ラストシーン。
最後のデートの帰り道。2人の気持ちはすれ違ったまま、車は何処へ向かうのか。
いよいよラスト1話前です。
海にかかる桟橋と俺達が住んでいる街を結ぶ山道の途中にある、こじんまりとしたラブホテル。その駐車場で俺は車を停車させる。
夕日はすっかり山の向こうに落ちて、太陽の名残りだけが樹々の間に残っていた。
「あの……こんな所まで来てだけど、本当に……」
「いきましょう先輩」
この状況ですらまだ迷いを捨てきれない情けない俺を置き去りに、助手席のドアから勢いよく降りて入口へと向かう彼女。俺も慌ててその後を追う。
「うわぁ、こんなに色んな部屋があるんですね。あたし全然知らなかったですケド、先輩はこういうトコよく使うから知ってたりするんですか?」
色とりどりのパネルが並んだロビーで、何てことないという声で彼女が茶化す。だけどその声音と態度が、何かを告げているような気がした。
「前は勝手に部屋に運ばれちゃってたから、全然分かんなくて。だから今日はあたしが部屋選んで良いですか? 勿論部屋代は先輩持ちですからね」
前は、という言葉が何を差すのかはよく分かっていて、だからこそ胸を抉る。そんな俺に気付かないようにパネルを見比べながら「どれにしよっかなあ」とパネルの前を歩き回る彼女。
部屋を選んで入ってしまえば、どういう事が待ち受けているのかなんて、わかっているくせに。
「先輩、あたしココに決め……って何するんですか!!」
振り返った彼女の顔をはっきりと見た途端、俺はいたたまれなくなって彼女の腕を掴み、ホテルの出口へと引きずり出した。そのまま乱暴に助手席に乗せ、急いで車を発進させる。
「なんで!? あたしは別に構わないってちゃんと……」
「良いワケないだろ! 馬鹿ッ!!」
車を走らせながら思わず怒鳴り声になる。感情が高ぶりすぎたせいでカーブを曲がるのが大きく膨らみ、対向車線から来るトラックに大きくクラクションを鳴らされながら車線を戻す。
見逃しているハズが無かった。どの部屋にするか選んでパネルの前を歩いている時、彼女の肩や足元が微かに震えている事を。振り返った笑顔に精一杯の強がりが貼り付けられていた事も。
「お前がそうやって何てことないって顔して笑う時にホントはどう思ってるか、気付かないわけがないだろ! 本心から構わないって思ってない事ぐらい分かんだよ! どれだけ……どれだけお前のことばっかりずっと見てきたと思ってるんだよ!」
そこまで一気に吐き出して深呼吸をし、ハンドルをしっかりと握り直す。
車は人気の少ない山道を抜け、市街地に続く下りの直線を駆け下りていく。俺たちを日常へ、終わってしまった後の物語へと引き戻していくように。
いっそ彼女の事をそういう対象でしか見ていないクズにまで堕ちてしまえたら、どれだけ楽だったかと思った。あるいは無理して笑う彼女に気付けないくらい、彼女の事をちゃんとみていない男だったら。
そんな風にもなれないクセに、彼女の気持ちを大切にも出来ない自分がつくづく嫌だった。
夜の帳がすっかり降りて真っ暗なアスファルトを白く照らし出している、いつもの自販機の前。
2人ともその後は押し黙ったままで車を走らせ続け、ようやくそこに辿り着いた。
「……ごめんな、予定よりもだいぶ遅くなっちゃって」
「ホントですよ~、もう本気であたしの肉残ってないかも」
「本当に……ゴメン」
彼女は曖昧な笑みを口元に浮かべながら怒る。コレは本気では怒ってないけれど、怒ってるってポーズを取っている時の顔だ。でも俺は自分の発言で傷つけてしまった事と、それなのに行動の中途半端さ加減に自己嫌悪も伴って、謝る事しかできないで居た。
「大丈夫、先輩は優しい人でしたから」
「よせよ、あんな事言って無理やり連れ去ろうとしたクズ野郎だぞ」
「まあ確かにあんなことを言われた時は最低だって思いましたけど」
そう言われてしまうと落ち込んでいる心を抉られる。そんな様子を見て彼女は慌てて言葉を足した。
「でも……先輩はクズ野郎じゃ無かったですよ。その優しさを今度は、ちゃんと受け止めてくれる素敵な女の子に向けてあげてください」
視線を上げるとそこにあったのはいつもと変わらない、向日葵みたいな笑顔。そんな相手なんて現れなくてもいい……俺がそれを向けていたいと思うのは、どれだけ経ったって陽菜だけなんだ……そう俺は思っていたけれど。
「あたしもこんな人を振り回してばっかで我儘なあたしを受け止めてくれて、ちゃんと好きになれる人を見つけて幸せになりますから」
「そんな奴、見つからないかもしれないけどな。俺以外には」
「ん~、『好きになれる人』って所が該当しないかな、今はもうね。惜しかったですけど」
「そんなはっきり言うなよ、めちゃめちゃ傷付くから」
そこまではっきりと言われてしまえばもう、どうしようもないなって観念する。かえって清々しいくらいだと笑うと、彼女も声を上げて笑った。
「でも……もし何年も経ってそんな都合の良い人が見つからなかったら、先輩でも良いかな。きっとその頃にはあたしなんかよりずっと可愛い子が隣に居そうな気がするけど」
「そんな事言われたら俺、また数年単位で好きな人も作らないで待ってるかもしれないぞ」
「勝手に期待して待たれてもあたしが困るから、遠慮なく好きな人作っちゃってください。あ、でも美咲ちゃんはダメですよ」
何故またそこでその名前が出てくるのかと思ったらなんと、美咲さんは大木と別れたらしい。なんでも美咲さんは他に好きな人が出来たんだとか。
だがどこをどう考えてもそれは俺ではない気がする。
「話してるとお肉どころか、あたしが着く前にBBQ解散になりそうなんで行きますね。あ、でもちょっと目を瞑ってもらえませんか?」
「うん?」
言われるままに目を閉じた。けれど、今更何があるのだろう?
「先輩のこと、ちゃんと好きになってくれる可愛い彼女が出来るための魔法をかけますね」
「なんだそ……」
れ……と言おうとしたところで唇に触れる柔らかい感触。運転席に座ったままの俺の身体に預けられる懐かしい重さと温もり。
考えてみれば彼女から俺にキスをしてくれる事なんて初めてだった。
たぶん最初で最後になる、彼女からのキス。
「【お試し】だけど先輩が初めての彼氏で居てくれて良かったって、あたしは思ってます! だから、ちゃんと自信もってね。それじゃ!」
それだけ早口で告げると助手席のドアを閉めて彼女が帰り道を走り出す。虚を突かれた俺が遅れたタイミングで目を開けると、彼女はもう角を曲がって見えなくなるところだった。
「なんだよ、もう……こんなの反則じゃねえかよ」
後悔とも、罪悪感とも何とも言いようのない寂しさがこみ上げてきて、俺はハンドルに突っ伏したままでしばらく、嗚咽さえも隠せずに泣いた。
それが、あの夏にあった事のすべてだ。
お読みいただきありがとうございました!これにてこの話は……って実は、もう1話あります。次回、最終話! そこまでお付き合いいただければ嬉しいです。