#発狂令嬢と、素晴らしきこの世界
此処が舞台の上ならば、
僕達は背後の幕に落ちた影そのもの。
手繰り寄せて掴んだ彼女の手は
死人のように冷たかった。
『その申し出、よろこんでお受けする。サースブライト』
***
マリエリ様の悩みは唯一。
意中の相手と結ばれる前に死ぬ運命が見えてしまうこと。もしくは、結ばれても死ぬ未来が待っていること。
何故、なんて神さまも知らないこと。
誰が何の為に、どうして、なんて……ね。
「はぁ……今日もクラーラのお茶会にお邪魔しようかしら」
そうです。嘆息なんてしている暇はありません。
3歳の頃の服が17歳の今着れないように、今だけしかできないことがあり、死んでしまったらできないことは、もっとあるのです。
そして、前向きなのがマリエリ様の一番の取り柄なのでした。
おでかけ着に着替えた彼女の瞳に、押し花の栞が映ります。いつだか、泣き虫令息ベン・ウィンストンから贈られたラベンダーの押し花の栞です。ラベンダーの花穂の厚みで作るのは難しそうなのに、上手くできています。
けれど、よく見てみると、彼が嬉しくて泣いた所為で、紙の端に涙の染みが、ベンの指の形そのままに広がっているのでした。
マリエリ様はクスクスと笑って、栞に鼻を近づけます。過去の香りがほのかに漂って、目を瞑れば、あの日に戻ったよう。
2度目のデッドエンドを体験した、今では過去の日付の日です。
マリエリ様はベン・ウィンストンの告白の直前で逃げ出しました。彼の想いを遮らなければ、崩れ落ちた材木に串刺しされて死ぬ未来が現実に迫っていたのです。彼女はベンを突き飛ばすと、無我夢中になって走り、自分の部屋に引き篭もりました。
思い出してみると、今のマリエリ様の部屋はあの頃と全く変わっていません。ふと、変わり映えしない部屋を模様替えする考えが、マリエリ様の頭に飛び込んできました。
しかしながら、使用人に外出先を伝えてさっさと出掛けるつもりが、玄関口に着くまで誰にも会いませんでした。
「今日はひとりで行こうかしら……?」
クラーラ嬢のお茶会にも参加したいのですが、馬車無しは相当な苦労を伴います。
ちょうど買い出し用に使う馬車が繋がれていたので、馬丁の青年に声をかけて、マリエリ様は荷の上に座りました。
ガタンガタンと振動がいたく骨に響きますが、気持ちのいい風が吹いています。
クラーラ嬢の御家が治める城下の街は賑やかでした。マリエリ様の影を踏むこともお構い無しな距離で混雑しています。
「流石にお茶菓子はあった方がいいかしら……クラーラのお膝元で買ってしまうのは格好がつかないけれどね、まぁ、……あら?」
マリエリ様の視線の先には、路地を曲がるベン・ウィンストンがいました。
普段のマリエリ様であれば追いかけないのですが、今日はラベンダーの押し花の栞の後押しもありました。急いで彼女は駆け出しましたが、そこには知らない令嬢と落ち合う彼の姿がありました。
マリエリ様は黙って、追いかけるのをやめました。
告白から逃げ出した後も仲良くしてくれた彼が、あの泣きべその彼が、どこか遠い国の人のように思えてきたからでした。
きっと、御家の派閥の違う彼が仲良くしてくれたことの方が異常事態で、これが普通で日常に違いないのです。マリエリ様は何故だか、そう思わずにはいられませんでした。
気付いたら、マリエリ様の足は静かな場所を求めて近場の教会に向いていました。
此処は結婚式の会場。
タロン男爵が侯爵令嬢に振られたあの会場です。
結局、花嫁のブーケトスで花束を勝ち取れなかったことが悔しくてたまりませんが、あの略奪の現場と同じ席に座っていると、あれほどの情熱を持った人に愛されてみたいという気持ちになるのでした。
教会で焚かれたお香に混じって、湿った土の香りが風とともに頬に吹き付けました。
