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「良いじゃない」は魔法の言葉

作者: 徒然草
掲載日:2026/08/30


「俺は君を愛するつもりはない。」

  

 マナ・ローズマリー子爵令嬢は婚約期間なしに政略結婚した相手、ウェルズ・オレガノ伯爵令息と初夜を迎えた直後に言われてしまった。驚きのあまり何も言い返せなかったマナの様子を気に掛ける事なく、ウェルズはマナに背を向けた。


「…。」


 マナには想いを寄せる相手なんていない。それに政略結婚である以上、愛されないという理由だけで両親が離縁を赦してくれる筈もなかった。


「…別に、愛されなくたって良いじゃない。」


 マナはそう呟いた。




「俺は忙しい、君がやっておいてくれ。」


 ウェルズはマナにオレガノ伯爵家の公務を押し付けてくるようになった。


「…何がそんなにも忙しいのですか?」


 忙しいから、とだけ言って詳しい理由を教えてくれないウェルズに気になりつつも最初は何も聞かなかったマナだが、これで5回目となる為流石に気になってしまった。


「…君は優秀なんだからすぐに出来るだろう。」


 マナの質問に答えずにその場を離れてしまう。このまま何もしなければ此処で働く使用人や領民達が困ってしまう。


「…押し付けられたって、良いじゃない。」


 マナはそう呟いた。




「メアリーとの間に俺の子供が出来た。」


 ウェルズの不貞が発覚した。ウェルズの隣にはメアリー・スイート男爵令嬢が居る。


「俺はメアリーを愛している。離婚して欲しい。」


「…私達の結婚は政略結婚なのですよ。離婚は可能なのですか?」


 ウェルズの不貞に衝撃を受けながらも、マナが聞いたのは離婚は出来るのかという確認だった。


「多額の慰謝料を払えば問題ない。そもそも、君がどう思おうが離婚させて貰う。」

   

 マナの質問を、離婚したくないマナの悪足掻きと勘違したらしいウェルズはそう言ってきた。


「御免なさいね、マナ様? でも、私の方が愛嬌があって可愛らしいってウェルズ様がそう言うから…。」


 勝ち誇ったような笑みを浮かべてマナを侮辱してくるメアリーに、マナが何とも思わない筈が無かった。


「…そうですか。」


 だが言い返したところで嫉妬していると勘違いされるだけ。無駄だと割り切ったマナは言い返さなかった。目の前の2人は話は済んだとばかりに仲睦まじく話し始めたので、マナは部屋を出た。

 

「…侮辱されたって、良いじゃない。」


 マナはそう呟いた。





「今日中に荷物を纏めて出て行ってくれ。」


 数日後、マナとウェルズの離婚は正式に受理された。ウェルズの両親は渋い顔をしていたが、ウェルズが当主としての責務を果たし、オレガノ伯爵家を存続させられるならば問題ないと受け入れた。


「…今までお世話になりました。」


 マナは荷物を纏め、挨拶をしてそのままオレガノ伯爵家を出て行こうとした。


「ふん、最後まで愛想が無いのだな。」


「…。」


 ウェルズの言葉に反応せずにマナは歩みを進めた。マナを迎えに来たローズマリー子爵家の馬車に乗る。


「愛想が無くたって、良いじゃない。」 


 マナはそう呟いた。


「離婚したって、良いじゃない。」


 もう一言、呟いた。





「ローズマリー令嬢、もう一度やり直してくれ!」


 離婚して1ヶ月も経たない内に、ウェルズがローズマリー子爵家にやって来た。


「メアリーは夫人としての仕事をまともにやろうとしない。俺は中々公務を終える事が出来なくて…このままでは伯爵の地位を剥奪されてしまうかもしれないんだ!」


 少し前の、余裕そうなウェルズからは想像も出来ない慌てようだった。


「お断りします。」


 マナは考えるまでもなく復縁を拒否した。


「っ、な、何故だ!? 君にはまだ再婚相手は居ないではないか?」


 ウェルズの言う通り、マナには新たな縁談の話はまだ無い。


「それが何です? 私はただ、オレガノ伯爵との再婚を望んでいないだけです。」


「…なん、だと?」


 マナは当たり前の事を言ったつもりだが、ウェルズは驚愕したように目を見開いた。


「初夜の後に“君を愛するつもりはない”と言われ、公務を押し付け、不貞をして子供を儲けた。何の相談もなく離婚する事を決め、私に謝罪も感謝もなく、“愛想が無い”と侮辱した相手と縒りを戻したいだなんて思う筈が無いではありませんか。」


