第ニ話 荘厳な門
地響きのような鈍い音と共に、重厚な鉄の門がゆっくりと背後で閉じる。その音を最後に、リノアとノアの前には、信じられないほどの光景が広がっていた。
「……これが、学術都市――」
リノアの声は自然と小さくなった。長く続いた薄暗い地下道の旅を経て、突然現れたその都市は、まるで夢の中のようだった。
巨大なドームのような天井からは自然光が差し込み、都市全体を淡く照らしている。石畳の道がいくつにも分岐し、それぞれの道に沿って建ち並ぶのは、魔道の技術と職人の工芸が融合したような荘厳な建築物の数々。浮遊する魔道灯が空中に点々と灯り、空には魔導機関車が軌道を走っていた。
人々の衣服は、各地の文化や職種の違いを反映して多様で、どこか異国の賑わいを思わせる。中央には円形の広場があり、その中心には白い大理石の塔がそびえ立っていた。塔の上部には巨大な魔法陣が常に浮遊しており、淡い光が周期的に空に放たれている。
「これが……魔法の都市……」
リノアは思わず口を開いたまま、視線をあちこちへと移す。信じられないほど活気に満ちた空間だった。
「ここが、アエモリウス魔道学院の外郭都市だ。正式には“学術都市ルミネア”。君のこれからの日々が、この街から始まる」
ノアはそう言いながら、彼女の隣に立って都市を見渡した。
「……わたし、本当に来ちゃったんだね」
その言葉には期待と不安が混ざっていた。
ノアはそっと彼女の背を押した。
「さあ、行こう。学院の門は、都市の中心にある“蒼の階段”の先だ」
石畳を踏みしめながら、リノアは一歩一歩、広大な都市を歩き始める。ここが、彼女の過去と未来を分ける場所になる。そんな確信が、胸の奥に芽生え始めていた。
また、その石畳の通りは、朝の陽光に照らされて白銀のように光っていた。街は既に動き始めており、通りには魔法書を抱えた学生や、浮遊台車で品を運ぶ商人、街角で即興の魔術ショーを開く大道芸人など、さまざまな人々が行き交っていた。
リノアはまるで異世界に迷い込んだかのような気分だった。どこを見ても、彼女の育った村とは比べ物にならない知恵と技術、そして秩序の中にある混沌が渦巻いていた。
「ノア、あれ……空を飛んでるの、なに?」
リノアが指差したのは、頭上を滑空する銀色の船のようなものだった。
「あれは《浮遊艇》。学院が都市内の移動用に管理している乗り物だ。市民でも申請すれば乗れるけど、訓練が必要なんだ」
リノアはその光景を目で追いながら、「すごいなぁ」と呟く。だが、その感嘆の裏側には、どこか胸を締めつけるような気持ちもあった。
自分はここで本当にやっていけるのか。
魔法が感情と結びつくこの世界で、自分の感情である“希望”が――また暴走するのではないか。
ノアはそんなリノアの不安に気づいたように、歩みを止めて彼女の顔を覗き込んだ。
「怖いか?」
リノアは、少し戸惑いながらも頷いた。
「うん……でも、進まなきゃ、だよね」
「大丈夫。学院には、君のような“共鳴者”のための場所もある。力を制御するための訓練も、感情と向き合う術も、ちゃんとある」
その言葉に背中を押されるように、リノアは再び歩き出した。
やがて通りが開け、大理石でできた階段が空へと伸びているのが見えた。
階段の先、淡い青の魔法光が渦を巻いている。まるで空と接続しているかのような幻想的な光景だ。
「“蒼の階段”だ。あそこを登れば、学院の正門が見えてくる」
ノアの声が少しだけ柔らかくなった。
やがて通りが開け、大理石でできた階段が空へと伸びているのが見えた。
その先には、浮遊するようにそびえ立つ荘厳な門――アエモリウス魔道学院の正門があった。
門の前には、淡い青の魔法陣がゆるやかに脈動しており、そこを通る者すべてを静かに選別するかのような、張りつめた空気が漂っている。
「……ここが、学院……」
リノアは思わず息を呑んだ。
その巨大さも、圧倒的な雰囲気も、想像していた“学び舎”とはまるで違っていた。まるで異世界に続く門のようだ、と彼女は思った。
そんな彼女の隣で、ノアが短く告げる。
「ここをくぐるには、形式上の“入門審査”がある。名目上は記録と魔力測定だけだけど……実際には、君の“心”を見られるつもりでいた方がいい」
リノアの背筋に、ぞくりとした緊張が走る。
ただ門をくぐるだけではなく、“感情”と“力”が問われるというのだ。
「でも――怖がらなくていいよ。君には、君だけの魔法がある。それを信じて。」
ノアの言葉に、小さく頷きながら、リノアは門の前に立った。
――試されるのは、力ではなく、“想い”。
彼女の心が、今、学院の門に問われようとしていた。
ーーー
【王都セリオナ・王城 謁見の間】
重厚な扉が音もなく開かれた。蒼月騎士団の団長ジーク=レインハルトは、緊張の面持ちで一歩を踏み出す。月光の紋章が刻まれた蒼銀の礼装が、蝋燭の光に微かに輝いた。
「お入り、ジーク=レインハルト。」
