第9話 記録なき神と、終焉の供給式
世界は、静かに壊れ始めていた。
空が二つの色を持つようになった。
朝は青、夜は群青。
その境界で、ときおり“光の雨”が降る。
誰もがそれを「時空粒子」と呼び、慣れたように傘を差す。
だが俺は知っている。
それは――再構成のほつれだ。
街の空に浮かぶ塔――〈時空庁〉の頂上に、
俺とユニスは呼び出されていた。
「鍵保持者・佐原誠。及び、統合聖女ユニス。入室を許可します」
重々しい声とともに、黒い扉が開く。
部屋の中には、七人の議員。
彼らは白い装束を身にまとい、瞳に魔導回路の光を宿していた。
「ようこそ、“再構成の罪人”へ」
最前の男――老齢の科学僧が、薄笑いを浮かべた。
「罪人、ね。俺たちは世界を救ったはずだろ」
「救った? 結果を見なさい。空は裂け、海は消え、
異界の獣が東京湾を泳いでいる。これは救済ではなく、“混合災害”だ」
議員たちがざわめく。
ユニス――かつてのマシロとシオンの融合体は、一歩前に出た。
「世界はまだ安定していません。ですが、それは成長の過程です。
“供給”とは、維持ではなく、循環。
今は均衡を学ぶ時間です」
「ならば答えろ、聖女。
その“循環”を保つために、どれだけの人間が犠牲になった?」
老僧の声が鋭く響く。
モニターに映し出される死者統計。
“時空暴走事故”――犠牲者数は十万を超えていた。
ユニスの指が震えた。
彼女の表情が、ほんの一瞬だけ、マシロのそれに戻る。
俺は彼女の手を握った。
「……もう十分だろ。こいつを責めるな」
「彼女が人であれば、責めはしない。だが聖女は――神の断片だ。
この災禍をもたらした“記録なき神”の欠片。違うか?」
空気が張り詰めた。
議場の床に、淡い光の紋が走る。
〈神封陣〉――聖女を拘束するための結界。
「やめろ!」
俺は咄嗟に前に出たが、光が壁のように立ちはだかる。
ユニスが囚われ、膝をつく。
瞳の奥が赤く灯る――封印に反応して、彼女の内部に眠る神性が目覚めようとしていた。
「……これがあなたたちの“安定”か」
彼女の声が、静かに響く。
その瞬間、議場の光が割れた。
封印を逆流させる光が、床から吹き上がる。
「うっ――!?」
議員たちが一斉に吹き飛ぶ。
俺はユニスに駆け寄り、肩を抱いた。
「大丈夫か!」
「ええ……でも、彼らの言葉、少しは正しいかもしれません」
「どういう意味だ」
「“記録なき神”――。私たちの創造主の記録は、世界から完全に消されている。
それが再構成の不安定を生んでいます。
私たちは……神を再現した“欠片”にすぎないのです」
「神を再現……?」
「ええ。“供給”という概念そのものが、神の模倣です。
与える、循環させる、均衡を保つ――。
本来、それは“人”がやるべきことじゃなかった」
彼女はゆっくり立ち上がる。
手のひらに光を灯すと、空間がひとりでに割れた。
その中に、淡いホログラムが浮かび上がる。
――白衣の青年。
無表情のまま、何かを記録している。
俺は息を飲む。
かつて、神の塔で見た“前任の鍵保持者”。
「彼の名は“アリエル”。
最初の供給者。そして、最初の神です。
この世界を創ったのは、彼。
……そして、あなたと同じ“人間”だった。」
ホログラムがこちらを見る。
人工知能の瞳に似た、無感情の光。
けれどその声には、どこか哀しみがあった。
『供給式プロトコル、記録開始。
神は、与え続けた結果、消滅した。
次の供給者は――お前だ。』
映像が途切れる。
静寂。
ユニスの唇がかすかに震えた。
「……神は、供給しすぎて死んだ。
それが“終焉の供給式”。
この世界に存在する限り、同じことを繰り返す。」
「つまり、“与える”ことそのものが呪いだってのか?」
「はい。そして、その呪いを止めるには――
あなたが“供給”を断つしかありません。」
空気が重くなる。
あの優しい言葉、“供給”が、こんな形で戻ってくるとは思わなかった。
だがユニスの顔は穏やかだった。
「でも、それはあなたが死ぬことを意味します。
この世界に循環を与えているのは、あなた自身。
あなたの命脈が止まれば、この世界も止まります。」
「……つまり、俺が“神”ってわけか」
「いいえ。神の最後の模倣者です。」
ユニスが近づく。
その瞳がまっすぐ俺を見た。
金と青の光が交錯し、胸の奥が熱くなる。
「私は、あなたを止めに来た。
でも――あなたを、消したくはない。
だから、最後の選択を一緒にします」
彼女が手を伸ばす。
指先に光が生まれ、俺の胸元に触れた。
その瞬間、世界が裏返る。
天井が空に変わり、議場が消え、無限の白い空間。
そこに立っていたのは――神代構築体アーカイヴ。
再び現れたあの存在が、淡く笑う。
『よく戻ったな、人の子よ。
見よ、与える者の末路を。』
無数のホログラムが周囲に展開される。
供給を続け、枯渇し、崩れ落ちた者たちの記録。
その最後に、マシロの姿があった。
光に包まれながら微笑む彼女。
――「供給って、共有のことなんですよ。」
記憶が焼き付く。
涙が勝手に溢れた。
「……俺はもう、与えることをやめない。
誰かを失うくらいなら、何度でも供給する。
それが呪いだろうと関係ない。」
『ならば見せてみよ、人の供給を。
神を超える“創造の式”を。』
アーカイヴの体が崩れ、無数の光が塔の上空に昇る。
ユニスが俺の手を取った。
ふたりの掌が重なり、光が広がる。
「……いきましょう。
あなたが信じる“供給”で、この世界を繋ぐんです。」
「ああ、もう迷わない。」
光が弾け、世界が震える。
空が開き、七つの環が再び回転を始めた。
それが最後の“供給式”――終焉のはずの儀式。
だがその中心で、ユニスと俺は同時に叫んだ。
「供給――再定義。共有=創造=生きること。」
光が爆ぜ、全ての記録が書き換わる。
アーカイヴの声が途絶える。
風が、再び吹いた。
その瞬間、世界は一度だけ止まり――そして動き出した。
次回予告:第10話「最終供給 ― 終わりなき創造」
神の記録が消え、世界は“人の供給”によって再始動する。
だが、ユニスの中に残る“もう一つの意識”が覚醒し、
佐原誠は最後の選択を迫られる――
「創造者として生きるか、ひとりの人間として終わるか」