8.繋がる世界
「リリアーナ、入っていいか」
シルヴィオの声がする。リリアーナは鏡の中の自分ともう一度見つめ合ってから返事をした。
「どうぞ」
現れた彼は今夜も皆の視線を攫って行く完璧な王太子だった。正装が本当によく似合う。今からこの隣に立つのかと思うとやはり気遅れすることは否めないけれど。
青い瞳はリリアーナの姿を認めると、満足げに輝いた。
「思っていた以上だ」
今日は夜会が始まる少し前に馬車が迎えに来た。ミレーナは初めて目にする王家の紋章の入った馬車にきゃーきゃーと騒ぎ、「いってらっしゃい」と笑顔でひらひらと手を振ってくれた。
そうして辿り着いた先で、王宮の侍女たちに総動員で磨き上げられた。なんとかこれでリリアーナも一人前の姫君である。侯爵家の侍女も優秀だが、やはり王宮のそれとは比べものにならない。
「シルヴィオ様が選んでくださったからです」
身に纏うのならばこれしかない。そう心には決めてはいた。
似合うわけがないと思っていたのに、その実、袖を通してみたらこのドレスはびっくりするほど肌に合った。
「君は色がやわらかいからな。強すぎる色を着たら良さが消えてしまう。こういうものの方が似合うと思ったんだ」
やはり彼の見立ては完璧だった。銀の淡い輝きがまるでリリアーナを守るように取り囲む。
「本当にありがとうございます」
「なんてことはない。人より少し、こういうものを見る回数が多いだけだ」
結い上げた髪が乱れないようにやさしく、シルヴィオが髪を撫でた。
「なら行こうか」
「はい」
彼の肘にそっと手を掛ける。導かれるがままにゆっくりとリリアーナは歩く。足を進める度に緊張で手が震えた。この長い廊下の先にあるものを、どうしたって意識してしまう。
伝わる震えに、彼はきっと気づいているだろう。
「ずっと考えていたんだ」
静かにシルヴィオが言った。その横顔はいつもと変わらぬ涼やかなものだ。
「君の痛みは君だけのもので、過去の君に対して私ができることは何もない。何一つだ」
空いている方の手を彼はぐっと握った。シルヴィオがその向こうに押し隠しているものをリリアーナはもう知っている。
「できることなら、あの夜の君の傍にいたい。君を傷つけた者たちを殴り飛ばしてやりたい」
「殴り飛ばす、ですか?」
なんてらしくない物言いだろう。あまりのおかしさにリリアーナは必死で笑いをこらえた。
「そんなに笑うことはないだろう。私にだって殴りたい時ぐらいはある」
そして「まあ君が望むならその家ごと取潰してもいいが」と取り澄ました顔のままさらりと続けた。
「め、滅相もないです!」
その言葉にリリアーナは硬直する。一分の躊躇もなく、例の男爵だか子爵だかの家を焼き払う彼の姿が脳裏に浮かんでしまってぷるぷると懸命に首を横に振った。
「冗談だ」
こんな顔で冗談を言う人がこの世にいるのか。彼が言うと冗談にはとても聞こえない。
「君がそれを望まないことは知っている。だから私も、そんなことはしない」
そう言って、一つ大きく息を吐いた。
「代わりに、未来の君になら私にもできることはある」
大広間へと続く扉の前に、二人並んで立つ。真摯な青い瞳がリリアーナを見つめる。その目の中に自分だけが映っている。
「リリアーナ。私はこれから先、私のできる全てで、君を守ると誓う」
差し出されたのは、大きな手。
「だからこの手を、取ってくれないか」
その手を見つめながら考える。
「わたしもずっと、考えていました」
引きこもり続ける毎日に、意味はあるのか。独りぼっちの部屋の中で、ずっと考えていた。
けれどリリアーナ一人では、その意味を見つけられなかった。
「やっとわかったんです」
見つけてくれたのは、意味を与えてくれたのは、この人だ。
