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【完結】氷の王太子の秘密の温室~引きこもり令嬢が、絶対零度の愛に染まる『ただひとつの花』になるまで~  作者: 藤原ライラ


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2.金と銀の攻防

「お兄様」


 どん、っと音を立ててテーブルに手が突かれる。注がれた紅茶がさざ波のように波打った。


 飛び込んで来たのは目を瞠るような真っ赤なドレス。

 結わえられた金髪が揺れて、太陽の粉でも振りまいたように煌いた。


「お前こそどういうつもりだ、ロジータ。客人の前だぞ」


 よく似た色の瞳が対峙する。

 名前は知っていた。王宮の赤い薔薇、ロジータ王女。シルヴィオの歳の離れた妹だ。


「婚約者に逃げられたからって、すぐに他の女を呼びつけるだなんてどうかしてるわ。お兄様は家格が釣り合う相手なら誰でもいいの?」


「婚姻は重要な務めの一つだ。お前だってそれぐらい分かっているだろう」


 シルヴィオの射るような目に、相手の彼女も全く怯まなかった。眼前で繰り広げられる金と銀の攻防を、リリアーナはただ茫然と見つめることしかできなかった。


「一生をともにする相手をそんな風にしか選べないのなら、お兄様は最低よ!!」


 けれど、ロジータの目が今度はリリアーナを捉える。


「あなたはそれでいいの?」

 シルヴィオが氷に喩えられるならば、対する彼女は炎のようだ。


「空きが出たからって、ちょっと身分が高くて顔がいいだけの男の妻の座に収まって。あなただって本当に好きな人ぐらいいるでしょう?」


 鮮明にして熾烈。誰かを惹きつけてやまない、そんな眩しさ。

 この激しさは、きっと相手の中に彼女自身を焼き付けて残すだろう。リリアーナとは、違う。


「わたしは、」

 訊ねられた問いに返事ができなかった。けれど吸い込まれそうな青い瞳から目を逸らせない。


「姫様。ご令嬢がお困りですよ」

 華奢な肩に大きな手が置かれる。ロジータがそんざいに手を振り払っても、長身のその男は苦笑するだけだった。


「ジェラルド。さっさとその跳ねっ返りを連れて行け」

「まだ話は終わっていないわ」

「いい加減にしなさい。お前は、王宮から追い出されたいのか?」

「姫様」


「分かりました。でしたらわたくしはもう、お兄様とは今後一切お話はいたしません!!」


 言うが早いか、ぷいっと顔を背けて向き直る。薔薇の花びらのような赤いドレスの裾がふわりと翻ったかと思うと、ロジータはずんずんと歩き出していた。


「……悪いが、追いかけてやってくれ、ジェラルド」

 そう言うシルヴィオの顔がほんの少し曇った。


「ええ。勿論そのつもりです」

 一礼した彼はロジータを追いかける。背が高い分だけ彼はすぐロジータに追い付いて、また困ったように笑っていた。


「妹の躾がなっておらずすまない」

「あ、いえ……」


 確かに面食らいはしたけれど、悪い気はしなかった。彼女はきっと、リリアーナのことを思ってああ言ってくれたのだろう。その率直さと純粋さはむしろ好ましいほどだった。


「幼馴染だったらしい」

 最初はそれが何のことなのかわからなかった。


「小さい頃から傍にいたんだが、他の者と結婚するとなってかけがえのない存在だと気づいたと」

 ああ、これはきっと、駆け落ちしたという王太子妃候補のことだ。


「私から婚約を破棄してもよかったんだが、それはそれでややこしくなる。できる限りの伝手は教えたつもりなんだが、それでも苦労は尽きないだろうな」

 この人は全てを知っていたのだ。その上で、二人を送り出した。


「次に誰が妃候補になるかまで考えが及んでいなかったんだ。妹の言うことにも一理ある。君には君の事情があるだろう。婚姻についてはよく考えてくれ」


「あの、そのことをロジータ殿下は」

あれ(・・)は思っていることがすぐ顔に出るし口からも出る性格でな。悪いが君も黙っていてくれると助かる」

 あの剣幕だと確かにそうだろう。リリアーナは頷いた。


「君の意に反して無理強いをするようなことはしない。断っても家に害が及ぶようなことはない。約束する」


 断るためだけに来たつもりだった。それは今も変わっていないけれど。


「わたし、ちゃんと、人を好きになったことが、なくて」

 どうしてこんなことを言い始めてしまったのだろう。こんなこと、高貴なお方に聞かせる話ではないことだけはわかるのに。


「ですから、それについてお気遣いは不要です……」

「そうか」

 シルヴィオはただ静かにそう返してきた。


「私もだ」

「へっ」


 同意をされるとは思ってもみなかった。シルヴィオならいつも山ほどの好意を向けられてきただろうに。なんでも手に入れられる人が、誰のことも好きになったことがないだなんて。


「一体どんな気分なんだろうな」


 表情自体に大きく変化があるわけではない。けれど、小さくなってしまったロジータとその騎士の後ろ姿を見つめる青い目は普通の兄のようだった。さらにその向こうに何かを重ねているようにも。

 彫像のごとく思えた横顔に、ほんの僅かな寂寞が宿る。


 恋とも呼べないような淡い思いを抱いたことがないわけではない。けれど、全てを投げ打ってしまえるほどの激情を理解はできなかった。そして自分に応えてくれる人がいるとも。


 たった一人、自分と一生をともにする人の手と手を取り合って。その手に身を預けて飛び出していく。

 リリアーナには想像もつかない世界だ。それは一体、どんな色をしているのだろう。


「すっかり冷めてしまったな。淹れなおそう」


 カップに手を伸ばしたシルヴィオが淡々と侍女に命じる。

 結局そのままぽつぽつと世間話をしながらあたたかい茶を飲んで。

 リリアーナは婚姻を断ることができずに帰路についたのだった。






「ねえ、リリィ姉様。どうだった? 間近で見る“氷の王太子”殿下は!!」

 屋敷に帰りついてから、開口一番、妹のミレーナが尋ねてきたのはそれだった。


「どうって……それはそれはお美しかったわよ」

 まともに顔が見られないぐらいには本物の美形だった。


「どうして断っちゃうかなー。わたしのお義兄(にい)様がシルヴィオ殿下になるところだったのになー」

「それがね……」


 リリアーナはロジータの乱入について話をした。先代の王太子妃候補については心にしまっておくことにした。


 ミレーナは「さすがロジータ殿下ね。赤い薔薇はひと味違うって感じ」と頷く。


「でもそうなるとリリィ姉様も断りづらいわね」

「あら、どうして?」

 次に会う時は絶対に断ろうと決めていたのに。


「だって、断ったらお姉様もシルヴィオ殿下のことを『ちょっと身分が高くて顔がいいだけの男』って思ってるみたいにならない?」


「それは……そうかもしれないわね」

 ただただ引きこもりなので断るだけなのだが、そう思われてしまうのはよくない。シルヴィオはちゃんと立派に政務に取り組む王太子だ。

 顔がいいことは、まあそうだとは思うけれど。


 どうしてリリアーナが引きこもりなのかを話せば、聡明な彼はきっと理解してくれるだろう。けれど、それを話すのは気が引けた。同情されるのもあまりにも自分が惨めで嫌だった。


「面倒なことになったわ……」

「ね、やっぱり王太子妃になっちゃわない?」

「あなた、人のことだと思って」


 どこの世界も妹とはこういうものなのかもしれないなと、あの眩いばかりの金髪を思い出しながらリリアーナはくすりと笑った。


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