第13話 呪いとの死闘
――ビルの奥、薄暗い空間に、それは現れた。
壁や床のひび割れから黒い瘴気が吹き出し、やがてそれらが絡み合って形を成す。
巨大な獣のような影。眼のように赤黒く光る二つの穴が、結衣たちを睨みつけていた。
「……っ!」
結衣は思わず息を呑んだ。体の芯が冷え切るような、強烈な呪いの気配。
(現れた……呪詛生物だ……!)
遭遇するのはもう何度目かになるが、肌に感じる黒い瘴気はまだ慣れる物ではない。この世界に関わるほどにより強く感じられるようになってきたようにも思う。
知らなければ気づくこともなかった。そう言われるのも納得できるというのものだ。
だが、結衣達はもう関わってしまった。この町の呪いに――
「来たな」
真司が低く呟き、懐から長い呪具――黒い刀を抜いた。
「下がってろ、結衣。俺たちでやる」
「あなたは自信があるのかもしれないけど、初心者でしょ。ここは任せて」
怜は指を組み合わせ、瞬時に印を結ぶ。
淡い青い光が彼女の手元から広がり、冷気のような弓を形成した。
「郷土研究部の力、見せてあげるからね!」
遥は柔らかく笑みを浮かべ、手に持ったタンバリンのような数珠を軽く振った。
彼女の周囲に柔らかな光が灯り、温かい波動が結衣にまで伝わってくる。
(これ……体が少し軽くなる……? 支援魔法のような物……?)
呪いを研究しているとこんな事まで出来るようになるのだろうか。この町にはまだまだ結衣の知らないことがたくさんありそうだった。
そして、彼らの戦端が今から開かれる――
「怜、遥、準備はいいな?」
「早く片付けましょう。こいつはまだ“呪いの端くれ”に過ぎない」
「よーし、みんな頼んだよ! 私は援護するからね!」
三人が身構えた次の瞬間、呪詛生物が咆哮をあげ、黒い触手のような腕を振り回した。
床が砕け、瓦礫が飛び散る。その跡にはもう三人ともいなかった。
「せいやッ!」
真司が突撃し、黒刀でその腕に斬りかかる。刀身には赤い符が浮かび、呪いの力を切り裂く音が響いた。
力押しに見えながら、その一撃は呪いの内部まで削っているようだった。
続けざまに怜が標的の足元を狙い、冷気の矢を放った。
「氷縛!」
数本の矢が床に突き刺さると呪詛生物の足元が瞬時に凍りつき、動きが鈍る。
黒い影が呻き声をあげ、苦しそうにもがいた。
「ナイス怜! 私もやるよ!」
遥がにっこり笑い、光の数珠を振る。するとふわりと舞った彼女の動きが鋭くなり、呪詛生物を鋭く蹴りつけた。
「ぐおおおおおん!!」
呪詛生物はたまらず吹っ飛ぶが、これぐらいでは倒れずすぐに起き上がってきた。
結衣は彼女の能力は支援魔法かと思ったが重さを変えられるのだろうか。まだ見始めたばかりなのでよく分からない。
「これぐらいでは倒せないか」
「だが、効いている。今のうちに全力で!」
真司が雄叫びをあげて刀を振り下ろす。その刃はただの物理でなく能力で強化されている。
呪詛生物の片腕が斬り飛ばされ、黒い瘴気が爆ぜた。
(……すごい……!)
戦いを見守る結衣にはそんな感想しか湧いてこなかった。
三人とも、それぞれの能力を発揮しながら連携している。
呪いに対抗できる力を持ち、経験を積んできた――郷土研究部の本当の姿がここにあった。
だが、呪詛生物は倒れない。斬られた腕がじわじわと再生し、さらに大きな影となって襲いかかってくる。
怜が険しい表情で言った。
「しぶとい……このままじゃ浄化できない」
「くそっ、俺の刀がもたない……!」
真司が焦りの声を上げる。
遥も額に汗を浮かべながら結衣に振り向いた。
「……ごめんね、結衣ちゃん。こいつちょっと時間かかりそう……! 危なくなったら帰っていいからね」
結衣の胸が高鳴った。
(ここは私も戦うべきじゃないの……? でも、どうやって……)
頭の奥で神楽の声が囁いた気がした。
「結衣……望むならば我が力を行使せよ」
「あなたの力を使えって言う事?」
「そうだ。汝の望む力がその手には宿っている。解放し、望むままに振るうのだ」
結衣は胸の奥で神楽の囁きを聞きながらも、ぐっと唇を噛んだ。
(ここで神楽を呼んだら……絶対、彼らに怪しまれる……!)
