殺人犯に奪われたモノ
その夜は、星屑と、血飛沫が不揃いに散っていた。
包丁を持つ男と、涙を浮かべながら男を見つめる私。そして、まだ生きてるのか、赤い血を流しながらビクンと身体を震わせる、私の両親。
包丁を握る彼の顔は、とても整っていて、異国のドールのように肌や髪、スタイルの全てが完璧だった。
夏休み真っ只中の夕方。
通信制高校に通う私は、課題のテキストとにらめっこしていた。
窓から射し込む太陽光が眩しい。黄昏時の空は綺麗な橙色と灰色が水彩画のように混じっている。
汗が首元を滴り、鎖骨にできた汗疹がなんとも言えない不快感にムズムズする。
机にだらりと突っ伏すと、机と共に溶けてしまいそうだった。
私はふぅとため息を付き、網戸にへばりつく色々な虫にスプレーを吹きかけて、テキストを閉じた。
虫たちは無駄な動きを交えながら悶え、ポロポロと落ちていった。その様子がなんともいえないが、とても愉快で、私は部屋の扇風機を回し、網戸を閉めた。
着ていた白いTシャツが汗を吸って、身体にへばりつく。
親から離れて自立した私が、住んでいる小さなボロボロのアパートの一室は、とても静かだった。
ふと目に入ったのは、スマホの通知。
『そろそろ行きます』
親からだった。
(最悪。また長話かよ)
私の親は通信制高校に独特の偏見を持っていて、時々LINEや電話、直接来てまで馬鹿にしてくる。
通信制高校自体、過小評価されてる部分があるが、結局は入学してからの生徒の行動が大事だと思う。
私はソファにぼすっと腰掛け、ネットで動画を見ていた。
ピンポーン。
来た。
私は乗らない気持ちでドアを開ける。
「来たよ、どう?サボり専門学校でダメ人間に育ってるのかなー?」
母親がきつい香水の香りを放ちながら、クスクスと気味悪く笑う。
父親は母親の腕に自分の腕を絡めて、依存するかのように頷いた。
「夏帆。待ってたよな?お母さんもこう言ってるぞー?本当にこの進路で良かったのか」
私は暑さと親の言葉でイラつき、持っていたテキストを突きつけた。
「ちゃんと課題もあるし、行事だって充実してる。なんで口出しばっかりするの。うるさいんだよ。じゃあ帰っ……」
「何その態度!?」
私が少し強い言葉をぶつけると、母親が金切り声で叫んだ。そして突きつけられたテキストを私に投げつける。
バサッ!チリッ。
頬に鋭い痛みが走る。
紙で切れたらしく、指で触れてみると、赤い線が指に引かれた。
私は土足のまま入ってきた親を見つめた。
両親は鬼の形相で私にバックやそばにあった花瓶を投げつける。
(まただ)
別に少し痛いだけだから、何とも思わなかった。
それよりも、大事にしていた花瓶が割れたことが1番悲しかった。
私は両親のことを無視して割れた花瓶の欠片を拾う。
「無視するの!?最低ね。あなたに別の道を教えてあげるって言うのに!ちゃんと罰も与えてあげてるのに!!」
母が私の髪をグッと掴み、思い切り引っ張った。
「いたっ……」
「分からないの?だから、そんなサボるような学校に行って、私たちのことを毒親だとか言ってひとり立ちするなんて許さない!この善意を理解できないような馬鹿なのね!?」
私は必死な母と、首振り人形のように頷く父がとても気持ち悪くて、でも逆らったら駄目だと解ってた。
頭部に走る痛み。ぷつぷつと音を立て始める髪。
「一旦離してよ……!」
母は意外にもすぐに髪から手を離した。
私は床にへたり込んだ。冷たいフローリングがぬるくなっていく。
時計を見たらもう19時で、段々と空が暗くなっていた。一番星が小さな輝きを放っている。
「私は通信制高校で色々なことを学んでる。お願いだからもう帰ってよ……」
