第4話 神の塔と、七つの代償
光が収まると、そこは静寂の底だった。
足下に広がるのは、透きとおる白い床。
見上げれば、天井はなく、ただ終わりのない光柱が空へと伸びている。
「……ここが、“神の塔”か」
「はい。主層の中心。“因果を記す場所”とも呼ばれています」
真白の声は、まるで鐘の音みたいに響いた。
塔の内部は静かすぎて、呼吸すら反響する。
風がないのに、髪が揺れる。空気そのものが、生きているようだった。
「この塔は、“七つの代償”によって動きます」
「代償?」
「はい。神々がこの世界を創ったとき、均衡を保つために七つの法則を刻みました。
それを“代償”と呼びます。ひとつを動かすたびに、何かが必ず失われる」
真白の言葉とともに、塔の中心に七つの光球が浮かび上がった。
それぞれが異なる色――紅、蒼、翠、黄、白、黒、そして金。
金の光だけが、まだ眠っているように暗い。
「戦争を終わらせるには、これらすべてを“再起動”させる必要があります。
でも……代償は、重いんです」
俺はその光を見つめながら、問うた。
「何が失われる?」
「命、記憶、時間、感情、言葉、願い、そして――存在。」
最後の一言が、塔の奥に吸い込まれていった。
あまりにも静かで、恐ろしいほど美しい響きだった。
「今まで、その代償を払った者は?」
「――すべて、“聖女”です」
真白の瞳が、淡く揺れる。
俺はその震えに気づいた。
「お前も……?」
「はい。私も、いずれは。」
そう言った彼女の声は、穏やかで、それが逆に怖かった。
まるで、それを当然の義務のように受け入れている。
「ふざけるなよ」
思わず声が荒くなる。
塔に反響し、光がわずかに揺れた。
「代償だの聖女だの知らないが、俺はお前の魔力タンクじゃない。
死ぬためのバッテリーでもない!」
真白が驚いたように目を見開き、それから微笑んだ。
どこか、悲しい笑顔だった。
「――そう言うと思ってました。
でも、私たち“聖女”は、生まれた時から代償の存在なんです。
世界の均衡を保つために、“消える”ために造られた」
「造られた……?」
「はい。この体も、記憶も、名前も、“聖域”によって設計されたものです。
私は、“三代目聖女・マシロ”。
前任者の記憶を受け継ぎ、鍵保持者を導く使命を持つ」
その言葉に、息が止まった。
――“前任者”。つまり、あの映像にいた初代の聖女も。
すべては、世界が再起動するたびに造られ、使い捨てられてきた存在。
「そんな世界、正しいのかよ」
「分かりません。でも、それがこの世界の仕組みです」
塔の奥から、低い唸り声のような音がした。
七つの光のうち、赤と青が震えている。
「……始まります」
「何が」
「再起動の儀式です。
でも、代償を払う前に――あなたに見せたいものがあります」
真白が光球のひとつに触れる。
その瞬間、塔の床が透き通り、地上の光景が映し出された。
廃墟の街。炎。泣き叫ぶ子ども。
そのすぐ横で、鎧の兵士たちが叫んでいる。
――「“魔族”が来たぞ!」
――「聖女が消えた! もう世界は終わりだ!」
「見てください。あれが、私たちが守ろうとしている世界です」
「……あれが異界の現実なのか」
「はい。あの炎の中心に、“戦の核”があります。
それを壊すには、この塔の力が必要です」
「つまり、再起動させて、世界を巻き戻す……?」
「そう。でも、代償が必要。
そしてその代償を負えるのは、私――“聖女”だけなんです」
真白が手を差し出す。
その掌に、微かに亀裂が走っていた。
皮膚の下を光が流れている。魔力の限界だ。
「おい、無理するな」
「平気です。供給がある限り、私はまだ動けます」
そう言って微笑む顔が、儚すぎて胸が痛くなる。
――俺は何をしてるんだ。
ただ“供給”して、彼女を長持ちさせてるだけじゃないか。
その先にあるのは、消耗と死。
鍵を握りしめる。
冷たさが、怒りの熱に変わる。
「なあ真白。代償を払うのはお前じゃない。俺にやらせろ。」
「ダメです! あなたは“鍵”です。消えたら、世界そのものが崩壊します!」
「じゃあ、一緒に払えばいいだろ」
「一緒に、なんて……そんな方法は――」
言いかけた彼女の言葉を、塔の振動が遮った。
光球がひとつ、砕け散る。
塔の外――雲の裂け目から、黒い霧が流れ込んできた。
「戦の核から“穢れ”が漏れています……! もう時間がない!」
真白が詠唱を始める。
床に光の紋章が展開され、風が逆流する。
空間が震え、世界が軋む。
俺は彼女の肩を掴み、叫んだ。
「真白ッ、もうやめろ! それ以上やったら――!」
「平気です。あなたの供給がある限り、私はまだ――」
言葉の途中で、光が弾けた。
真白の体が崩れる。
まるで砂が零れるように。
足先から、光の粒が風に溶けていく。
「やめろッッ!!」
俺は彼女を抱きしめる。
胸の中で、彼女が微かに笑った。
「――ありがとう、佐原さん。
でも、大丈夫。私が消えても、あなたの中に残ります。
“供給”って、本当はね――“共有”のことなんです」
「共有……?」
「ええ。あなたの時間と、私の記憶が、一つになる。
次の聖女が目覚めたとき、私たちは――一緒に、そこにいます」
指先が震える。
俺は必死にその手を掴む。
でも、光は止まらない。
「嫌だ、やめろ。お前を造った誰かのルールなんかに従うなよ」
「ルールは破るためにある――そう言ってたの、あなたですよ」
彼女が微笑む。
その瞬間、金色の光球が輝いた。
塔全体が共鳴し、七つの代償が目を覚ます。
紅は命を、蒼は記憶を、翠は時間を、黄は言葉を、白は願いを、黒は感情を。
そして――金が、存在を奪う。
眩しい光の中で、俺は最後まで彼女を抱きしめていた。
光が世界を塗り替え、音が遠ざかる。
その最後の瞬間、真白が囁いた。
「ねえ、佐原さん。
また――会えますよ。今度は、地球の方で。」
――その声とともに、すべてが白に溶けた。
***
目を開けたとき、俺は見慣れた天井を見ていた。
蛍光灯の光。電子レンジの時計。
何もかもが元通り。
ただ、胸の奥が、空洞みたいに熱い。
ポケットの中には、まだあの鍵があった。
けれど、その表面に刻まれた文様は、少し違っていた。
そこには――ひとつの名前。
「マシロ」。
呼ぶと、風が鳴った気がした。
誰かが笑ったような、あの優しい声で。
俺は小さく息を吐き、鍵を握りしめる。
世界は今日も、静かに回っている。
でも確かに、俺の中で、彼女が生きていた。
次回予告:第5話「再起動の朝、聖女の残響」
地球に戻った佐原の周囲で異変が始まる。
聖女の声、そして“次なる綻び”――。
供給は終わっていなかった。