第2話 現れる厄災
「……夢だったらよかったのに、そうは問屋が卸さないか……」
神社の事を思い出すとつい思考が古い時代にタイムスリップしそうになってしまう。だが、起きている事は現実だ。
次の日の朝、結衣は自宅のベッドで起き上がって右手を見つめていた。まだ薄暗い朝の光に照らされ、赤黒い紋様が脈動するように微かに光っている。
「こんなの学校のみんなに見せられないよ。消えて消えて」
手を振って願うと消えるが「現れて」と念じるとまた現れてしまう。
「言う事聞いてくれるのは助かるんだけど……とりあえず消しておこう」
マジシャンになった気分で模様をさっと手品のようにかっこつけて手で撫でて消しておく。
「葵に見せたら喜びそうだけど……あの神社で会ったあの子は何者だったんだろう……」
名前を呼ぶと出てきそうなので頭を振って現れるその想像を振り払っておく。
昨晩の出来事が頭の中で渦巻いている。神楽と名乗った謎の少女の存在、手に刻まれた呪印とかいう妙な紋様、そして「力を授けた」という言葉や襲ってくる何か……
「……どうでもいいよね。とにかく学校へ行く準備しなくちゃ……」
いろいろ気になる事はあったが、差し迫った問題は学校に行く時間が近づいているということだ。
「みんなのいる場所ならきっと安心。学校には葵や先生や番長だっているし、きっと何とかしてくれるよね」
いつものように朝ごはんを食べて、いつものように制服に着替える。ニュース番組で特に呪いの神社と関係があるような映像は流れていなかった。星占いは真ん中あたりだった。
「いつもの日常……だよね……?」
もう何も気にせず学校に行こう。そう決意して外へ出るのだが……
その日から、結衣の生活は明らかに変わっていった。まず、街中で妙な視線を感じるようになった。まるで誰かがずっと見張っているかのような感覚。そして、学校でも異変が起こり始めていた。
「ねぇ、結衣。冴えない顔してるけど大丈夫?」
さっそく昨日の事を聞きに来た葵が心配そうに顔を覗き込んできた。
「う、うん。大丈夫。昨日はお札ありがと。さっそく貼ってきたよ」
「お役に立てたなら良かったよ」
結衣は笑顔を作って誤魔化したが、視線は常に周囲を警戒していた。まるで、見えない何かが近づいてきているような不安があったのだ。
(この感覚はなんだろう。いつもぼんやりしている私が気づくなんて呪印と関係があるのかな……)
意識しないようにしているのについ考えてしまったその時――
突然、空気が震えるような感覚が走った。周囲の音が一瞬消え、まるで時が止まったような錯覚を覚える。
いや、実際に止まっていた。それだけでなく景色が夕暮れのように赤く染まっていた。そして、すぐ間近に現れるあの時の少女。
「――あの札は余計だったな」
「あなたは……神楽ちゃん!」
現れたのが正体不明の化け物とかでなく話の通じる見知った少女だった事に安心してついちゃん付けで呼んでしまった。
少女が一瞬ムッとしたように眉間にしわを寄せたが、すぐに気を取り直したように指先にあの時のお札を取り出して弾いた。それは地面に落ちる間もなく、燃えて塵となってしまった。
「なかなか優れた札のようだが、我の力を抑えるには程遠い」
「葵ちゃんがくれたのに! 何するの!」
「お前には特別に我の作った物をくれてやろう」
「ありがとう」
葵ちゃんのくれたお札を失って、神楽ちゃんから新しいのを数枚もらったよ!