父は母の様子を伺い、母が私の言葉に顔を顰めると、それに頷いた。
父は母に依存的だ。全て母の言う通りに動く。いつも家事を任されていて、私は幼い時に「家事はお父さんがやるから、私は大人になったら何もしないでダラダラしてていいんだな」と勘違いしていた。
母はバックから公立高校のパンフレットを取り出して、私に見せつけた。
「ここの高校なんて、偏差値がすごく高いのよ?東大に進学する子もいるみたい!転入したらいいじゃない!」
私は傷だらけの腕をなぞりながら、両親を見つめた。
何も言えなかった。言う気になれなかった。
話が通じないから。
もう──。
その時、ドアが開いた。
ちらりと姿を覗かせたのは、男だった。
私よりは年上だけど、20代くらいに見える男。
肌は陶器のようにすべすべで、白い。髪もツヤツヤ。目も大きくて、長いまつ毛が綺麗だった。
まるで異国のドールのような男は、手に包丁を握っていた。
両親が先程とは違った様子で、声を震わせた。
「どなたですか……?あの…それは、なんですか?」
両親の目には鋭く尖った包丁の刃が映っている。
私は恐怖よりも、男の姿に心を奪われていた。
男は苦しそうな顔を浮かべながら、母の首元に包丁を向ける。
「ひっ!」
母は涙をボロボロと零しながら、私に助けを求めるように目を開く。
父は母を見て、何をすればいいかを戸惑っている。
私はその光景が面白くて、声を上げて笑った。
自分でも狂気的だとわかっていたけど、笑いは止まらなかった。涙までも出てきた。
男は両親を刺し殺した。
部屋が赤い液体で染まる。
男は、少しだけ私を見つめると、急に包丁を落として、そのまま足を失ったように床に倒れた。
私は迷わず男に駆け寄ろうとしたけど、両親が邪魔で、重い両親を引きずってキッチンに持っていった。
男を見ると、服がボロボロで、身体もスタイルが良いではなく、痩せすぎていた。
額に触れると、少し熱い。
軽い熱中症と栄養不足だろうと見た私は、男を自分のベッドに寝かせ、おにぎりと味噌汁を作った。
足元にあった両親の遺体は、ただの邪魔な物体にしか見えなかった。
料理が終わり、ベッドを見ると、男が薄く目を開けていた。
私はベッドのそばに座って、男に声をかけた。
「気分はどうですか?」
男は掠れた声で返事をしてくれた。
「大丈夫……です。あの、殺したのに、俺のこと怖くないんです、か?」
確かに、目の前で親が殺されてるのに私は嬉しく思ってしまっていた。
「怖くないですよ。寧ろ感謝してます。私、文月夏帆と言います。お名前お伺ってもよろしいですか?」
男は不思議そうに私を見ていたが、名前を教えてくれた。
「雨宮です。あなたは、親を憎んでいるんですか?」
私は窓の外を見つめながら、ゆっくりと頷いた。
「えぇ。親の虐待で鬱になって、通信制高校に通ったんですけど、それまでも文句つけられて…本当に、殺してくれて感謝してます」
雨宮はへえと頷いて、少し冷めた味噌汁をすすった。
雨宮の目が少しだけ潤んだ。
「こんな美味しいご飯……久しぶりに食べたよ」
私はなぜ両親を殺したのかを尋ねた。
雨宮は引きつった笑みを浮かべながら話してくれた。
「実はね、俺、もうすぐ30なんだけど、会社をクビになったんだ。妻にも捨てられて、親は幼い頃に事故死していて、誰も頼れなくて…家も追い出されたから、食べるものと金を求めて人殺ししようとしたんだ。でも、君は殺人犯を見て幸せそうに笑った。だから殺さなかったんだ。いや、殺せなかったんだ」
窓から蝉の声が聞こえる。
私は雨宮におにぎりを渡して、雨宮の瞳を見つめた。
