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第三話 炎の記憶

 かすかに揺れる草の匂いと、頬をなでるやわらかな風が、リノアの意識を少しずつ引き戻していく。


 目を開けた瞬間、胸を突く焦げた匂いが鼻を刺した。空は薄曇り。だが、それよりも先に、焦げた木々と、崩れた瓦礫の山が視界に飛び込んできた。


「うそ……うそ、でしょ……」


 震える声が自分のものだと気づくのに、時間がかかった。体を起こすと、土と灰にまみれた地面に、見覚えのある井戸の石積みが見えた。


 それは、村の広場にあったものだった。


 リノアの呼吸が乱れる。胸の奥に、かつて感じたことのないほどの恐怖と罪悪感が押し寄せてくる。


「いや……いやっ、なんで……! どうして……!?」


「リノア」


 その声に振り向くと、そこにいたのは、あの銀の髪の少年——ノアだった。静かな眼差しが、リノアを真っすぐに捉えている。


 だが、その優しさが、いまの彼女には耐えられなかった。


「答えてよ! ねえ……なんで、こんな……っ」


 リノアは地面に両手を突き、必死に叫ぶ。泣き声が喉に詰まって、咳のようになってこぼれた。


「わたしが……わたしがやったの!? みんな……お祭りしてたのに……! どうして、全部、なくなってるの……!」


 ノアは近づき、黙ってその場に膝をついた。


「君が“やった”んじゃない。——君の“感情”が、暴走したんだ」


 リノアの肩が、ビクリと揺れる。息が止まり、視界が歪んだ。


「違う……違う、そんなの……! 私、ただ——ただ、楽しかっただけなの……! 家族と、春祭りを過ごして……!」


「楽しい、守りたい、大切にしたい。——強い感情は、強い魔法を引き起こす。君はそれに気づかなかった。だけど……君の魂は、ずっとその力を秘めてたんだ」


「わたしが……殺したの……?」


 その一言に、ノアの表情がわずかに曇った。


「誰が生きていて、誰がいないのか。……それは、王国の騎士団が調査することだ。だけど、今君が向き合うべきなのは、“力の意味”だよ」


 リノアは、自分の手を見つめた。黒くすすけた指先。震える手のひら。その中で、何かが壊れていく音がした。


「いや……わたし……もういや……!」


 顔を覆い、しゃがみこむ。嗚咽が止まらない。心の奥に、深く刻まれる痛み。


 そんなリノアに、ノアは静かに語りかけた。


「君は“災厄の魂”の半分。王国の実験で生まれた存在。……そして僕は、もう半分」


「……え?」


「君と僕は、もともとひとつだった魂の分かたれ。だけど、王国の手によって切り分けられた。……でも、僕は思い出したんだ。研究所で、泣いていた君を」


 リノアは、顔をあげた。涙に濡れた頬のまま、彼の瞳を見つめる。


「……どうして……そんなふうに話せるの? どうして……そんなに冷静でいられるの……っ」


「……僕も、昔は泣いてた。でも、泣いてるだけじゃ何も変わらない。君が壊したと思うものを、君自身が見て、知って、選ばなきゃならない」


 リノアは、しばらく黙っていた。けれど、心のどこかで、その言葉が響いていた。まだ自分が何者かも、何をすべきかもわからない。でも、このままではいけないとも思った。


 震える足で立ち上がると、視界の端に、木々の隙間から見える旗があった。


 白と青の制服。王国の騎士団。

 そして、その反対側の丘——黒いローブと、頭部のない動物の紋章を掲げた怪しげな三人「灰の懺悔者」。


「ノア……わたし、行く。わたしのせいで壊れたなら……わたしが見届ける。全部、自分の目で」


「——うん。君ならできる」


 二人は、焼け跡を抜けて歩き出す。涙はまだ止まらない。けれど、その一歩が確かに未来を選びはじめていた。


ーーー


そのとき、村の近くでは、

闇に包まれた林道を、蒼い外套を羽織った兵士たちが馬の蹄音を静かに刻みながら進んでいた。王国直属の騎士団―― 蒼月騎士団。その名の通り、月の光を頼りに行軍する彼らの気配は、夜闇に溶け込むように淡い。


