第15話 夏実来訪
土曜の夜。結衣は自分の部屋でそわそわしながら、心の奥底に溜まった不安に押し潰されそうになっていた。
「……お坊さん、ほんとに来ちゃうのかな……」
お母さんが呪いのお祓いに呼ぶと言っていたお坊さん。その人が来るのが明日なのだ。大げさだと思っていたがもし祓われたら今の自分はどうなるのだろうか。
呪いと一緒に聖なる光で昇天させられるのだろうか。あるいは呪いから解放され、元の生活に戻れるのだろうか。
どっちにしろ呪詛生物がこの町にいることを知った以上、元の生活には戻れない気がする。結衣の頼る相手はもう葵しかいなかった。携帯があって良かったと思いながらスマホで電話する。
『結衣ちゃん? 私もう寝るよー』
「そう言わずにもう少し付き合ってよ」
『結衣ちゃんなら大丈夫だよ。おやすみー』
頼りになる友達との通話が切れてしまった。呪いの事なら郷土研究部の人達も知っているだろうが神楽の事で話なんて出来るわけもないしもう遅い時間だ。
呆然とする結衣に神楽が現れて話しかけてきた。
「落ち着け、結衣。今更慌ててもどうにもならんだろう」
「神楽あ。今までどこに行ってたの?」
「この辺りの呪いの痕跡を消していたのだ。相手が祠堂悠斗に匹敵するような術師なら我にとってもやっかいとなるからな」
「やっかいな人が来ると思う?」
「来るだろうな。お前の母が本気だったからな」
「ええーーー」
自分の母の事ながら何もそんなにお祓いに本気にならなくてもいいじゃないかと結衣は思う。こんなの近所の神社で適当にやってもらえばいいのにと。
だが、神楽も母も真剣で、結衣も事態の重要さを意識せずにはいられなかった。
「ほら、手を差し出せ。お前の呪印も目立たぬよう眠らせておこう」
「うん……」
「明日は決して術を使うな。呪詛生物が襲ってきてもだ」
「変な前振りしないでよー」
神楽が結衣の腕を掴んで念を込めると呪印の存在感が薄くなる気がした。見つからないように眠らせたという事なのだろう。
結衣が叩き起こすような事をすれば目覚めるだろうが、そうはならない事を祈っておく。
「明日は我はまた葵のところに行っておく。一人で頑張れるな」
「うん、やってみるよ」
「おやすみ、結衣」
「……神楽……?」
姿が消えて結衣は一人で布団に入る。葵や神楽と話して気持ちは幾分か楽になっていた。
「呪いなんて最初はどうなることかと思ったけど、今はこのままでもいい気がしてきたなあ……」
夢に悩まされていた当日だったら、結衣はきっとお母さんと一緒にお坊さんに泣きついていたと思う。
でも、今は葵や神楽とも打ち解けてきて、郷土研究部の人達とも関わって、もう少しこの世界にいてもいいんじゃないかと思い始めてきた。
どっちにしてもこの町に呪詛生物がいて襲ってくるのに変わりはないんだし、それなら守れる力がある方が安心だ。
とにかく明日を乗り切らないと……いろいろ考えている間にやがて訪れてくる夜の睡魔。
結衣は抗うこともできず、すうっと眠りに落ちていくのだった。
そして訪れる日曜日の朝。呪いとは最も縁が無いような天気のいい日。
「結衣、起きなさい。もうすぐお坊さんが来るわよ」
お母さんの声に、結衣は目を覚ました。
呪いは本当に現実にあるのか。疑いたくなるようないつもの日常の朝。
手を見ても神楽の眠らせた呪印の存在感はどこにもない。きっと奥深くまで見つからないように隠したのだろう。
部屋の空気もまるで呪いなんて最初から何もなかったかのように澄んでいた。
「今日は呪いが見つからないように過ごさないと……」
初めての日の事を思えばプロのお坊さんに相談した方がいいのかもしれない。
でも、今の結衣は神楽と葵を裏切れないと感じていた。
結衣は小さくつぶやき、胸に手を当てた。
階下に降りて食事を済ませ、着替えて適当に過ごしているとやがて玄関のピンポンが鳴った。
「はあい。結衣出て」
「うん」
お母さんはちょうど洗い物をしていて手が離せなかったので、結衣が先に出る事になった。
緊張しながら玄関を開けるとそこにはすでに黒衣を纏った僧侶が立っていた。思っていたより背は小柄で結衣と同じぐらい。頭には編み笠を被っていて顔は分からなかった。
明らかにお坊さんといったただ者ではない雰囲気に結衣が戸惑っていると、遅れてやってきたお母さんが慌てて出迎えてきた。
「このような場所によく来てくださいました、夏実様」
「夏実様?」
「初めまして。こちらが呪われたと連絡のあった結衣さんですね」
彼かと思ったがお坊さんはまだ若い女性のようだった。彼女の声に母は敬うような嬉しそうな態度で頷いた。
「はい。この子が最近妙なことを口にしたので。呪われたと……」
「呪いはこの町では特別な意味を持ちます。何せあの神楽麻倶奈の現れた町なのですから」
「ですが、悠斗様の子孫であらせられる夏実様に来ていただけたのならもう安心ですよね? どうか娘を救ってください!」
「ええ、任せてください。まずは娘さんの部屋を伺いましょう。そこに呪いの痕跡があるかもしれませんから」
彼女が編み笠を下ろして顔が見えるようになって結衣は驚いた。彼女が自分と同い年ぐらいの女の子だったからだ。そして、葵の言っていた事も思い出した。
「夏実様ってもしかして……あの、夏実ちゃん!?」
言った瞬間、彼女の綺麗な眉が細められてキッと睨みつけられて、背筋を凍らせる結衣の頭をお母さんがすぐに押さえつけて謝った。
「申し訳ありません、夏実様! こらっ、結衣なんて失礼なことを言うの! 夏実様はあの祠堂悠斗様の子孫なのよ!」
「いいんですよ。町の為に偉大な事を為したとは言え、今時の子はもうご先祖様の事は知らないでしょうから」
「いや、知ってるけど。神楽を封じた凄い術師だって」
「へえ」
(あれ? 私何か良くないことを言っちゃった……!?)
結衣を見る夏実の視線が興味深いものを見る目になっていて、結衣はまた自分が失敗した事を悟るのだった。