「しばらく泊まっていったらいいと思います。私、バイトはしているのでお金は少し稼げます。貯金もあるので大丈夫です。親の金もありったけ持っていきましょう」
雨宮は私を見て少し驚いたが、やわらかい笑顔を浮かべてくれた。
私はそれがとても嬉しくて、有頂天だった。
でも、問題がある。
両親の財布や部屋からは金を取れたけど、どうやって死体を隠すかが問題だった。
雨宮がさらっと言った。
「海に沈めましょう。小さいボートなら借りれるので、明日の夜に」
両親の死体は部屋の隅に押しやられていて、少しだけ腐敗して、匂いが少し気になっている頃だった。
私は雨宮に礼を言って、次の日に備えるため、ブルーシートを買った。
夜とはいえ、死体が見えている状態でボートに乗るのも、ボートに血がつくのも避けたい。
ブルーシートで死体を囲んで、クーラーボックスを周りに置けば、周りに見えても違和感は無いだろう。
次の日の夜。
私と雨宮は黄色いボートと死体、空のクーラーボックスを持って海辺を歩いていた。
雨宮の髪は少し伸びていて、私が切って整えると、キレイなウルフカットになり、さらに美人になっていた。
静かな海辺に波の音と蝉の声だけが聞こえる。
私はボートを浮かべ、ブルーシートで包んだ死体とクーラーボックスをボートに置いた。
雨宮がボートに乗り、私は舵を切った。
海辺が少し小さく見えたので、私はボートを止めた。
周りには誰もいなくて、雨宮はブルーシートから死体を取り出し、ポチャンと海に沈めた。
足が腐った桃のようにぐじゅぐじゅになったそれは、ゆっくりと暗い夜の海に沈んで行った。
雨宮は汚れたブルーシートを怪訝そうに見たが、海水でそれを洗って私に声をかけた。
「帰ろう。もうこれで不安なことは無い。もし、俺の犯罪がバレたら、どうせ人生いいことないし、その時点で自殺するよ。あの死体みたいに、海に沈もうかな」
雨宮は明るくそう言ったが、私は雨宮の方を向いて、雨宮の胸に額をつけた。
「そんなこと言わないで下さい。あなたは私の恩人なんだから、あなたの罪は、私も一緒に背負って生きていきます」
雨宮は少しだけ迷っていたが、3秒ほど経った頃、私の頭を撫でてくれた。
細くて骨ばった指が頭に触れた。
海が静かに声を上げる。
私は、その殺人犯に恋をした。
顔が、熟れた林檎のように赤くなる。
「ありがとう、夏帆。今、人生で1番幸せだったよ」
私は顔を上げて、ボートの舵を切った。
帰り道では、私と雨宮の距離はさっきよりも少しだけ近かった気がした。
家に帰ると、雨宮は私が作っておいた生姜焼きを幸せそうに頬張ってくれた。
私はシャワーを浴びながら考えた。
(この恋は、成立するのかな)
私は高校1年生。雨宮は29歳。そして、雨宮には元々永遠の愛を誓っていた人もいるのに。
雨宮は私のことをどう見てくれているのだろうか。
自分の肌をなぞって、産毛を剃る。
雨宮と結ばれたい。行為だってしてみたい。いつか。いつでも。どれだけかかっても。
私はシャワーから上がると、身体に乳液を塗りたくり、顔にはパックと化粧水、美容液までしっかりと塗る。
雨宮は、自分で皿を洗ってくれてて、私は雨宮に笑顔を見せて、500円玉をあげた。
「子供みたいにされてるじゃん俺。まぁ、ありがとう」
雨宮は少しはにかんで、私はその姿がたまらなく可愛く見えた。
雨宮がシャワーに入っている間は、雨宮のパジャマの用意と、バイト先へなるべくシフトを入れてもらうように連絡した。
帰宅部の私は、バイトを3つかけ持ちしていて、カラオケとコンビニ、そしてゲームセンターで働いていたが、メンタルがそれなりに鍛えられてる私には辛くなかった。