だから私にどうしろというのか分からないけど、とりあえず懐にしまっておく。
その時、結衣の右手が勝手に動き、呪印が淡く光り始めた。
「な、なにこれ……?」
「それをお前に伝えにきたのだ。さっそく獲物が釣れよったわ」
「え……もの!?」
次の瞬間、教室の扉を凄いスピードで潜り抜けて目の前に黒い影が現れた。そいつは立ち上がり、実体化する。
歪んだ輪郭に赤い瞳、牙を剥き出しにした巨大な怪物――それは、結衣が今まで見たことのない存在だった。
「え? 何これ? 漫画かCGなの?」
「だといいのだがな。大方お前なら簡単に組み伏せると見て襲ってきたのだろう。先ほどまで様子を伺っていたのをお前も気づいていたはずだ」
「気づいてたけど来ないで欲しかった! これから授業があるのに!」
結衣は叫ぶが、周りは誰も騒いでいない。時間が止まっているのだ。その理由を神楽が間近で囁いて教えてくれる。
「今回は我が時間を止めておいてやろう。次からは自分でやれよ」
「自分でって……分からないんだけどお!?」
すぐ近くから様子を伺っていた怪物が覚悟を決めたように突っ込んでくる。結衣は慌ててさっき神楽から受け取ったばかりのお札を出してガードした。
まるで結界のような光の壁が現れて怪物の侵入を阻んでいる。
「凄い! なんか出来た!」
「その調子ならお前でも何とか戦えそうだな。任せたぞ」
「ちょ、任せないでえええ!」
よそ見をしたのがいけなかった。怪物が頭を振り、結衣は結界ごと窓の外へと放り出された。
「ちょ、ここ二階! そうだ、受け身を取れば大丈夫って言うよね……ごろごろごろ、痛ーーーい!」
「まだ我の力を上手く扱えていないようだな」
「当たり前でしょ! 何も分かんないよ!」
怪我をしなかったのは未熟ながらも力を使えた成果だろう。もう二度とやりたくない。
校庭まで弾き出された結衣のすぐ傍に現れる神楽。怪物もすぐに地響き立てて追いかけてきた。
「あれ何なの?」
「お前を威嚇しているつもりなのだろう。可愛いものだな」
「可愛くないよう! あれ何なの!?」
「落ち着け。二度も言わなくとも教えてやる。あれは“呪詛生物”だ」
「“呪詛生物”?」
「呪いから生まれた者。早い話が我らの同類だな」
「同類じゃないよう!」
怪物が影のように触手を振ってくる。結衣の身体は見えない力に引っ張られるようにその攻撃を回避した。
神楽が指を動かしているのを見るに彼女の術だろう。
「あまり我の手を焼かせるな。お前の力を解放しろ。我の力と合わせれば恐れることはない」
「で、でもどうやって……!?」
神楽は微かに笑い、囁いた。
「簡単なことだ。我を信じて“受け入れろ”」
「でも、それって呪いなんでしょ!?」
神楽は答えず真っすぐに結衣を見つめている。
「ちなみに神楽ちゃんが全てをやっちゃうってのは……」
「お前が全てを差し出すと言うのならな。もっともまだ未熟のお前の身体で出来る術などたとえ燃え尽きようとたかが知れているだろうがな」
「燃え尽きたくないよう!」
「ならば戦え。我とてようやく見つけたお前をここで失う気は無いのだ」
その赤い瞳に結衣は頷いた。
「分かったよ! それでこの状況がなんとかなるんでしょ!」
「そうだ。お前の意思でこの力を振るえ。かつての人間達が求めてきたように……」
その言葉と同時に、結衣の手から眩い光が放たれた。視界が一瞬赤く染まり、次に目を開けた時には自分の身体が軽くなったような感覚に包まれていた。
姿が何か神楽と似たような和の装いとなり、髪も伸びていた。
「何か変身したんだけどおお!?」
「力を振るうのに適した姿となったのだ。これからはその力は汝の物だ」
「これが……私の力……?」
結衣の手は赤い紋様に覆われ、空気が歪むほどの力が宿っているのが分かる。目の前で神楽も驚いたように目を見開いていた。
「想定していたより力の渦が強い。お前には呪いの才能があるのやもしれんな」
「なんか喜んでいいのか微妙なコメントなんだけど!」
「褒めているのだ。さぁ、行け。命知らずにも挑んできたあ奴に本当の厄災というものを教えてやれ」
神楽に言われるまでもなく、結衣は腕をぐるぐる振り回すと、目の前の怪物に向けて踏み込んだ――。