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第2話 鍵と聖女と、供給のルール

 光の奔流が収まったあと、世界は、静かになりすぎていた。

 耳鳴りの残響が遠のくと、そこは――俺の部屋だった。

 冷凍チャーハンの香り。電子レンジの余熱。玄関マットの上に、俺と真白。


「……戻ってきた?」

「はい。ですが、完全ではありません」


 真白は天井を見上げた。

 空気が波打つ。部屋の隅――本棚の影に、薄いひび割れが残っていた。

 あの異世界へ繋がる“綻び”だ。

 今は小さな亀裂だが、油断すれば、また開く。


「どうなってるんだ、あれ」

「境界が定着しつつある。向こうの戦の魔力が、地球の物理層に干渉しています」

「……つまり、うちの部屋が“世界の継ぎ目”になってるってことか」

「はい。おめでとうございます、佐原さん。あなたの部屋は今、地球唯一の転移拠点です」


 喜べるか。


 真白は手を組み、深く息を吐いた。

 光がその掌に灯る。

 まるで教会のろうそくのように、ゆらりと暖かい金色。


「まず、供給のルールを決めましょう。魔力の流れ方を制御しないと、あなたの体が壊れます」

「壊れるって、軽く言うな……」


 彼女は頷き、指先で床に魔法陣を描いた。

 白線が走る。まるでチョークの粉のように、光で描かれた幾何学模様。


「――ここが基点です。あなたと私、ふたりの魔力の流れを同期させる。

 呼吸を合わせて、五秒吸って、五秒吐く。呼吸で制御します」

「……ヨガみたいだな」

「似てます。違うのは、失敗したら部屋ごと吹き飛ぶことくらいです」

「危険すぎるヨガだな!」


 彼女は微笑んだ。

 それがあまりに自然で、ほんの数秒前まで“戦場にいた人間”だとは思えなかった。


「はい、いきますね。――吸って」


 呼吸を合わせる。

 彼女の掌から光がゆっくりと伸び、俺の胸元に流れ込む。

 熱い。けれど心臓が痛いわけじゃない。

 ただ、何かが“つながる”感覚。

 脳の奥が柔らかく温かい。

 耳の奥で、微かな鐘の音がした。


「吐いて――」


 空気が光に変わり、床の陣がゆらめく。

 真白の髪がふわりと揺れて、香りが混ざった。

 シャンプーの匂いと、聖域の風のような匂い。

 目を開けると、彼女が笑っていた。


「これで、供給回路は安定しました。これから先、戦が再燃しても、あなたの身体を媒介に魔力が通ります」

「……勝手に世界の電源タップにされた気分だな」


 真白はふっと笑い、少し真顔に戻る。


「でも、それで世界が救えるなら、悪くないと思いませんか?」

 その瞳の奥に、ほんのわずかの寂しさが見えた。

 俺は黙って、頷くことしかできなかった。


 ***


 夜更け。

 真白はリビングの隅、毛布にくるまって眠っている。

 聖女なのに、普通の女子高生みたいに寝息を立てる。

 その寝顔を見ながら、俺はPCの前に座って、呟いた。


「“鍵”って、俺のことなのか……?」


 あの裂け目の向こうで、誰かが言った。

 “鍵を持っているのは、そいつだ”――。


 指先に残る焼けるような感覚。

 供給のたびに、何かが俺の中に蓄積している。

 それが魔力なのか、もっと別のものなのかは分からない。


 画面の時計が、深夜一時を回る。

 その瞬間、真白の寝ている方向から、カチリと音がした。


 床のひび――いや、境界の亀裂が、また少し広がっていた。

 そこから、白い手が一本、すうっと伸びる。


「……真白!!」


 俺が立ち上がるより早く、彼女が目を開けた。

 聖印を掲げ、光を放つ。


「佐原さん、離れて――これは“境界の残留者”です!」


 光が炸裂。

 白い手が焼け、引き戻される。だが完全には消えない。

 その手のひらには、金属の鍵が握られていた。

 境界が閉じる瞬間、それだけが俺の足元に転がり落ちた。


 拾い上げると、氷のように冷たい。

 表面に刻まれた文字は、読めない。

 けれど、どこかで聞いたような響き――**“誠”**の字に似た文様。


「それは……やはり、あなたが“鍵”なんですね」


 真白が呟く。

 彼女の瞳は、どこか決意を帯びていた。


「――その鍵があれば、**時空の主層メインレイヤー**を開ける。

 つまり、“神域”に到達できる」

「神域? それって、世界の中心みたいな……?」

「はい。そしてそこには、“戦争を終わらせる方法”がある」


 言葉の重みが、静かに部屋を満たす。

 電子レンジの時計だけが、淡い光を放っていた。


「でも、危険すぎます。だから……次に綻びが開いたら、私が行きます。

 あなたは、ここにいてください」

「ふざけるな。鍵を持ってるのは俺だろ? 俺も行く」

「ダメです。あなたが傷ついたら、供給が――」


 言いかけた真白の声を、俺の言葉が遮った。


「一人で背負うな。

 お前が異世界を救いたいなら、俺はその隣で――“供給”するだけだ」


 真白はしばらく黙って、そして小さく笑った。

 その笑顔は、泣きそうなくらい強かった。


「……はい。じゃあ次は、一緒に行きましょう」

 その瞬間、床の境界が、青い光を放つ。

 亀裂が再び形を取り始める。


「来ます――第二綻びです!」

「行くぞ。準備は?」

「もちろんです、“供給おじさん”。」


 真白が指を鳴らす。

 光の花が咲き、世界が再び裂けた。


 次に見えたのは、空に浮かぶ巨大な都市。

 逆さまの塔、群青の雲海。

 そこに掲げられた紋章――それは、俺の持つ鍵と同じ模様をしていた。


次回:第3話「空中都市アルテリウムと、鍵の紋章」

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