「っ…!」


 自分のしてきた事を聞かされて、ようやく自分のやって来た事を自覚したのかウェルズは気不味そうな顔をした。


「…すまなかった。これからは君を愛すると誓う。だから頼む!」


「他の方を当たってください。」


「家の公務に詳しい令嬢は君しかいない!」


 ウェルズは何が何でもマナと再婚したいようだ。大方、公務をサボり過ぎて感覚が鈍っているのだろう。とはいえ真面目に取り組んでいればまた出来るようになるのだろうがメアリーに手を焼いているのだろう。


「頼む、本当に困っているんだ…。」


「…オレガノ伯爵、私の言う事を復唱して下さい。」


 必死にマナに縋ってくるウェルズにマナは言う。


「困ったって、良いじゃない。」

 

「…は?」


 訳が分からないといった様子でウェルズは間抜けな表情となった。


「あぁ、オレガノ伯爵は男性ですものね。それならば、困ったって、良いじゃないか。この方が良いですね。」


「…何を、言っているんだ? 俺は真剣に頼んでいるんだ。このままでは伯爵の地位を失ってしまうと言っただろう?!」


「伯爵の地位を失っても、良いじゃないか。」


 マナの言葉にウェルズは固まる。


「自分で言ってみて下さい。ほら…どうぞ?」


「…っ、嫌がらせのつもりか?!」


 ウェルズはマナを睨みつけてきた。


「私はずっと、自分にそう言い聞かせてきました。」


 理不尽な言葉に、出来事に合ったのに現状を変える力も言葉も無かったマナが、自分自身に言い聞かせる為に無意識に呟いてきた魔法の言葉だ。


「気持ちが軽くなる訳でも、怒りが消える訳でもありません。でも、言葉にする事で何とかなるかもしれない…という僅かな希望を持つ事が出来たのです。」


「〜っ、そ、そんなのただの気休めでしか無いだろう!? 君さえ戻ってくれれば、俺は現状を変える事が出来るんだ!」


「過去と他人は変えられませんよ? 貴方様が私にした仕打ちは消せませんし、私の気持ちも変わりません。」


 それなのにどうやってマナを説得しようと言うのか。ウェルズは表情を歪ませるが、すぐに笑みを浮かべた。


「君は離婚された傷物じゃないか。まともな縁談が舞い込んでくる筈が無いだろう。僕と再婚するのがお互いの為だと思わないか?」


 離婚されたマナよりも不貞行為をした挙句、伯爵としてまともな仕事が出来ずに元妻に縋るウェルズよりは遥かにマシだ。そしてウェルズ自身がまともな相手ではない事を自覚していないのか。言い返せる言葉は沢山あった。


「まともな縁談が来なくても、良いじゃない。」


「…はぁっ?」


「魔法の言葉です。」


 呆けるウェルズにマナは微笑んだ。


「〜っ、そんな強がりを言って意地を張るのはやめろっ!」


「強がりでも、意地を張っても、良いじゃない。」


 マナは魔法の言葉を言い続ける。


「っ、いい加減にしてくれっ!」


「私、不安だったんです。」


 苛立ちを募らせたウェルズを、マナは困ったように微笑んだ。


「両親が決めたとはいえ、どんな人柄なのかも分からない相手と婚約期間もなく結婚する事になってしまいました。その方からは私を愛さないと言われてしまった。結婚生活に不安を感じない訳ありませんよね?」

 

「っ…。」


 ウェルズは黙り込んでしまう。


「何の用事かも教えて貰えず、忙しいからと公務を押し付けられた時も不安でした。そして、離婚する事が決まった時も不安でした。」


 ウェルズの言う通り、離婚したマナは事情が何であれ離婚歴のある傷物扱いとなる。その後自分がどうなっていくのかと考えても分からなかった。


「…でも、今の私は不幸ではありません。」


「?」


 気不味そうに話を聞いていたウェルズは、不思議そうな顔をした。


「不安でしか無かったオレガノ伯爵との結婚生活から抜け出す事が出来ました。両親は政略結婚とはいえ、貴方様が不貞行為をするような方だとは思っていなかった為、離婚された私を責めずに謝罪してくれました。」

