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Poppy  作者: ろっか©︎
2/3

蝶が吐いた綺麗な嘘

俺は駄目な教師だ。

何も出来ない。上司には褒められたことなんてないし、厳しい叱責を浴びせられるだけだ。

春の終わり目のある日。道を歩いていると綺麗な蝶が鴉に食われた。

食物連鎖。仕方ないことだ。蝶が俺で、鴉は上司なのか。

無駄に働く想像力。俺は首を振って学校に行った。

糸がぷつりと切れた。

俺は、あの子を幸せにしないと。

俺は退職届を上司に出して、全てを失った。



「雨宮ってさ、なんでそんなに理科好きなの?」

中学生の時に、隣の席の友達に言われたことがある。

俺はその時、少しだけ考えてからこう言った。

「んー、まぁ。小さい頃からさ、身の回りの現象に興味があったんだよ。なんで雨が降るのか、とか」

嘘じゃなかった。

理科に興味を持ったきっかけはこれしか無かった。

にしては少し浅く感じるが、10年ほどたった今、俺は理科教師になっていた。

でも、意外と違った。

ジグソーパズルが、合ってそうなのに噛み合わない感覚に近いのかもしれない。

生徒からは「説明がわかりやすい」と言われる俺だが、同僚からはミスの冷やかし、上司からは叱責。

晴天の下を舞う蝶を眺めながら、俺は自分はこのまま理科教師でいいのかと考えてしまった。

辞めた理由はこれだけではない。

回収した生徒のノートを持って歩いていると、ノートは他のノートの上をするりと滑って、俺は廊下にノートをぶちまけてしまった。

俺は冷や汗が背筋に伝うのを感じて、すぐにノートを拾い上げた。

「はぁ…」

溜息をついた時、横から細い手が伸びてきた。

その手は、少しだけ切り傷のような跡があり、俺がバッと顔をあげると、生徒だった。

担当した事の無い生徒。

「よいしょ。先生、これ」

その生徒は校則を破って、胸まである黒髪を下ろしていた。

顔はよく見えなかったけど、礼を言った後にちらりとネームプレートが見えた。

『文月夏帆』

上靴は黄色のラインが入っていて、すぐに2年生だとわかった。

窓から吹き込む風が熱い。

俺は少しだけ頬が緩んだ。

こんなに幸せになったのは久しぶりだ。

俺はさっきよりも慎重に、でも軽い足取りでノートをクラスに持っていった。

クラスに戻ると、クラスのムードメーカーの男子に言われた。

「センセー、今日めっちゃ笑顔じゃね?なんかいいことあったの?」

「敬語な?まあ、いい生徒に出会ったかな」

俺が控え目に言うと、クラスはさっきよりも少し騒がしくなった。

今思えば、教師人生で1番幸せだったかもしれない。



日を重ねて行く事に俺は文月夏帆の魅力にのめり込んだ。

担当することは無かったが、わざわざ俺の教室に来て、理科の質問をしてくれることがあった。

勉強熱心な文月夏帆は、まるで太陽のように俺の人生を明るく照らしてくれた。

質問に答える度に、まるでお菓子を貰った子供のように笑い、こう言ってくれるのだ。

「先生、すごく教えるの上手ですね」

そう言ってノートを受け取る文月夏帆。

いつも顔や腕に傷がついていて、聞こうとするが、彼女は質問を終えるとすぐに教室を出ていってしまい、話しかけるタイミングなんてない。

そして、日に日に彼女の顔が暗くなっていき、腕に絆創膏が貼られていることが多くなった。

(まさか、家庭に何か問題が?)

そんなことが頭によぎった。

自分は小さい頃に事故で親を無くし、施設で育ってきたけど、虐待されて来た子供は、ほとんどが腕に絆創膏が貼られていたり、マスクで傷を隠している子もいた。

嫌な予感に手が震え、夏帆に渡した解説用のメモ用紙の端に「何かあったら相談してね」と綴った。

ボールペンの先をしまい、デスクの椅子に腰掛けて、ふぅと息をつく。

彼女が虐待されててもおかしくはないという事実に、俺はどうすればいいかと悩んだ。

でも、テスト期間が迫っている。

範囲表と共に、テスト用紙を作らなければならない。

震える指でパソコンのキーボードを打った。

外からは部活のホイッスルや、公園で遊ぶ小学生の声がする。

理科室に教科書を取りに行き、ついでに窓を覗き込むと、ちょうど公園が見えた。

公園には、ベンチで黄昏ている人もいて、その姿を見て俺は驚き、手を滑らせて教科書を落とした。

鳥の羽のように教科書が広がる。

「夏帆さん……?」

文月夏帆だった。

空を眺め、足をぶらぶらと揺らしている彼女。

彼女が暑そうに上着を脱いだ。

俺は嫌な予感が確信に変わった瞬間、窓枠にかかる指を離した。

腕にあった、絆創膏で隠しきれないほどの切れ傷。

俺は教科書のことも忘れて、彼女の担任に話しかけに行った。

階段を降りる時も、背筋を伝う汗が心地悪くて、身体の震えは止まらなかった。

「あの!鏑木(かぶらぎ)先生!」

彼女の担任の鏑木拓也(かぶらぎたくや)は、俺よりも大分年上で、少しだけ肥満的な体型をしている。生徒からはよく「カブちゃん」と呼ばれるほどフレンドリーな教員だった。

