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【完結】氷の王太子の秘密の温室~引きこもり令嬢が、絶対零度の愛に染まる『ただひとつの花』になるまで~  作者: 藤原ライラ


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3.花と眼鏡と”大丈夫”

「聞きたいことがあれば何でも聞いてくれて構わない」

「はあ」

「不安材料があるのに婚姻というわけにもいかないだろう」


 今日も向かいに座るシルヴィオはそう言うのだが、リリアーナは何を尋ねていいのかわからなかった。

 何か穏便かつ彼を傷つけずに断る理由が欲しい。


 けれど一体何があるというのだろう。相手は完全無欠の氷の王太子である。

 貴族学校の成績はすこぶる優秀で、武芸にも秀でていたという。加えてあの顔だ。女子は皆彼に恋焦がれていたようなものだが、浮ついた噂は一つもなかった。


 朝議では大臣達の申し出に理路整然と返すらしい。欠点らしい欠点なんて探しても見つからない。強いて言えば完璧すぎることぐらいか。


 と思ったところで閃いた。

 趣味が合わないというのはどうだろう。


 国王陛下は若い頃から乗馬が趣味だったらしいが、シルヴィオの趣味については聞いたことがない。それを聞き出して何か決定的に合わないところがあれば、それは正当な理由になるのではないだろうか。

 リリアーナは生粋のインドア派である。シルヴィオの趣味がアウトドアなものなら、断りやすい。


 絶対に、趣味を聞き出して婚姻を断ってみせる。

 いつも逃げ腰のリリアーナにしては珍しく、この時はやる気に満ち溢れてそう思ったのだった。


「あ、あの、殿下のご趣味は?」

「趣味、か」


 一瞬、湖面のような青い瞳が揺らいだ。すっと外された視線がテーブルに落ちる。


「すみません、不躾に」

 よほど何か聞いてはいけないことだったのかもしれない。誰にだって知られたくないことの一つや二つはある。


「いや、何でも聞いていいと言ったのは私だ。分かった。案内しよう」


 答えるが早いか、すらりとした痩躯は歩き出していた。


 どこに案内されるのだろう。何かとんでもない収集癖でもあったらどうしよう。例えばそう、骸骨とか剥製とか。人の趣味にけちをつける気はないが、そういうのを見るのはあまり得意ではない。


 考える間もなく、迷路のような庭園の更に奥まった区画にシルヴィオは入っていく。おそらく王族しか入れないようなところだ。ついていくのが恐ろしくなってきたけれど、元のテラスに一人で戻れるとも思えなかった。すごすごとシルヴィオの三歩後ろを、リリアーナは歩く。