 

 マナに謝罪してきた両親の姿を思い出しながらマナは微笑む。


「もし次に縁談が舞い込んで来たら、必ず婚約期間を設けると誓ってくれました。相手がどんな方なのかを見極める時間が与えられたのです。それに今回の件で政略結婚はしなくても良くなりました。」

 

 だからと言って、マナが自由に相手を選んで良い訳ではない。平民相手では認められないだろうし、ローズマリー子爵家にあまり利益がない、と判断される相手ならば却下されるだろう。


「それに関しては、オレガノ伯爵が莫大な慰謝料を支払って下さったお陰ですね。」


「っ!」


 今回の政略結婚はローズマリー子爵家側としては金目的だった。オレガノ伯爵家が何故マナを望んだのか分からないが、もうマナにはどうでも良い事だ。

 

「もし良縁に恵まれなければ、修道院に行っても良いと快く言ってくれました。」


「…修道院だと? ははっ、俺と再婚するよりもマシだと言うつもりなのか?」


「はい。」


 マナが何の迷いもなく素直に頷くと、ウェルズは怒りからか顔を赤らめて表情を歪ませた。


「さっきから好き勝手な事を…っ、“不幸ではありません”だと? これから不幸になる可能性だって充分あるじゃないかっ!」


 ウェルズとの結婚生活は不幸だった、と言わんばかりのマナの言葉にウェルズは憤る。


「はい、その可能性はあります。だから私は幸せだとは言っておりません。不幸ではないと思っているのです。」


 今後の不安が一切消えた訳ではないから幸福だとは言えない。だから不幸ではない、とマナは言ったのだ。


「先々の事を不安に思っていてもどうにもなりません。それにオレガノ伯爵は愛するメアリー・スイート男爵令嬢と結ばれ、望みを叶えたはずなのに幸せではありませんよね? 私だけではなく、誰もが不幸になる可能性は常にあるのです。」


「っ…。」


 痛い所を突かれたであろうウェルズは悔しそうにしながらも、マナの言葉に反論出来ずに口籠る。


「大事なのは今、目の前の出来事にどう向き合うかです。私の場合は現状を打開しようと足掻く事は出来ませんでしたので魔法の言葉を呟き続けました。そのお陰なのかは分かりませんか、今の私は不幸ではないのです。」


「っ、そんな自己暗示が魔法の言葉な訳が無いだろう?!」


「…自己暗示でも、良いじゃない。」


 ウェルズの反論を、マナは魔法の言葉で返す。


「ちゃんと真面目に話を聞いてくれっ! こんな嫌がらせはもう沢山だっ!」


「嫌がらせをされても、良いじゃない。」

  

 ウェルズの訴えを、マナは魔法の言葉で返す。


「…そんなに俺が赦せないのか?」


「赦されなくても、良いじゃない。」


 ウェルズの問いに、マナは魔法の言葉で返す。


「…君は、俺の不幸を望んでいるのか?」


「私に不幸を望まれても、良いじゃない。」


 顔色を悪くしたウェルズに、マナは態とらしい笑みを浮かべた。


「ほら、オレガノ伯爵も騙されたと思って呟いてみて下さいよ。自分で言わなければ効果がないかもしれませんよ?」


「…。」


 ウェルズは項垂れた様子を見せると、そのまま何も言わずに帰って行った。


 ざまぁ、と言えるのか分からない話となってしまいました。今回のヒロインは現状を変える為の力も策も行動力もなく、ただ魔法の言葉を呟くだけでした。でも現実ではこういう人の方が多いのでは無いでしょうか。小説の中では報われて欲しいと思い、ヒロインは救われるような話にしました。理不尽に耐え、真面目に取り組む人達が報われて欲しいです。


 最後まで読んで下さり有難うございました! もし宜しければ評価して頂けると嬉しいです!

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