開かれた窓の外を見ると、灰色の曇り空でした。
雨が降ったらクラーラ嬢のお茶会はお開きです。
すぐ教会を出れば間に合うでしょうが、珍しく引き留められずに入れた教会堂でマリエリ様は物思いに耽ることをやめられませんでした。
雨音で、もうクラーラ嬢のお茶会には参加できないことを悟ります。
そこに噂をすればなんとやら……か、タロン男爵が通ったような気がしました。
教会堂を繋ぐ回廊まで飛び出すと、やはり彼がいました。
「タロン男爵!」
呼び止められた彼は振り返ります。
驚いたようにこちら側を見て、彼は滅多に見せないような笑顔で返事をしました。
「よく来ましたね、道に迷いませんでしたか?」
「貴族令嬢でも、ひとりで外出はできますよ」
それに一度は男爵の結婚式で訪れているのだから、という言葉がマリエリ様の口から出かけましたが、それは野暮でしょう。彼の素敵な笑顔に免じて引っ込めます。
「まったく、雨の中でも来られるなんてもっと早くおっしゃって下されば、かのクラーラ・レキシントン令嬢をご紹介できたのに」
「……? 何の話ですか?」
じっとりとした汗がマリエリ様の背を伝う感覚がしました。
不安と恐怖が綯い交ぜになり、血の気がすぅーと引いていきます。
「勿論、大好きですよ○○○○○嬢!」
タロン男爵の笑顔は、マリエリの背後から来ていた彼女の為のものでした。
ーー後ろを見てはいけない。
抗えない本能に、マリエリ様はどうにか蹲り、耳を塞いで、ドクンドクンとうるさい心臓の音だけを頼りに耐えました。
何時間も、何日も、何年も経ったような気がしました。
叩きつけるような雨が降り頻る中、マリエリ様は大声で泣きました。
俯いた顔は、徐々に黒い空を睨むように上を向きます。
残酷な運命を呪わざるをいられない人の子の声が、誰の耳にも届かず掻き消えました。
「此処は私が死んだ後の世界だ……」
何気ない出来事のすべてが、今、ひとつの現実を指し示していました。
マリエリの部屋が、ベン・ウィンストンの告白の後と同じ様式だったのは、伯爵夫妻が彼女の死の後もずっと部屋を残していたからで。
邸の使用人に会わなかったのも、マリエリの死に心を痛めた伯爵夫妻が領地に引き上げたからで。
馬車に乗って街に来れたのも、馬丁はマリエリの声が聞こえていなかったから。
ベン・ウィンストンは、彼女の死により、もう泣くことのない立派な令息に成長していて。
タロン男爵は、彼女の死で真に愛する人と出会いました。
彼女が死んで幽霊になってしまった、素晴らしきこの世界は、マリエリのデッドエンドでした。
End.いつも通りの
実体のない幽霊となって彷徨う中で、マリエリ様はどうしてこの世界に来てしまったのか考えました。
ですが、悩んでも仕方がありません。
結果的には、悩みがひとつ減って、ひとつ増えただけですもの。
それに、前向きなことがマリエリ様の一番の取り柄ですから。
「……ということで、私、幽霊になってしまったみたいなの。でも、やっぱり、彼氏は欲しいんだよねー」
椅子に立てかけられた大鏡のなかで、マリエリ様は頬杖をついて、口を尖らせていました。
「嫌っっっっ!!! なんで幽霊がわたくしのお茶会に参加しているのよっ!!!」
「え? でもちゃんと招待状はあるでしょ? ね、クラーラ嬢」
鏡の中で示された便箋には、ハッキリと前主催者のサインがあります。
「なぜ、どうして、幽霊が秘密のお茶会の招待状を持っているのっ…??!」
声にならない絶叫と一緒にクラーラ令嬢は倒れ込みそうになりました。ですが、なんとかロミ令嬢に支えられて、ヨロヨロと自席に着き直します。
「なんでだろうねー」
マリエリ様は嬉しそうにニコニコするのでした。