「ずっと灰色みたいな毎日だったけど、引きこもってなかったらシルヴィオ様と出会えなかったかもしれないって」
あの夜会がなければ、リリアーナはきっと侯爵令嬢として普通に婿を取っていた。そうすれば、王太子妃候補になることはなかった。
いいことも、悪いことも沢山あった。
それはこれからも変わらないだろう。いいことばかりでは、ないはずだ。
「灰も無駄にはならないと聞きましたから」
わたしを燃やし尽くしたもの。落ち葉と枯れ枝のなれの果て。その全てが、今に繋がっているというのなら。
わたしはちゃんとそれを抱いていたい。
あなたが教えてくれた、あの花のように。
そうやって、咲いていたいから。
「その分だけは、きれいに咲けると思います」
シルヴィオの手に、自分の手を重ねる。彼はその手をぎゅっと握ってくれた。
「ああ。君は何より、きれいだ」
その手を頼りに、喧騒の中へとリリアーナは歩き出す。
王太子妃として紹介されたリリアーナを人々は怪訝そうな目で迎えた。何せこちらは“引きこもり令嬢”なので致し方がない。
婚約者として披露するダンスの番となってもそれは変わらなかった。これを塗り替えることが果たして可能なのだろうか。
「大丈夫だ、リリアーナ」
それは疑う余地のない強い言葉。
シルヴィオは、両手をぱんと一つ叩く。
薄い唇が美しく弧を描く。ただしその目は全く笑っていない。
そのまま彼は辺りをくまなく見回した。睨みつけたといった方が正しいのかもしれない。凄絶な笑みに凍らされたように、大広間はしんと静かになる。
「さあ、はじめようか」
こちらに向き直ったシルヴィオは、いつもと変わらぬ凛とした顔をしていた。その眼差しには隠し切れない愛おしさが滲んでいる。
つめたくやさしい、わたしの氷の王子様。
やがて、ゆっくりと音楽が始まる。
この景色を、リリアーナはきっと一生忘れないだろう。
昼間のように煌くシャンデリア。眼前で、銀色の髪がくるりと舞い遊ぶ。目が合うと、輝きを増した青はただ静かに微笑み返してきた。
いつもそうだ。あなたは、わたしの世界を一瞬で染め上げていく。
世界は、あなたの色をしている。
終わってしまえば、それは名残惜しくも感じるほどに。また永遠を冀ってしまった。
「ちゃんと、特別だったか?」
珍しく窺うように、シルヴィオは訊ねてきた。
「は、はい?」
こんな景色を見せておいて、この人は一体何を言うのだろう。
「君が言ったんだろう? 『好きな人と踊るダンスは特別だ』と。これが特別でなければ、私は少し困る」
まるで少年のような顔をしてシルヴィオは目を逸らした。こんな顔を、他の誰も見たことはないだろう。
「はい」
大きく頷いて、目の前の長身を見上げた。
リリアーナしか知らない、シルヴィオの素顔。
「特別、でした」
「そうか。それならよかった」
その腕の中に引き寄せられる。強く抱き締められて心臓が止まるかと思った。自分のうるさい鼓動の向こうに何やら悲鳴のようなものも聞こえる。まあ、己のことでなければリリアーナもそうなっただろうなと思う。
「あの、皆さん、すごく見ていらっしゃいますけど」
「気にしなくていい。そのうち君も慣れる」
どう考えても慣れるようには思えなかったけれど、応えるように広い背に手を回す。額を合わせてリリアーナはシルヴィオと笑った。
たった一人、自分と一生をともにする人の手と手を取り合って。その手に身を預けて飛び出した。
これが、わたしの選んだ世界だ。
灰を銀に変える話。
ということで、完結です。
リリアーナとシルヴィオを最終話まで見守っていただき、本当にありがとうございました!!
いいね・ブクマ・評価・感想頂けますと励みになります。
また次のお話でお会いできれば嬉しいです。




