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魔都ヘイムズ2

 ブッチャーはガラクシーを抱えたまま、教会を蹴飛ばした。恐れていたよりもあっさりと扉は開き、二人はその場に倒れこんだ。

 外の喧騒が嘘のように、教会内部は静かだった。

(教会か……)

 ブッチャーは信仰とは縁のない人間だった。いや、むしろ、貧しい少年時代を過ごしてきた者にはありがちなことではあるが……ある種の敵意を持っていた。

 神や伝承が憎いわけではない。信者や、司祭が憎いわけではない。それが生む衝突が憎いのだ。

 啓示をお題目に武力を振るう宗教家も憎いし、その事に過剰に反応し、暴力を返す無神論もまた憎い。

(憎しみあわなければいいんだ、憎しみあわなければ……この地を見ろ、外の人たち……僕たちは欲望のまま傷つけあっているが、まだ健全だ……)

 疲労の所為か、思考がまとまらない。雨に打たれ過ぎた所為で寒気もある。打ち捨てられた教会だが、暖炉くらいはあるだろう、とガラクシーを引きずったまま奥へと進む。

「ブッチャー……? ああ……助かったのか……ありがとう、戻ってきてくれて」

 と、驚くほど明朗な声。ガラクシーが目を覚ましていた。

「先生、大丈夫なのか?」

「君のお蔭でね。助かったよ、いい腕だ。君を雇ったのは正解だった。座り込んでいる時は頭の中に霧が掛かっていたが、終わってみればハッキリと思い出せる。酷い体験だった、と、君が戻ってこなければ、そう感じることさえなかったのだろうな」

「僕自身は……向いてないことはするもんじゃないなと思っていた所だよ」

 実際、小遣い稼ぎのつもりで雇われたものの、誰かを守りながらこの地を歩むことが、ここまで辛いとは思わなかった。

「ここは安全なのか? 教会?」

「別に教会だからってわけじゃない。理由は知らないが、あれは野内では起こらないんだ。ここにいる限りは、あれからは身を守れる。あれからはな」

「他になにかあるのか?」

「なんでもだ。とにかく、今日のことで懲りたなら、以後は……少なくとも、契約通り、砦に着くまでは僕の指示は絶対だ。僕が走れと言ったら走って、しゃがめと言ったらしゃがむんだ。場合によっちゃ、歌えと言い出すかもしれんが、その時は疑問を口に出す前に歌ってもらう」

「私は音痴だぞ」

 ガラクシーはやや的違いな返事をしたが、それでも首肯した。

「君の指示には従う。だが、質問をするくらいはいいだろう? あれは一体なんなんだ?人の姿が……おそらくはヘイムズの民が見えたが……」

「僕らはあれをフラッシュバックと呼んでいる。あれは……そうだな、貴方の言うとおり、ヘイムズの民なんだろうな。なぜ起こるのか、実際の正体はなんなのか、誰だって知りはしないが、僕らの認識では、あれが起きるのは一か月に一度の筈だった」

「だった?」

「前回は一週間前だ。今回のフラッシュバックは、全く突発だ。予想すらしていなかった。畜生め。今回のことが例外中の例外ならいいんだが」

 ブッチャーを含め、この地に訪れている再開拓者はフラッシュバックの発生時期は野外の探索を避けることにしている。発生時期が安定していた分には、ヘイムズの災厄の中では回避しやすい部類ですらあったが、それを裏切られた。

 これでますます外を歩きづらくなる。

「……明日には収まる。首尾よく行けば、雨も上がるだろうな。出発はその後だ。火を焚いて寝てしまおう。砦にも明日中に着く」

「外ではまだあれが起こっているのか?」

「ああ、そうだ」

「なぁブッチャー、あれの中に居た時に……何かが見えた気がするんだ。凄く大切な何かが……」

「そう言って誰も戻ってこなかったぜ。僕は貴方がここに何を探しに来たのかは知らないが、貴方の探し物のことを、この地は知っている。それは忘れるなよ」


 幸い、教会内部は燃料には事欠かなかった。古びた本もあれば、ほとんどの椅子や机が木製のもので、火をつけるのも、それを保つのも容易い。

「そういえば、ここで本名を名乗ってはいけないという理由が判ったような気がしたよ」

 炎に影を揺らしながらガラクシーが言う。早めに眠ったほうがいい、と忠告はしたが、寝付けないらしく、とつとつと語り始める。

「ずっと私をガラクシーと呼ぶ声が聞こえていた。ああ、懐かしい声だった。たぶん、母だ。ガラクシーこっちへおいで、と。誘惑に耐えかねてふらふらと歩きかけたが、思えば母が私をガラクシーなんて呼ぶわけがないんだよなぁ。ここに着てから、適当に名乗っているだけの名前なのに」