先頭を行くのは、団長のジーク=レインハルト。彼の目は、暗視結晶によって夜でも確かに前を見据えていた。


「……あと少しで到着か」


横に並んだ副団長のユリウス=ヴァンデルが、低い声で応じた。

「報告では、感情の暴走による炎で村が壊滅したとのこと。魔力の爆発反応は異常値。しかも……それが夜中まで消えていない」


「つまり、まだ何かが、そこに“ある”可能性もあるということか」


月は雲間に隠れたり覗いたりを繰り返していたが、村が近づくにつれて、空気に微かな煤の匂いが混じり始めた。火災の痕跡は時間を経ても、なお周囲に異様な緊張を残している。


やがて、焼け焦げた木々が見え始め、村の跡地が月明かりの下に浮かび上がった。


「ここか……」


ジークは手を上げて隊を止めると、しばし全体を見渡す。

焼けた家々。崩れた井戸。人の気配はないが、ただの焼け跡ではない。


「残留魔力、強いですね」

ユリウスが結晶板を翳して言った。

「……希望、怒り、悲しみ、それらが混ざり合い、なお燻っている感情がある」


ジークはゆっくりと頷いた。

「こんな夜にここを訪れる者など、我々以外にはいないはずだが……」


その時、斥候の一人が身を潜めるように近づいた。


「西の丘に、魔力反応。敵意はないが、こちらの動きを監視している様子です」


「数は……」


「ええ。数は二、もしくは三。姿を見せていませんが、潜伏しているのは間違いありません」


「罠は張られていない。見ているだけ、か」


ジークは視線を村の中央に戻し、低く命じる。


「接触するな。こちらは調査に専念する。もし“彼女”がまだこの村に関わっているなら、下手な刺激は避けるべきだ」


夜の静寂が、団員たちを包み込んでいく。月は再び雲間から現れ、焼け跡を青白く照らした。


そして――


村の外れにある丘。その影で、一つの視線がじっと彼らを見下ろしていた。敵対組織である”灰の懺悔者“の一人。だがその目に、敵意よりも複雑な色が浮かんでいたのは、月明かりでも判別できないことだった。


ーーー

同刻、 村の反対側にある丘で、

 

「……来たな、王国の犬どもが」


焼け落ちた村の西。草もすすけた小高い丘に、黒衣の影が三つ、静かに腰を下ろしていた。


その中心に立つのは、敵組織「灰の懺悔者アッシュ・ペニテント」に属する部隊「傲獣ごうじゅう」の隊、隊長、ベルド=カラドリウス。


大罪“傲慢”の象徴であるライオンの頭を模したマーク――だがその顔は刻まれていない。自らが“頭”ではないことを、組織の全員が無意識に理解しているがゆえの象徴。


「敵は十数名。月の騎士団(蒼月騎士団)か。……悪くない相手だな」


ベルドの横で、無言のまま周囲の魔力流を読み取っているのは、傲獣隊の副長ミュラ=ネブラ。風の感情を操る共鳴者だが、その瞳は、冷たい海のように静かだった。


「交戦の意思はない。今回は“観察”だろ?」


もう一人、少年のような容姿のルカ=エメルがあくび混じりに呟いた。

「本隊の指示だ。村で起きた“共鳴暴走”の発端が、例の“少女”によるものかどうか、それを見極めるために動けってさ」


「ふん、あのお方が気にしている少女……だったか」


ベルドは鋭く村を見下ろす。

王国の騎士団は、慎重に周囲を調査しているが、まだ“彼女”の痕跡には気づいていないようだ。


「……ただの偶然なら、それでいい。だが、もし“希望の感情”による暴走だったのなら――」


「俺たちの計画にも、調整が必要ってことか」


ルカが葉を噛み千切りながら言った。


沈黙が流れた。風に乗って、村の焦げた匂いが届く。

夜は深く、月は高い。だがこの静寂は、ただの夜のものではなかった。


「ミュラ、そろそろ引くぞ。干渉は不要だ。次に動くのは……“彼女”が再び感情を溢れさせたときだ」

ベルドは静かに立ち上がると、ルカを一人残し月を背にして、ミュラと二人で影のように森へと消えていった。


---(続く)

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。


「炎の記憶」では、リノアの中に眠っていた大きな感情が目覚め、物語がひとつの転機を迎える回となりました。

日常の中に潜む“希望”という感情が、思いがけず大きな魔法を呼び、リノアと彼女の故郷に大きな爪痕を残してしまいます。

そして、そんな彼女の前に現れたノア――彼の存在が、これからの運命を大きく揺り動かしていくことでしょう。

どうぞ引き続き、お付き合いくだされば嬉しいです。


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