線香花火の魔法
坂上商店、と書かれた小さな個人商店の軒下に置かれた自動販売機。そしてそこで買って飲む人のために置いてある、コーラのメーカー名の入った真っ赤なベンチ。
ちょっと待ってて、と言われた俺は自転車を壁に立てかけ、そのベンチに座って彼女・高田陽菜が戻ってくるのを待った。
この時間、山の方向へ通り過ぎていく車は少なく、誰も通らない路面を照らし続ける自動販売機の光は、どことなく頼りない感じに見える。
「お待たせしちゃってすみません。これ、良かったらどうぞ」
待たされたのはほんの数分だっただろうか、戻ってきた彼女の左手には見慣れたデザインの缶コーヒー。
「あぁ、ありがとう」
「それから……コレ。覚えてましたか?」
手渡されたコービーのプルタブを開け、一口飲もうとした俺の目の前にパッと突き出された右手には、何本かの線香花火が握られていた。
「あれ? これって先週の花火の時の?」
「そうです! 大木さんが『しなくていい』って言うからあたし、取っておいたんですよね」
確かに大木は身体も大きくて大雑把な性格だからか、花火セットに付いていた線香花火を見て『こんなんチマチマやらんでも良くない?』と言っていたのは覚えていたケド。
「勿体ないですし2人でやりません?」
そう言って新しい悪戯でも思いついた子供のような目で、ポケットから蝋燭とジッポを取り出す。
つい最近知り合ったばかりの女子に連れられて、同じ街のハズなのに全く知らない場所で、しかも2人っきりで線香花火。なんだろう、これまでの人生で全然出会った事の無い展開に驚きつつも、ちょっとだけソレを面白いと感じていた。
「そうだね、やっちゃおっか」
俺がそう答えるとすぐにベンチの上に線香花火を一本ずつ並べ、その真下あたりに火を付けた蝋燭を設置すると彼女はドカッとベンチの反対側に勢いよく腰かけた。
「7本あるから、どっちかが1本多くなりますね」
「それはさ、失敗して早く終わるのとか出るだろうから臨機応変にしよう」
「そっか、それもそうですね」
俺の提案に頷くと右手で一番端に置いた線香花火を手に取り、さっそく火を付けようとする。俺も促されるように、自分側の一番端から線香花火を手に取り、蝋燭に近付けた。
「ところでそのジッポって自分のなの? タバコとか吸うんだ?」
「コレは兄が玄関に置きっぱなしにしてたやつを借りてきたんです。私はタバコとか吸わないし、どっちかって言うと苦手かな」
「そうなんだ。俺もタバコは苦手だから、高田が吸うヤツじゃなくて良かったよ」
そんな会話をしながらモクモクと煙が出る線香花火なんてやってるのもどうかなと思ったけれど、わざわざ煙を吸うわけじゃないから問題はないだろう。それで末期の肺がんになるわけでもない……俺の親父みたいに。
「どうしてカラオケ断ったんだ? せっかくの歓迎会なのに」
1本目の線香花火がほぼ同時に終わり、2本目に火を付けようとしたところで投げかけた俺の問いに、彼女の手がふと止まる。少しだけ何かを考えるような微妙な時間があって、彼女は線香花火に火を付けながらこう答えた。
「あー……実はあんまり歌うのって得意じゃないんですよね。それにあの狭い部屋に大勢でいる感じも苦手で」
「そうなんだ。でも確かに大木は横にデカいから同じ部屋だと、かなり窮屈かもしれないよな」
「うん、大木さんも小田主任も吸う人だから結構タバコ臭いし……って中川先輩、仕事仲間なのに毒舌ですね」
「いや、キミもなかなか失礼な事言ってるケド?」
そう言って共犯者の笑みを浮かべる彼女とは何となく、気が合いそうだと思った。なんだろう……妹なんて居ないのだけど、居たとしたらこんな感じなんだろうなって。
そんな事を考える間にも、線香花火はチリチリと燃え続ける。
「カラオケよりもこっちの方が良かったです。賑やかなのあんまり好きじゃないし、それに」
「それに?」
「中川先輩、思ったよりも話しやすい人だって分かったから。なんか、ウチのお兄ちゃんに雰囲気似てる気がする」
まさか向こうも同じように感じているとは思わなかった。そしてお互い3本目の線香花火に火を付けた所で、彼女がポツリと呟く。
「線香花火って好きなんですよね。燃え尽きるまで短いケド、その時間を惜しむようにずっとキレイに輝き続ける」
「まあ、そう……だな」
「まるで魔法みたいですよね。このまま時間が止まっちゃえば良いのに、って思います」
パチパチと爆ぜる花火の先を見つめながらそう呟く彼女。その横顔はやけに大人びた憂いを含んでいて、少しだけドキリとしてしまった。
そのせいかお互いの3本目が燃え尽きると、残った花火はあと1本だけしかないのに気付かず、左手でベンチへと手を伸ばす。一瞬の間が空いて、手の甲に温かい感触が触れた。
「ひゃっ」
「あっ……ゴ、ゴメン。これ最後の一本だったっけ? 線香花火好きなんだったら最後は譲るよ」
慌てて手をどけようとした俺に、悪戯っぽく笑いながら彼女がしてきたのは、ある1つの提案。
「じゃあ次はそれ、中川先輩が持っていて下さい。それで花火買い足したらまた今度、今日の続きをしましょう」
それは夏の始まりを感じさせる、向日葵のような笑顔だった。