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第一話 「窓の向こう」

仕事帰りの電車を降りると、住宅街の夜はいつもより静かだった。

風の音も、人の気配もない。

街灯だけが、濁った光をぼんやりと落としている。


マンションの前に着いたとき、ふと背中に視線を感じた。

誰かに見られている気がしたが、振り向いても誰もいない。

気のせいだ、と自分に言い聞かせてエレベーターに乗った。


部屋に入って、靴を脱いだ瞬間。


“コン”


と、窓を叩く音がした。


ガラスが鳴るのは不自然だ。


風かと思ってカーテンを開けると――


そこに、誰かが立っていた。


正確には、“立っているように見えた”。


窓の向こうのベランダに、黒い人影がうっすら浮かんでいた。

だが顔は見えず、輪郭だけが夜に滲んでいる。


一瞬、心臓が止まりそうになったが、次の瞬間には影は消えていた。


疲れているんだ、と言い聞かせてシャワーを浴び、部屋の明かりを消して布団に入った。


目を閉じる直前、また“コン”とガラスが鳴った。


今度は無視した。

だが、寝返りを打った瞬間、視界の端に“誰か”が立っていた。


窓の前。


さっきよりはっきりとした輪郭。

こちらを向いて、動かない。


体が凍りついた。

ガラス越しでも、視線を感じた。

呼吸を止めても、その影は動かない。


怖すぎて、目を閉じてやり過ごそうとした。

が、閉じた瞬間、耳元で低く囁かれたような気がした。


――見てるよ。


飛び起きて電気をつけたが、部屋には誰もいない。


窓も鍵がかかっている。

カーテンをそっと開けると、何もいなかった。

ただ、ガラスには小さな“指の跡”が残っていた。


誰かが外から触った痕跡。

もちろん、ベランダには人が入り込めるはずもない。


震える手で拭いながら、

これは夢だ、幻覚だ、と思い続けた。


次の夜も、また“コン”とガラスが鳴った。


三日目の夜も。


四日目の夜も。


5日目の夜も…


窓を開けて確認しても何もいない。

ただ、毎晩決まって“誰かが叩く音”がする。


一週間後、とうとう音が鳴らなくなった。


安心した。


はずだった。


その日の帰宅後、リビングの電気をつけた瞬間、

心臓がひっくり返った。


窓の内側に、指の跡がついていた。


外ではなく、内側。



“叩いていたのは外からじゃなかった”。


そこに気づいた瞬間、背後で“コン”と音がした。


振り向けなかった。

背中に刺さるような視線を感じながら、

足が勝手に震えた。


耳元で、また囁きが落ちてくる。


――やっと、気づいたね。


震える声で、なんとか問いかけた。


「お前は……何なんだよ……?」


沈黙のあと、返事はただ一言。


――ずっと、君の中にいたよ。


振り返ったとき、部屋には誰もいなかった。


ただ、自分の影が、床で小さく揺れていた。


まるで、笑っているように。


その夜、マンションの住人が通報したという。

廊下に響く独り言。

そして、誰もいない部屋で窓を叩く音。


しかし俺は覚えていない。


気がついたら、朝になっていた。


洗面所で顔を洗い、ふと鏡を見ると、

自分の背後に“影のような自分”が立っていた。


それは俺の動きに合わせて動かなかった。


“影”ではなかった。


何かが、俺を見ていた。


今日もまた夜が来る。


窓ガラスには、内側からの指跡が、少しずつ増えている。


暗い世界は、今宵も何かを魅せていた。

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