――神楽の存在は禁忌。
彼女を敵視している彼らの前で、力の源を明かすわけにはいかない。
それにこの誘いは明らかにおかしい。この町の術師を警戒して葵と残った神楽が力をひけらかす事を望むわけがない。
結衣はじっと自分の手に赤く浮かぶ呪印を見つめた。
「お前が話しかけているの? だったら……!」
結衣は手に浮かぶ脈動する呪印をすぐさま消すと、代わりにポケットを探った。
中から取り出したのは数枚の古びた呪符。
淡い墨で描かれた符は、触れるだけで微かに熱を帯びている。
(神楽から渡されたやつ……呪印の力を使わなくても使えるのかな……!)
「くっ、怜! もう少し足止めできるか!?」
真司が敵の攻撃を弾いて叫ぶ。
「限界よ!」
怜の冷気はすでに薄れ、呪詛生物の足元の氷はひび割れていた。呪いが熱を発し冷気が弱められていく。
「あいつ、こっちの攻撃に対応してきている!」
遥が仲間にパフを送りながら敵にデバフを送るが、呪詛生物が腕を振って咆哮を上げると全部吹っ飛んで弾け消えてしまった。
「うおっ!」
「キャア!」
「大丈夫!? 遥!」
「大丈夫。神楽麻倶奈はもっと強いんだもん。これぐらいでへこたれてられないよ」
三人はまだ挑む気でいるが状況は明らかに不利だ。撤退も時間の問題だろう。彼らの顔にも汗が浮かぶ。
呪詛生物が再び攻撃に出る。
その瞬間、結衣は勇気を振り絞り、呪符を宙へと投げた。
「――燃えろ! 爆砕符!」
紙片が宙で破裂し、真紅の炎となって弾けた。
火の壁が呪詛生物の顔面を覆い、黒い瘴気を一瞬焼き払った。
彼らの目が驚きに見開かれる。
「なっ……!」
「結衣……あなた……!」
「今のは何!?」
結衣は答えられず、もう一枚の呪符を取り出した。
額に浮かぶ冷や汗を拭いもせず、必死に印を切る。
(呪印の力を借りなくても……! 前のように手順を踏めば!)
力を行使するのは初めてではないのだ。呪印を使わない分威力は落ちるが、この呪符には元々の力が宿っている。
そしてそれは、結衣の思いに答えてくれた。
次の瞬間、符から淡い光があふれ、呪詛生物の動きが鈍った。
まるで体を絡め取るように光の鎖が巻き付く。
「……今だよ! 狙って!」
結衣の声に応え、怜が印を結び、氷刃を生成する。
真司が黒刀を振りかざし、遥が光の力で支援する。
一斉に放たれた黒炎と氷刃と光の攻撃が、呪詛生物の身体を貫いた。
黒い影は断末魔のような叫びをあげ、瘴気を撒き散らして弾け飛ぶ。
やがて、ビルの中は静寂に包まれた。
呪詛生物は、完全に消え去ったのだ。
「……はぁ、はぁ……」
結衣は呪符を握りしめ、膝から崩れ落ちそうになる。
胸の奥で神楽の声が囁く気がした。
「よくやったな、結衣。だが、お前はいつか“本当の呪い”を受け入れなければならない」
「勝手なことを言わないで。神楽はそんな事は言わない……」
一人で呪印を行使しなくて済んだ手をさすっていると、戦いを終えた三人がゆっくりと結衣の方に歩み寄ってきた。
その目には驚きと、警戒心が入り混じっている。
「結衣……お前のその力はどこで……?」
「ただ者ではないとは思っていたけど……」
「強いんだね、結衣ちゃん」
結衣の喉がごくりと鳴った。
(どうしよう……神楽のことは言えない。でも……隠し通せるのかな……)