鏑木は呆れたように笑って俺の方を向いた。

「なんじゃほいな?そんなに慌てて」

俺は少しだけ息を切らしながら鏑木に近づいた。

「あの……鏑木先生のクラスの文月さんなんですけど、最近様子はどうです?」

俺の言葉に鏑木はうーんと首を傾げる。

机の上には国語の教科書と淹れたてのコーヒーがあって、湯気が立ち上っていた。

「元気無いんだよなー、あの子。いつもギリギリまで教室に残るんだよね。俺が帰るように言わない限りはずっと教室で本読んでるよ」

鏑木は不思議そうに俺の目を見た。

「どうして文月のこと?担当してないよね」

俺は額の汗を裾で拭いながら、引きつった顔で笑った。

「あはは……ちょっとだけ関わったことがあって、気になって…ありがとうございました」

俺が去ろうとすると、鏑木はなにか気づいたように、俺に耳打ちした。

「あんま、親と仲良くないらしいよ。文月。なんせタブレットの検索履歴が家出の方法とか場所とか。俺も注意して様子みるけどさ」

俺は重い足取りで廊下を出た。

エアコンのない廊下は、むわっとした熱気で溢れていて、身体に熱気がまとわりつく。

やはり、そうだった。

文月夏帆は、家庭環境に悩んでいる。

まだ、公園で耐えているのだろうか。

あの公園のベンチは、日当たりスポットと言っても過言では無い。

彼女が熱中症になって倒れてもおかしくないと思った俺は、残業は家ですることに決めて、家に帰ると職員たちに伝え、公園に向かった。

夕方の公園。虫たちの鳴き声と、カラスの声。そして、帰ってゆく小学生たちの走っていく音。

夕日が照らすのはベンチと、そのうえで俯いている彼女。

くっきりとシルエットが映し出されている彼女に、俺は声をかけた。

彼女のリュックにはクマのストラップがついていて、風と共に揺れている。

「文月さん。もうすぐ下校時間ですよ。帰らないんですか」

彼女はゆっくりと俺の方を向いた。

その目は焦点が上手く結ばれてなくて、首元には汗が滴っている。

俺は自販機でミネラルウォーターを買い、彼女に手渡した。

受け取る手は、少しだけ震えていた。

「せんせ……。なんでいるんですか」

彼女は力の無い声で言う。

「なんとなく来ただけ、だよ。家、帰りたくないの?」

「……」

彼女は俺の言葉に顔を曇らせて、黙り込んでしまった。

空気が重くなり、何故か俺は必死に弁明した。

「あ、違くて、その!責めてるわけじゃないんだ。今まで、なんとなく、気づいてて…俺も、新人教師だけど、なにかできることないかとか」

「無理ですよ。先生に何が出来るんですか?私の親を止めれるんですか?殺してでも止めてくれるんですか?出来ないですよね?私はそれくらい親が憎いんですよ」

俺の話を遮り、彼女はペットボトルを少し強く握った。 キャップの開いていたペットボトルから水が零れる。

俺は彼女の言葉に黙ってしまった。

正論だったからだ。

彼女は親を殺したいくらい憎い。でも教師にはそんなこと出来ない。

人に道徳を教える人間に、そんなことは出来ないのだ。

「俺は、なんとかして君を守りたいんだ。だから、ふたりで考えようよ」

俺は彼女に訴えた。

彼女を救いたい。だって、彼女が好きだから。

文月夏帆が好きだから。

人として、1人の女性として、文月夏帆が好きだからだ。

「もういいですよ先生。先生には私の親を殺す覚悟が無いんだから。みんな私と一緒で意気地無しなんですよ。あはは…はは」

そう言って乾いた笑い声を上げた彼女は、ペットボトルを砂場に投げ捨てて公園を去った。

砂と水が合わさって、白っぽい色が黒く染まっていく。

俺はその場にへたり込んだ。

このままじゃ駄目だ。

教員のままじゃ、夏帆を救えない。

なら、全てを失った浮浪者になれば?