報告者である蒼月騎士団長ジーク=レインハルトは、ひときわ威厳ある佇まいで進み出る。背後に立つのは、副団長ユリウス= ヴァンデル。理知的で冷静な戦術家であり、ジークの右腕とも言える存在だ。
荘厳な石造りの広間に、金と蒼の垂れ幕が揺れる。正面には玉座が据えられ、その左右には、王国の実力者たちが一堂に会していた。
中央には国王、レオニス三世。冷静沈着にして、王国を長く治めてきた老王。その目には、ただならぬ緊張の色が宿る。
また、国王の周囲には、王国五大騎士団の団長と副団長も列席していた。中には、月影騎士団の団長カイ=アルヴェインや、白月の誓いの副団長セシリア=フェーンの姿も見える。
ジークは片膝をつき、右手を胸に当てて恭しく頭を下げた。
「ジーク=レインハルト、蒼月騎士団長として、調査のご報告を申し上げます。」
「うむ、聞こう。」
レオニス三世の促しに応じ、ジークは立ち上がり、手に持った封筒から報告書を取り出した。
「件の村、ルイネの調査を行った結果、中心部から東の森にかけて、大規模な炎による焼失跡を確認しました。周囲には戦闘の痕跡はありませんが、魔力の残滓が村の広範囲にわたって検出されました。」
報告にざわつく会議の空気。ミレス宰相が目を細めて口を挟んだ。
「魔導師の仕業か? それとも……何らかの禁術か?」
ジークは頷き、続ける。
「魔力の性質は、極めて強い感情の共鳴反応によるものでした。精査の結果、これは自然発火ではなく、“感情魔法”の暴走によるものと推測されます。」
「感情魔法……?」
銀月の楯の団長グラーフ=メルシェが不穏な声を漏らす。
ジークは言葉を選びながらも、真っ直ぐ前を見据えた。
「……さらに、現地には我々よりも先に何者かが潜入していた痕跡がありました。伏兵や罠はなかったものの、地形に詳しい者の足跡が複数確認され、一定の距離から我々を監視していた可能性があります。」
静まり返る謁見の間。王は眉間に深い皺を刻み、口を開いた。
「それは、敵対勢力の関与を示すということか?」
「断定はできませんが、我が国と敵対する“灰の懺悔者”の構成員が関与している可能性が高いと見ています。」
その名が出た瞬間、空気が一段と重くなった。
「……ジーク。引き続き、追跡調査を。蒼月騎士団の副団長、ユリウス= ヴァンデルとともに、他団とも連携を取って進めよ。」
「はっ。」
ジークは力強く頷き、静まり返る会議の場でもう一度片膝をつき述べる。。その背に宿るのは、王国の誇りと、果たすべき使命の重みだった。
「……以上が、村“ エルデ”の調査報告です。」
月影騎士団のカイが、腕を組みながら鋭い声を漏らす。
「魔力の残滓と足跡……我々の諜報部隊でも追えていなかった。これは、灰の懺悔者によるものと見て間違いないだろうな。」
「やはり、彼らの動きが活発化している証左だ。」
重々しい声で応じたのは、銀月の楯のグラーフ団長だ。
「王都の防衛も含めて、再編が必要かもしれません。」
暁月の牙の団長、ダリオが苛立たしげに口を開く。
「我らの出番だろう。敵が動いているなら、今こそ牙を剥く時ではないのか?」
ルセリアはそれをやんわりと制し、王に目を向けた。
「陛下、現状では断定はできませんが、灰の懺悔者が『感情魔法』に手を伸ばしているとすれば、これは放置できぬ事案です。」
王は静かに頷くと、玉座から身を乗り出した。
「各騎士団は、警戒を強めよ。蒼月騎士団を中心に調査を続行し、必要に応じて他団とも連携を取る。これは、王国全体の脅威と見てよい。」
重く、厳かな声が広間に響いた。全団長が立ち上がり、一斉に右拳を胸に当てる。
「御意。」
【各騎士団の概要と人物】
蒼月騎士団
王国直属の精鋭部隊。冷静さと戦術の的確さを重視し、各地の事件・戦地で第一線を任される。
- 団長:ジーク=レインハルト(主報告者)
- 副団長:ユリウス= ヴァンデル
月影騎士団
隠密行動と諜報に長けた影の部隊。任務遂行率は高いが、行動はしばしば謎に包まれている。
- 団長:カイ=アルヴェイン(黒衣の男。切れ長の目が印象的)
- 副団長:レティ=マーヴェル(沈着な女性剣士)
銀月の楯
主に王族や魔道学院の防衛を担当する。忠誠と防衛を象徴とする騎士団。
- 団長:グラーフ=メルシェ(重装甲の壮年騎士)
- 副団長:ニーナ=ヴァルシュ(元王室親衛隊出身)
暁月の牙
攻撃に特化した前衛突撃団。敵地への急襲や討伐任務を得意とする。
- 団長:ダリオ=クロウバイン(筋骨隆々の豪傑)
- 副団長:ユルグ=ティアン(戦狂いとして知られる若き剣士)
白月の誓い(はくげつのちかい)
神殿騎士団として、教会や神託に基づいた任務を担う。清廉でありながらも、内政や魔道との関わりも深い。
- 団長:ルセリア=アルマロス(聖女のような雰囲気を持つ女性)
- 副団長:セシリア=フェーン(魔道にも精通した騎士)