それに、働く理由が増えたのもある。
雨宮は着々と就職の準備をしている。それまでは私が生活費を払うと言った。
雨宮は申し訳なさそうに頭を下げていたけども、私は構わなかった。
その日からはひとつのベッドにふたりで寝た。
一応、少し大きなクッキー1枚分くらいの幅を開けて寝た。
夏休みがもう少しで終わる頃、私はあまり余裕のない生活の中、大好きだったアイスを食べたくなり、かき氷シロップを氷にかけて食べていた。
雨宮が珍しそうに見ていたので、私は皿に氷を3つだけ入れて、いちごのシロップをかけて、雨宮に渡した。
雨宮は、冷たさに目を一瞬閉じたけど、甘いものを食べれて嬉しそうだった。
「アイス、好きなんだ。少しでも、それっぽいの食べたくて」
私は少し照れながら雨宮にそう言った。
雨宮は可笑しそうに笑ってくれた。
私の空腹と幸福が同時に満たされて、私はふにゃりと顔を崩した。
雨宮は今、コンビニでバイトをしている。
私と同じコンビニで。
必死に働く雨宮も愛おしく、少しでも雨宮と近づくために、私もクレーム対応や、レジ打ちなどを頑張った。
雨宮がコンビニでバイトをしてくれると、私のやる気も上がると同時に、お金が多く貯まったり、2人の絆が深まる感覚がした。
ある日、またそのアイスもどきを食べていると、雨宮が目を輝かせて言った。
「状態変化……固体から液体に…綺麗だ」
私はフッと笑って言った。
「理科、好きなんですか?」
雨宮はビクリと肩を震わせ、何事も無かったかのように首を振った。
「なんにも!ちょっと得意だっただけだよ」
でも、確かにアイスもどきは綺麗だった。
窓から射し込む太陽の光に照らされた氷と、水とシロップが混ざったモノ。
キラキラと光が反射していて、まるで燃えるピンクトルマリンように美しい。
でも、やはり雨宮が1番輝いていて美しい。
きちんと健康的な身体になり、ご飯も美味しそうに頬張り、ベッドではいつも無防備に寝息を立てる。
私は、その人が殺人犯なのも、全てが美しく見えた。
まるで洗脳されたように、神を崇め奉る人々のように、雨宮の虜になっていた。
そのうち、寝る時のベッドの上にあった、1枚の大きなクッキーは、誰かが日に日に少しずつ食べてしまったのか、いつの間にか無くなり、私と雨宮の距離も狭くなった。
高校三年生の夏、ちょうど雨宮と出会った日に、私は雨宮に部屋に呼び出された。
雨宮の手元には氷がある。何もかかっていない氷。
雨宮は意味深に氷ひとつひとつを指さして、私に話しかけた。
「どれが1番美味しいかな」
私は意味がわからず、真ん中にあった、1番溶けかかっている氷を選んだ。特に意味なんてなかった。
でも雨宮は、そうかと頷いて、その氷を自分の口に入れて──────。
雨宮の舌と、その上にあった氷が、私の口の中に入る。
生ぬるい舌は、氷で冷えて、柔らかくて冷たいものが口内に入っているのが心地よかった。
何よりも、雨宮がこんなに私のことを想ってくれていたことが、1番幸せだった。
しばらくした後、雨宮は言った。
「君は氷が好きだって言ってたよね。今日のシロップは、甘くて苦いキスの味。深ーいでしょ」
その日、私たちのベッドにあった1枚の大きなクッキーは、天使に食べられてしまったのか、無くなっていて、私たちは身体を寄せて眠った。
次の日の夜には、私たちは服を脱ぎ、行為をした。
思ってた感覚とは違ったが、雨宮と私の関係が、そういう感じになったのがすごく嬉しくて、私は雨宮をうっとりと見つめた。
すぐに2回目の行為を要求された時、その砂糖水のような誘惑に、私の脳は正直で、ふたりで身体を重ねた。