 明るくなったと思ったら、ガラス張りの建物が目の前にあった。


「これが、私の趣味だ」


 太陽が燦燦と差し込む温室の中に所狭しと花が咲いていた。


 シルヴィオはやはりリリアーナから顔を背けて言う。まるで何か恥ずかしい秘密でも口にするみたいに。


「花を育てるのが、趣味なんだ。入ってくれ」

 促されるままに温室に入る。見回せば、広がるのは一面の緑と色とりどりの花。爽やかな緑の匂いの中に芳香が混じる。


 何がいけないというのだろう。

 想像していたより、ずっとずっといい。

 どんなところでも緊張しがちな自分が、はじめて来る場所なのになぜだか落ち着くような気さえする。


「なんてことはない」

 丸い薄桃色の花にシルヴィオの手が触れた。長い指は慈しむようにその花びらをそっとなぞった。


「これは余計なことを聞いてこないし何より話しかけてこない。私がただ、自分の我儘と自己満足のために、集めているだけなんだ」


 伏せられた長い睫毛が頬に影を落とす。


 そこにいるのは、氷の王太子ではなかった。話に聞くシルヴィオは完璧な王子様で、決してこんな迷子の子供のような目をするような人ではなかったのに。


「すてき、だと思います」


 気づけば口をついていた。思っていることを言うのはあまり得意ではない。現に紺色のドレスを掴んだ自分の手はわずかに震えていた。


 それでも、伝えるべきだと思ったから。


「ちゃんと手を掛けているからこそ、こちらの花はみんな咲いていられるのだと思います」


 大切にされているのだろう。どの花も競うように咲いて誇らしげに見えるほどだ。整えられた葉も枝も、全て手間と時間をかけたからだ。


「何かひとつ大切にできる人は、きっと他のものも大切にできる人、です」


 最後の方は、まるで自分に言い聞かせるような言葉だった。ただリリアーナがそうありたいという、それだけだった。


 シルヴィオがこちらに向き直る。斜めのガラス屋根を通った日の光に、銀の髪はまたきらきらと輝いた。


「そうか」

 花びらを撫でた指先が、伸びてくる。思わず目を瞑ってしまったら、そっと肩に手が触れた感触があった。


 恐々目を開けると、その手はリリリアーナの肩に落ちた葉を取ってくれていた。それだけだった。


 ほんの少し、ほんの少しだけ、涼やかな目元がやわらかくなって、


「君は、やさしいな」

 シルヴィオは微笑んだ。手のひらに舞った綿雪が溶けるような、そんな笑みだった。


 それを見て、リリアーナは自覚する。

 ああ、今度こそ断ろうと思っていたのに。

 そんな顔を見たらまた、断りづらくなってしまった。



 ◇



 おかしい。我ながらどうかしている。


 何をしても頭の中がふわふわとしている。足がずっと宙に浮いているかもしれない。何よりシルヴィオの顔が頭から離れない。


 それはもう、彼は立っているだけで絵画のようなのだから致し方ないのかもしれないけれど。自分はそんなに面食い(・・・)だったのかとリリアーナは内心凹んだ。


 そんなことばかり考えていたら、起き抜けに眼鏡を落としてしまった。

 床の上で見るも無残にレンズが粉々になっていた。これでは掛けるどころではない。


「どうしよう……」

 普段のように屋敷に引きこもっているのならまだしも、今日はシルヴィオに会う日なのだ。


「まあ死ぬわけじゃないし」


 先日は見て回り切らなかった温室の花の名前をシルヴィオが教えてくれるという。眼鏡ごとき、王太子との約束を反故にできるほどの事態だとは思えなかった。


 そうだったのだけれど。

「眼鏡はどうした?」

 そう話しかけてくる顔もほとんど判別ができない。緑の背景の中にぼんやりと銀色の光が見える。それだけだ。


「その、朝割ってしまいまして」

「なくても平気なものなのか?」


 なくて平気なら毎日掛けてはいない。せっかくの花もなんだか輪郭の曖昧な赤や黄色の水玉模様のようなものだ。それでもリリアーナは頷いた。


「大丈夫です……」

「本当か?」


 シルヴィオの手が眼前でひらひらと振られる。そして、そのまま彼はリリアーナの顔を覗き込んできた。


「ひっ」


 自分の喉が鳴ったのがわかった。


「見えていないだろう?」

 髪と同じ銀の睫毛に縁取られた青い瞳が、リリアーナを見つめている。


 未だかつてこんなにも至近距離で美形を直視したことがあっただろうか。いや、ない。というかあってはならない。だって息の仕方が分からない。まるで深い海の底にいるみたいだ。


「え、えっと、えっと」


 眼鏡がなくてよかったとこんなに思ったことはない。はっきり見えていたら確実に卒倒してしまうところだった。


 その手が今度は自分の手に伸びてくる。大きな手に包み込まれるように手を握られた。


「君が転んでは大変だ」

 幾分ひやりとした手だった。それでも導かれるように手を繋がれれば安心感がある。本当は見えていなくてずっと不安だったのだと、リリアーナは気が付いた。


「無理をして来させてしまったな。悪かった」

 いつもよりゆっくりとシルヴィオは足を進める。温室の隅に置かれたテーブルのところまで行くと、彼が椅子を引いてくれた。


「いえ……」


 やっぱり眼鏡がなくてよかった。眼鏡を掛けたままだったら、こんな風にシルヴィオと手を繋ぐことはできなかっただろう。


 きれいな花も、美しい彼自身も、淡い光の中に霞むようにしか見えていなかったけれど。

 それでも眼鏡がなくてよかったとリリアーナは思った。


目の悪い方が眼鏡を掛けずに外出するのは危険なのでやめましょう。

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