第一話
「ぐわぁ、っつ」
ドサッ、と地面に落下する。物音は一つ。
俺は小さく呻きながら尻を撫でて立ち上がる。痛い。
周りを見渡すがそこは見慣れた通学路ではなく、鬱蒼と木が生い茂り、足元には大量の落ち葉が敷き詰められている。上を見上げると木から伸びた枝葉が太陽の光を遮り薄暗い森。
ブレザーを着ているはずなのに僅かに肌寒く、木の幹にいる虫はやたらと大きい。
とりあえず軽くあたりを見回し晃の姿を探すが見当たらない。
「おーい、晃ぁーどこだぁー!返事しろー!」
大声で読んでみるが反応は無い。声だけが空しく響く。首を傾げつつ、もう一度呼ぼうと口を開きかけたとき
ガサッ……ガサッ
右のほうから何か物音が聞こえた。
晃は足でもくじいてしまっているのだろうか?
俺は物音がした方へ歩き出す。乱雑に生えた草が絡みつき、落ち葉、腐葉土が安定感をなくす。少し手間取りながら歩く。森を歩くのなんていつ以来だろう。
ガサッ
先ほどよりも大きい物音。どうやら晃は近くにいるらしい。
「おーい、晃ぁー大丈夫かぁー!!」
そう呼びかけながら少し開けた場所に出た。しかしそこに晃はいなかった。
「……は?」
そこにいたのは体長3メートルはあるデカイクマと血まみれで倒れている2メートルほどのイノシシがいた。晃の姿はない。
だが今はそんなことどうでもいい。問題は巨大なクマっぽいやつだ。明らかに俺に敵意を向けている。毛の色は燃えるような赤。鋭い爪からは血が滴っており、口からは炎らしきものが漏れ口のまわりについている血を焦がす。
どうやら食事中で俺が邪魔をしてしまったようだ。
「ウソだろ……」
俺の小さなつぶやきはクマは雄叫びを上げることでかき消された。そして口を大きく開け炎を噴出してきた。
「っあぶねぇ!」
俺は反射的に木を盾にして防ぐ。炎は木に当たり音を立てて燃え上がった。すぐ近くで炎の熱を感じるが同時に寒気がした。そして俺は一瞬で悟った。逃げなくては死ぬと。回れ右をして逃げ出した。
それからはひたすら背を向けて走り続けた。足元に注意していないと転びそうになる。転んだら最後、俺は殺されるだろう。鋭い爪で切り裂かれてなのかじっくりと炙り焼かれるのか。しかし足元ばかりを気にすると木に激突してしまう。当たれば転び、追いつかれて死ぬ。
さらにクマはたまに炎を吹き出してくる。下、前、後ろすべてに気を付けながら走る。体中から汗が止まらない。目に入りそうになる汗を乱暴に拭う。カチカチと歯が鳴る。
(なんでだよ?どうして俺がこんな目に遭わなくちゃならないんだよぉぉぉ!!)
涙で視界が滲む。
昔、犬に追いかけられたがそれ以上の恐怖が、理不尽さが俺に襲いかかってきた。
死にたくない。そう思いながら俺はひたすら走った。走りながら理解した。クマは本気ではない。クマにとってこれは食後の運動みたいなものなのだということを。流れる涙は恐怖だけではなくこの状況による理不尽さや悔しさが混ざっていた。
どのくらい走ったのだろう?気が付くと俺は倒れていた。聞こえるのは自分の激しい息遣い。クマは…いない。逃げ切ったようだ。若しくは見逃したのか。俺にはどちらでもよかった。
(どうしてこうなった?) 晃に巻き込まれたからだ。
(俺は死ぬのか?なんで?どうして?俺が一体何をしたんだ?)
頭の中では意味のないことが浮かんでは消えていく。
(ここはどこだ?俺はどうなる?帰れるのか?)
不安になる。なぜ?
(怖い、寂しい、寒い、苦しい)
なぜ?どうして?
誰のせいだ? 晃だ。あいつが、あいつが俺を巻き込んだからだ。…あいつは、今、どこにいる?
怒りが高まる。血走った目であいつを探す。いない。
晃に、俺は…運動では勝てなかった。勉強でも勝てなかった。女の子に恋をしても成就しなかった。
あいつを、コロシタイ
俺を励ました晃の目は、俺を、嘲笑っていた。
俺の中で何かが音を立てて、壊れた。
「うわああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああ!!うわあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……」
誰もいない森の中、慟哭が響いた。