人を殺しても、少しは同情の気持ちを貰えるかもしれない。

俺は立ち上がって、家に向かって歩いていった。

家に帰っても、PCには全く触れなかった。



俺は何もかもを失った。

妻も、仕事も、家も、食べ物も。

ある日、俺はあの公園で座っていると、誰かが座った。

俺の横のベンチで。

胸まである黒髪。少し大人びた身体。

リュックに付いているのは、クマのストラップ。

文月夏帆のつけていたもの。

腕には、見覚えのある傷。増えているような気もするし、減っているような気もする。

グレーのパーカー姿に、細い手足が覗いている。

俯いている彼女の顔にかかった髪の隙間。そこから見えたのは黒い瞳。光を失い、闇を煮詰めたような漆黒の瞳。まつ毛が長くて、蝶の羽のようだ。

俺は夏帆を横目で見てから、ベンチの背もたれに体をあずけた。

その動きに夏帆がこちらを見る。

でも、俺だとは気付かずに、すぐに立ち上がって行ってしまった。

夏帆が鈴の音のような声でハミングするのが聞こえ、俺は彼女の後を追いかけた。

強い日差しが俺と彼女を照らす。

歩く度に汗がだらだらと流れ落ちて、俺は息を荒くした。

30分ほど歩いた後、彼女のアパートに着いた。

彼女は部屋に入って、鍵をかける音が小さく聞こえた。

俺は周辺を歩き、彼女の家に彼女の両親が来ないかと淡い期待を抱いていた。

ずっと用意していた。泣け無しの金で買った包丁とブルーシート。彼女の両親を殺し、海に沈める為に買ったものだ。

彼女は俺をヒーローだと思ってくれるだろうか。

それか、俺は残虐な人殺しになってしまうのだろうか。

彼女が幸せになるなら、俺はどんな手でも使う。

それで彼女が不幸になったら、俺は死を持って償うつもりだ。

俺は彼女が好きだから。

文月夏帆が好きだから。

2時間ほど歩いたころ、彼女のアパートの前に1台の車が止まった。

俺はそれを見て、全身の血が煮え滾るように熱くなった。

彼女の両親だ。参観日で見た時と同じ服装をしている。両親は気味の悪い人間そのものの笑い声を上げていて、俺には不快に聞こえた。

俺はゆっくりと彼らについて行った。

手元のトートバッグの中に手を突っ込む。

包丁の柄を掴み、何時でも出せるように強く握った。

彼女の両親は彼女の部屋に入り、乱暴にドアを開けた。

一瞬、彼女が絶望するような表情を浮かべたのを、見逃さなかった。

俺は階段をゆっくり登り、鍵のかかっていない部屋に入った。

彼女の母親がすぐに俺を見つめる。

俺はそれに包丁を突き立てた。

視界の端に驚いてる彼女の姿が見える。

しかし、彼女はすぐに声を上げて狂気的に笑った。

頸動脈に傷を負ったそれは、血が吹き出す音を立てながら倒れた。

俺はそのままもう1人にも手をかけた。

もう1人もすぐに動かなくなり、2人仲良く地獄に落ちた。

そして、俺も床に崩れた。



目を覚ました時には、彼女がカマキリのように俺の顔を覗き込んでいた。

俺は彼女と現実味の無い会話を交わし、しばらく一緒に暮らすようになった。

彼女との生活はとても楽しかった。

ボートを買い、死体を海に沈めた時。

(幸せだ)

彼女の皿を洗って、500円玉を貰った時。

(幸せだ)

彼女の作る料理はとても美味しくて、一口一口をゆっくり噛み締めた。

(幸せ)

ある日、彼女が氷にいちごのシロップをかけて、俺にくれた。

氷が暑さに耐えきれなくなって溶けて、綺麗に光を反射していた。

屈折した光が俺の顔を歪んで映し出す。

「状態変化……綺麗だ」

俺がそういった時、彼女は不思議そうにしてから、髪を頬に押し付けて笑ってくれた。

俺も一緒になって笑った。

(すごく…)

(幸せ)

そして、コンビニでバイトできるようになって、前よりも暮らしが豊かになった。

少しだけ多くご飯を食べれるようになり、ふたりでランチに行ってみることもあった。

彼女がその時着ていた黒と白の水玉模様のワンピースは、オオゴマダラの羽のように、スカートが綺麗に揺れていたのは一生忘れないだろう。

彼女の太陽のような笑顔や、長くパタパタと動く蝶のようなまつ毛。全てが俺を優しく幸せと一緒に包み込んでくれた。

ある日、俺は氷を3つ皿に乗せ、彼女に話しかけた。

「どれが1番美味しそう?」

彼女は液体が多い氷を選んだ。

俺は氷を人差し指と親指で掴み、口に放り込んだ。そして───、文月夏帆の口に氷を直接移した。

俺の唾液が混じった氷は、彼女の口の中でゆっくりと溶けた。



何回か行為を重ねて、しっかり思いを伝えようと考えてたある日。

夏帆が真面目な顔で声をかけてきた。

「あの……雨宮さんって…下の名前、なんですか?」

窓から太陽の光が差し込む。

雲の隙間を通った光は、柔らかく発光していた。

俺は少し悩んだ後、彼女の瞳を見つめながら答えた。

(ふみ)。俺、雨宮文」

優しく照らされた彼女は、目を見開いた。

「せん、せい……?先生なんですか?貴方は、先生なの…?」

俺は、少しだけはにかんで、涙と共に溶けて零れそうな瞳で彼女を見つめた。

「そうだよ。君が通ってた学校の先生。仕事を失っても、君を幸せにするって決めてた」

「先生…先生なの…」

「好きだったんだ。君のことが。俺に、君を幸せにする権利を与えて欲しい」

彼女は大粒の涙を零しながら、桃色の唇を震わせて、ゆっくり頷いてくれた。

「ふふ…ぜひ、よろしくお願いします」

「ありがとう。文月夏帆」



























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