 ガラクシーの言うとおり、再開拓者は決してヘイムズの地では本名を名乗らないようにしている。この地の支配者が……魔王と呼ばれている得体のしれない何者かが、その本名を利用するからだ。

「僕もあの中にいたとき、君を見捨てるように言い聞かせていた自問が、僕をブッチャーと呼んでいた。名前を知られていれば、僕も貴方も廃人になっていたな」

(見てきたはずだ。ブッチャー。お前が、それを必要とした時に、誰もそれを与えなかったように)

 その、自問の声がありありと蘇る。今更ながら、何者かに心の中に進入されていた、という事実を思うとゾっとした。

「この地、ヘイムズの今の支配者の影響力は、文字通りヘイムズまでで、外の世界にまでは手が伸びないということか。つまり、万能ではない」

(今まではな)

 ブッチャーはこっそりとそう思う。一つの国を一夜にして消滅させるほどの力の持ち主が、明日にも沈黙を守る保障はない。

「明日には晴れるかな? ここに着てからずっと雨だったり曇りだったり霧だったり、まだ私は、この地の支配者を見ていないんだ」

「焦らなくても、晴れれば嫌というほど見れる。なにしろあれと来たら、冗談抜きで山よりも大きい。で、また一つ忠告だが、あまり魔王を見すぎるなよ」

 天気さえよければ、ヘイムズの王城に屹立する、天を貫かんばかりの巨大な魔王の影がここではいつでも見ることが出来る。ブッチャー自身、初めて目にした時にはその姿に膝を折り、柄にも無く神の存在について考える羽目になったが、それも一ヶ月もすれば見慣れた風景となった。

 魔王は、来訪後三年、寝返りの一つすらせずに沈黙を保っている。その姿は影が見えるばかりで、質感すら定かではない。そもそも生き物なのか、それとも別の何かなのか、それすら知るものはいない。

 そして、魔王の膝元に辿り着いたものも、またいない。

「魔王は、私達の存在に気がついているのだろうか」

「さぁ。気づいていないか、気にしないでいてくれることを祈るのみだ」

「ブッチャー、私は……」

 ガラクシーが僅かに息を呑み、それから言いづらそうにだが声を絞り出した。

「あそこに行きたいんだ。ヘイムズが王城、魔王の足元に」

「辿り着いたものなどいない」

 ガラクシーの言葉はブッチャーにとって意外なものではなかった。誰も彼もが、そうだ。栄光も金も、奇跡も、全てはあの場所に集結している。

「いないのか? 本当に? 誰一人?」

「王城は城壁に囲まれていて、その外は山だ。山間にはフラッシュバックから身を守る為の建物なんてないし、城壁の門は閉ざされている。門に辿り着くための唯一のルートには……橋が……」

「橋?」

「橋だ。やたらでかい、石造りの立派な。あの場所はずっと深い霧に覆われていて、一寸先も見えないような有様でな。以前、熟練の再開拓者が十人がかりで橋を渡ると砦を出て行った」

 その中には見知った顔もいくつかあった。ヘイムズに着き、右も左も判らぬブッチャーに生きる為の術を教えてくれた、恩師とも呼べる者もいた。

「帰ってきたのは三人。一人は砦で目を覚まし、すぐさま呪詛を吐きながら近くにいた人間に切りかかった。一人はなにも言わずに首を吊った。最後の一人は……」

「どうなった?」

「いない。どこかへ消えた。僕はそいつを探しているのさ」




一週間に一度か、二度程度の更新頻度になりそうです。

長いお話になりそうですが、気の向いた方はお付き合いを。

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