第8話 統合世界と、記憶の空白
目を開けたとき、俺は真っ白な天井を見ていた。
淡い陽射し。冷たい空調の風。
機械の音。心拍を刻む電子音。
――病院だ。
頭の奥がじんじんする。
誰かの声が遠くで聞こえた。
けれど、言葉が霞んでいる。
目を動かすと、窓の外に異様な風景があった。
高層ビルの間を、浮遊する石の島。
街路樹の根元に、金属と蔦が絡み合った“塔”。
空には二つの太陽が並んでいた。
――地球でも、異界でもない。
俺は身を起こす。
腕には医療端末のセンサー。
足下の床に、魔法陣めいた文様が淡く光っていた。
「……融合した、のか」
あのとき、確かに願った。
二つの世界を、ひとつに――。
そして今、その願いが現実になっていた。
ドアが開く。
白衣の女性が入ってきた。
耳には通信端末。腰には杖。
――科学と魔術の融合体だ。
「お目覚めですか、佐原誠さん。
ここは“中央都市アークライン”医療区です」
「アークライン?」
「統合政府の首都です。三年前の“再構成現象”以後、ここが新しい中心になりました」
再構成現象――。
あの“神の塔”の出来事が、歴史の中ではそう呼ばれているのか。
だが“神の塔”という言葉を口にする者はいないらしい。
彼女の説明を聞く限り、誰も覚えていない。
「……マシロ、シオン。あの二人は?」
「誰ですか?」
女性は首を傾げた。
まるで、その名前自体がこの世界に存在しないかのように。
胸が冷たくなった。
やはり――俺だけが記憶を持っている。
***
退院を許されたあと、俺は街を歩いた。
アークライン。
摩天楼の隙間を、石造りの橋が繋ぐ。
空を飛ぶ自動車と、空鯨の群れが同じ空を泳ぐ。
人々は、魔導杖をスマートフォンのように使いこなし、
看板には“時空エネルギー供給庁”の文字が踊っていた。
この世界では、「魔力供給」も「科学」も同義語になっている。
けれど、俺の知る“供給”とは違う。
あのぬくもり――マシロの手の温度が、どこにもない。
夕方。
街の広場に立つと、巨大なモニターが空に映っていた。
そこに現れたのは、一人の少女。
白金の髪。制服。青と金の瞳。
――息が止まった。
「え……」
『本日、時空庁よりお知らせです。
新任供給官・聖女シオンが、次元安定化儀式を開始します。』
スクリーンの中の少女は、微笑んでいた。
けれど、俺の知る“彼女”とは違う。
声に、記憶がない。目に、俺を知らない光。
それでも、その仕草ひとつひとつが、
マシロの面影を確かに宿していた。
「……生きてる。いや、再構成されたのか?」
風が頬を撫でる。
遠くの塔から鐘の音が響いた。
その瞬間、ポケットの中の鍵が震えた。
金属が、かすかに光る。
握ると、熱が伝わる。
胸の奥に、声が響いた。
『誠さん――また、会いましょう。』
マシロの声。
確かに、俺の中に残っていた。
消えたはずの彼女の“残響”が、まだ息づいている。
そのとき、街の空が赤く染まった。
風が止まり、時計の針が止まる。
通行人が一斉に静止した。
世界が、また“ひび割れる”。
空の中央に、黒い裂け目。
そこから、聞き慣れた電子音が響いた。
【再構成コード、異常検知。
鍵保持者、未登録反応:佐原誠。】
「……またかよ」
背後で誰かが歩み寄る。
ヒールの音。
振り返ると、そこに立っていたのは――シオン。
いや、ニュースの中の“彼女”とは違う。
少し大人びた姿。記録よりも、近い。
「久しぶりですね、佐原さん」
「シオン……なのか?」
「はい。でも同時に――マシロでもあります。」
瞳が光る。
青と金が重なり、白金の輝き。
胸の奥が一瞬で熱くなる。
「あなたの中に残っていた“残響”が、私を形づくりました。
今の私は、“統合聖女”。
あなたが願った“二つの世界の融合”の証です。」
彼女の背後で、空の裂け目がさらに広がる。
その向こうには、赤く燃える塔の影。
――まだ終わっていない。
「再構成が……不安定化してるのか?」
「はい。あなたが“両方を救おう”としたからです。
世界は、片方の滅びを求めています。」
「冗談じゃない。やっと繋がったのに、また壊す気かよ」
シオン=マシロが、悲しそうに笑う。
「なら、また一緒に修理しましょう。
あなたの“供給”があれば、きっと――」
彼女が言い終える前に、地面が割れた。
塔の破片が浮かび上がる。
光が爆ぜ、空が裏返る。
その中心に、またあの神代構築体の声が響く。
『人の子よ、再構成の連鎖は終わらぬ。
鍵を捨てぬ限り、世界は救われない。』
風が逆流し、俺たちは吹き飛ばされる。
空の中で、シオンが手を伸ばす。
俺はその手を掴み、叫んだ。
「もう“捨てる”なんて言葉は信じない!
今度こそ、誰も消さない――!」
胸の奥の鍵が光り、世界が再び揺らぐ。
青と金の光が重なり、裂け目を覆うように広がっていく。
風の中で、彼女が微笑んだ。
「やっぱり、あなたは……“供給者”じゃなくて、“創造者”ですね。」
光が爆ぜ、時が止まる。
世界の色が塗り替わる寸前、俺は確かに聞いた。
『――誠さん、今度こそ、“新しい世界”を作りましょう。』
そして、再びすべてが光に飲まれた。
次回予告:第9話「記録なき神と、終焉の供給式」
統合世界の安定を求める新政府と、
「再構成の鍵」を持つ佐原の衝突。
マシロ=シオンの存在が次第に“世界のバグ”として扱われ、
供給の真実が、最後の戦いを呼び起こす――。