないのか? 倒れる直前になにを見た?」

 霞がかった頭が、少しずつ晴れてきた。自分が何者で、なんの為にこの地に訪れたのか、今では完全に理解していた。そして倒れる直前に起きたことも。

(ヘイムズの記憶。ヘイムズの民。気が付けばその中に立っていて、その中で確かに再会した!)

 が、不思議とそれを口に出すつもりにはなれなかった。

「なにも覚えていないんだ。気がつけばここに、アナタが眼の前に居た」

「それだけか? なにか話してないことはないか?」

 ブッチャーは顔をしかめ、それから息を吐いた。彼自身、何を尋ねるべきなのかを決めあぐねているようにも見えた。口をパクパクと動かし、それから、ひとしきりうなると、今度は途端に冷めたような様子で、「まぁいいか」と視線を逸らす。

「名前は? おっと、本名じゃないぜ、それは自分の為に取っておけ。ここでなんと名乗るつもりだ?」

「俺は……ナイツ。ありがとうブッチャー」

「ナイツか。まぁ、縁があったらよろしく。とにかくもう少し休め。僕はもう行く。下に、君の話を聞きたいだろう奴らが大勢居るだろうが、一応彼らには、君が無事だったことは伝えておこう、イカれちゃいないってな」

 言って、ブッチャーは去って行った。去り際に、もう一度、視線を寄越してくる。その眼には見覚えがあった。

 猜疑心。こちらが言っていないことを図るような、冷たい視線だった。


そろそろ本編に動きを持たせることができそうです。

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